人の興味は、「広く浅く」から「狭く深く」へ

--確かに、あまりサービスの質が変わらなければ、ユーザーは必ずしも巨大なプラットフォームを使用する必要はなく、ローカルなサービスを選んでも大差がないようです。しかし、ではどうしてあえてローカルを選択するユーザーが増えているのでしょうか?

落合 : 例えば、AppStoreやGoogle Playなどといったプラットフォームを使用しているユーザーは、その直接的な売り上げの中から、少なくともある程度、お金を取られているわけです。

これはサービス受容者も提供者もプラットフォーマーの下で、余計な費用として計上されていることを認識しつつある。そういう費用が取っ払われて、ローカルサービスの受益者負担となるような仕組みを構築し、よりマージンを減らしていこうという考え方は正しいと思っています。

また、サービス提供価値とユーザー数との意外な乖離や、そのそれぞれのサービスの循環エコシステムが、ローカルでの動画サービス、写真サービス、チャットサービスなどの普及につながっているんじゃないでしょうか。結局、情報の流れが重要なのであって囲いが重要なわけではないですから。

つまり、現代における人の興味の流れは、サービスを広く薄くしか提供出来ない大型のプラットフォームよりも、狭く深くサービスを提供できるローカルの方向へと、少なからず向かっているように思います。それをプラットフォーム側に還流させる。これもさっき挙げたマスと個人の敵対生成に似ていますね。

例えば最近、オンラインサロンのビジネスというのはすごく増えていますよね。クラウドファンディングプラットフォームを用いたものもそうですし、コミュニティ型、サロン型の仕組みも増えています。そういった、1人当たりの参加寄与度の高いサービス、もしくはこれまでのような「広く浅く」ではない、よりファンをつくることができるようなサービスプラットフォームが増えているということは特筆すべきことかなと。

そういった個人に紐づいた、より強固なつながり。ファンクラブよりも大学のゼミに近いような同志の集まり。根源的には、サービス提供コミュニティというものはそういうものだったと思いますが、現状を俯瞰して見ると、一度、恐竜が出てきた後に機動性の高い哺乳類の時代になっているような感覚は少しあります。

もちろんそれがYouTubeとか、Facebook、Appstore、Googleみたいなものが作ったインフラであることは間違いありません。しかし、一度それに慣れたユーザーは、慣れます。また、見た目に、使い心地に同等なサービスが提供されるのであれば、より嗜好性を高め、密につながるほうがいいよね、ということで(よりローカルなサービスを)選んでいるというような感じがします。

そう考えると、(Facebookの)個人情報漏洩の事件は、今、我々が置かれている状況に気づくための契機だとも言えますね。つまり、1つのプラットフォームが、そういう(信頼を損なうような)サービスや運用をした場合、「じゃあ離脱しよう」といってできるか、というとそういうわけにもいきませんよね。今回、そういった危うさっていうものを我々が認識したということは、すごく大きな意味があることなわけです。

つまり、大きなプラットフォームではないサービスの探求は不可欠ですが、Mastodonがそれに置き換えることができたかというとそうでもない。この辺りは継続的な課題なんだと思います。

例えば、ユーザーはこれまでのように薄く広い大型のプラットフォームサービスではなく、ローカルで違うサービスを選ぶことも可能です。だって、インターフェースの面ではあまり変わらないわけですから。はたまた、例えば、もうちょっとお金をとったSNSみたいなものがあってもいいわけじゃないですか。本質的には、そういうビジネスモデルの探求と狭いつながりの心地よさを探求するフェーズでは、広告というものも変わっていくのかもしれません。

要は、限られたユーザーしか入ってこないようなサービスがあれば、無意味に「炎上する」「叩かれる」といったこともないわけですし。理解度の高いユーザーの枠組みでより密接な情報交換を行ったり、楽しんだりすることができる。

そういった意味でも今後は、「人とどのくらいのつながりで、どういうコンテンツ消費の下で、どういったモデルでコミュニケーションしていくのか」ということが、焦点になっていくのではないか、と思います。

クローズ化していくインターネット

--「ローカルなサービスが増えていく」ということは、インターネットの発展に大きく起因してきた「オープン性」とは対照的に、今後は、閉じた世界が増えていく、ということでしょうか?

落合 : これは先程話した「個人とマスの対立」にも当てはまることですが、「対立軸をどう設定するか」ということが時代のパラダイムであるとしたら、現代のインターネットにおける対立軸というのは、きっと「オープン化」と「クローズ化」の2つだと思っています。

例えば、オープン化という意味で言えば、オープンソースなものは、非常に増えてきています。パブリックという意味とオープンソースという意味の2つを合わせて「オープン」と言っていますが、ブロックチェーンなんて「オープン」なデータベースの最たる例ですよね。それを言ったらブロックチェーン上の通貨とかパブリックの好例だと思います。

反対に、クローズ化という意味で言えば、パブリックチェーンではない、閉じたサロンのようなコミュニティや、パブリックチェーンではない、プライベートチェーンでの個人データの管理などもあります。そこではよりデータが多かったり、密接だったりする。

そう考えると、このようなオープン化とクローズ化(パブリックとプライベート)という対立軸は、近年、ここ1、2年は結構肝になってくるんじゃないかと思いますね。マスと個人と同様にね。

--今回は貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました

【このページのポイント】
・AppStoreやGoogle Playなどが作った仕組みに慣れた人の関心は、「広く浅いプラットフォーム」から、「狭く深いプラットフォーム」へと移っていく
・新興メディアで起こった事件は、私たちに「別のプラットフォームを使う」という選択肢があるということを再認識させるきっかけとなるものだった
・メディアや広告を取り巻く環境が「個人とマスの対立」によって変わってきたのと同様に、インターネットは「オープン化とクローズ化」によって変化していく

以上、3ページにわたり、落合氏へのインタビューの様子をお届けした。インタビューを行った時間は1時間に満たないほどの短い時間であったが、非常に濃密な時間だったように思う。

冒頭でもお伝えしたが、落合氏がキーノート・スピーカーを務める「Advertising Week Asia」は、5月14日~17日の4日間、東京ミッドタウンにて開催される。イベントでは、マーケティングや広告、テクノロジー、エンターテインメントなどの分野で活躍するプロフェッショナルが世界中から集まり、思考リーダーシップや業界の最新動向やイノベーションについての話がなされるほか、参加者同士で交流できるネットワーキング・イベントも行われる。

同イベントは、HPよりパスを購入することで参加可能だ。世界の最先端のトレンド、テクノロジーに興味がある方は、イベントのHPから詳細をチェックしてみてはいかがだろうか。

参考
『YouTube革命』 著者:ロバート・キンセル、マーニー・ぺイヴァン 発行所:文藝春秋