• ラーメン店に手書きで描かれた「びゃん」

さて、新しい漢字を扱えるようになって喜ぶのは誰か。その漢字が使えなくて困っていた人たちだ。使えるようになったことを喜んでもらえる顔を見たい。喜ぶ顔を見れば、これからの仕事にも精が出るはず……、とアドビのフォントチームは考えた(のかもしれない)。

そして、1月のある日、風変わりなプレスツアーが企画された。アドビオフィスに集合したプレス陣は、用意されたマイクロバスに乗り込んだ。そのバスのフロントガラスには「アドビ観光ラーメン半日満腹バスツアー」と書かれたプレートが掲げられていた。実際に、仕事で「びゃん」と「たいと」を使っている人たちに会いに行こうというわけだ。

  • 東京都・中央区新川にある西安麺荘秦唐記

バス内で、アドビのフォントチームから、フォントにまつわるフォントかどうかわからない話を聞きながら、最初にバスが到着したのは銀座からほど近い中央区・新川にある西安麺荘秦唐記というラーメン店だった。

「びゃん」の文字は手書きされていた

この店は「びゃんびゃん麺」と呼ばれるラーメンで有名な店だ。もともとは中国・西安発祥の麺で、中国では人気ナンバーワンの麺だという。麺を打つときの音がびゃんびゃんと聞こえることから、そう呼ばれるようになったという説が有力だそうだが、本当の由来は誰にもわからない。麺はきしめんのようなベルト状で、太麺とさらに太いベルト麺がある。それを汁なしで、タレを絡めて食する。

  • びゃんびゃんと麺を打つ料理長

店頭には、「びゃん」の文字を手書きしたPOPがあちこちに掲示されていたが、源ノ角ゴシックを使えば、その「びゃんびゃん麺」を漢字で書けるのだ。また「麺」という漢字は中国語では「面」と書く。他言語フォントの源ノ角ゴシックは扱う言語でグリフを切り替えることもできるので体制は万全だ。

  • 中国語での表記はこんな漢字

アドビシステムズ 日本語タイポグラフィシニアマネージャーの山本太郎氏は、次のように語る。

「フォントはそれぞれの国で独立していました、それをひとつのフォントで東アジアの4つの地域で使われている文字に対応するようにし、国際的な文字の利用状況に対応したフォントとして提供されているのが源ノシリーズのフォントです。

何が便利かというと、昔ならパンフレットを作るのに各国の文字を使いたいとなったら、各国語のフォントを混ぜて使うしかありませんでした。それではなんとなく太さがあわないとか、デザインの一貫性がないなどの問題が起こるわけですね。多言語のドキュメントを複数のフォントを寄せ集めて使うとデザインの一貫性がなくなってしまうんです。

でも、源ノシリーズを使えば、それを解決することができます。各国の文字グリフが同じデザインポリシーで作られているので、ちゃんと一貫性のあるデザインになります」

  • びゃんびゃん麺を美味しくいただくアドビシステムズの西塚涼子氏と山本太郎氏

スキマの白がいかに綺麗に見えるか

そのデザインポリシーとはどんなものなのか。こちらはデザインの総指揮を担当したアドビシステムズ株式会社日本語タイポグラフィチーフタイプデザイナーの西塚涼子氏が説明してくれた。

「本文用フォントとしても使えるのですが、携帯電話やタブレットなどのLCDデバイスでも使いやすいように、伝統的なのに中間的なデザインを目指しています。長い文章を組んだりするときにも使えるし、新しいデバイスでも読みやすいというイメージです。ポイントとしては、今回、画数が多い文字を美しい文字として見せるために、個々のパーツがくっついて見えないようにするのに苦労しました、スキマの白がいかにきれいに見えるかということですね。パーツ同士の接触や余分な空白穴などに注意しました。右上がりだと安定して見えるんですが、そういう工夫もしています」

西塚氏はフォントのデザインに際して、オフィスではノートパソコンと4Kモニタを併用しているそうだが、働き方改革のご時世の今、自宅での作業ではノートパソコン一台ですませているとか。

さて、デザインされたフォントは実際のデータに落とし込む必要がある。そこを担当したのはアドビシステムズ株式会社日本語タイポグラフィシニアフォントデベロッパーの服部正貴氏だ。

「フォントを作るには開発ツールが必要です。作業的にはそれも同時に作っていたんです。以前からあったツールを中国語(繁体、簡体)、日本語、韓国語をサポートするように拡張したもので、フォントを作るときの専用開発ツールです。そのツールの開発の過程で米国のエンジニアから画数が最多といわれている漢字を作れることができれば、ちゃんとしたツールであるということが証明できるはずだから、ストレステストとしてやってみたらどうかといわれたのです。実際に、このツールを使って完成した源ノ角ゴシックをフォントとしてリリースするにあたって、どうせ作ったのだから新しいグリフを正式フォントの中に入れることになりました」

  • そして源ノ角ゴシックの「びゃん」を色紙にして記念贈呈

美味しく「びゃんびゃん面」をいただき、店主の小川克実氏が喜ぶ顔も確認できたということで、バスは一路、千葉県市川市・本八幡のおとど食堂へ。