前回の記事では、KDDIがなぜ、シリコンバレーで活動するのかを、KDDI Investment Teamの傍島 健友氏に尋ねた。傍島氏は、KDDIが統合した3社(DDI、KDD、IDO)のうち、DDIに入社した。セルラーのインフラ部隊に所属して、現行の通信規格である4G(LTE)の前身の3G(CDMA-2000)の立ち上げなどに技術者として関与していたという。

その後、法人ソリューションサービスの企画部門に携わり、そして前回触れたKDDI Open Innovation Fundなどのチームへと籍を移すことになる。そのチームでは、「KDDI ∞ Labo」と呼ばれるベンチャー支援プログラムが2011年より行われている。ラボに携わる中で「やはりシリコンバレーに行きたい」という思いを強くしたと傍島氏は振り返る。

  • KDDI Investment Team 傍島 健友氏

文化の違いを肌身で体感

サンフランシスコ拠点は2011年に立ち上げ、メンバーはわずか2名だった。

「当然ながら、こちらの人は『KDDI』と言われても、誰も知らない。ゼロからの立ち上げで当時の担当者は相当苦労しました。2011年に初めて、こちらのベンチャーキャピタル(VC)を呼んでパーティーをしたんです。当時の社長である田中や、現社長の髙橋も来て、経営陣が一体となって『一緒にやっていきましょう』と。そんなスタートだったんです」(傍島氏)

傍島氏自身の赴任は2015年から。

シリコンバレーとはどういう場所なのか、ある程度想像していたようだが、「生活して初めてわかることが本当に多かった」という。もちろん、日本でも知らない土地に引っ越せば、ある程度の空気感の違いはある。ただ、言語やビジネスの商慣習などを含め、傍島氏にとって身につけなければならない感覚はあまりにも多かったようだ。

「子供が2人いるのですが、学校に行ってどういう生活をしているのかと思ったら、小学生からパワーポイントでプレゼンテーションしているんですよ。それも小学校2、3年生の子供たちが。どう相手に伝えるのか、どうしたら伝わるのか、それに対して多くの質問をぶつける、その訓練をそんな小さい頃からやっている。だから、コミュニケーション力の地力があるのだなと感じましたね」(傍島氏)

子供の話で言えば、アメリカは日本と比べて治安が悪い。そのため、子供だけを公園で遊ばせるわけに行かず、共働き夫婦であっても早々に学校へ迎えに行かなくてはならない。さらに言えば、日本の都市部と異なり市域が非常に広いため、移動に手間がかかる。そうした事情から、車で運転しながらの電話会議や、ご飯を食べながらの会議は日常茶飯事だという。

「こちらの人は、確かに皆、家族の時間を大切にします。ですが、働き盛りの子育て世代は、日本と同じでずっと働いています(笑)。一方で、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを日本は重要視しますが、こちらは移動も大変なので、ある程度割り切っています。歩きながら電話会議をする人もいるように、とにかく空き時間を減らすことで、効率よく仕事しているのです」(傍島氏)

日本の感覚を忘れずに、メルマガの意味

前回で触れた傍島氏のミッションは、スタートアップへの投資と、投資先製品・サービスの日本進出支援だが、それとは別に大切な業務がある。それが「メルマガ」だ。

「社長以下、1500名以上に『オフィス カルフォルニア』というメールマガジンを送っています。アメリカで起こった大きな出来事と"チョキスタ"と呼ぶ『ちょっと気になるスタートアップ』、そしてコラムの三章立てです(笑)。このメルマガで大切にしていることは、いかに日本にいるKDDIグループの社員に現地での肌感覚を伝え、また日本の肌感覚を拾えるか。こちらで付き合いのあるメンバーの感覚だけでは、意見が偏ってしまう。ITにちょっと自信のない社員からの返信は、とても大切にしています」(傍島氏)

傍島氏のメルマガは、経営陣も返信するなど好評だという。だからこそ、ITの先端の地の最新の生の声をどう届けるか、そしてダイレクトに返ってくる「お客さまに近い声」を感じることで、日々の業務に還元していく循環を、傍島氏は意識している。もちろん、一番の狙いは、日本にどう影響を与えたいか。

「私がメルマガを書き続ける一番の理由は、最先端に近い情報に触れることで、『考えるきっかけ』を作ってほしいのです。一人ひとりの『こういう意見』が、経営戦略部門から事業戦略、サービス、バックオフィスまで、色々な部門で生まれるきっかけを提供したい。もしそれぞれの担当者がアクションを起こすきっかけになると、私一人ができる仕事の数十倍、数百倍の価値があると思うのです」(傍島氏)