先頃、創立40周年を迎えたアップル。日本での展開も始まってから30年以上の月日が流れた。サードパーティはもちろん、さまざまな業界に対し、さまざまなビジネスモデルを提供してきたが、その影響はまた、さまざまな形で顕在化している。近年ではiOS周りで、特にスタートアップの企業の躍進が目立つようになってきた。彼らの多くは日本だけでなく、海外からの評価がとても高く、俄かには信じられないようなユーザー数を獲得していることもあり、一夜にしてそのジャンルのトップにまで上り詰めるというケースも報告されている。本稿では、そんなシンデレラストーリーに彩られたデベロッパー3社を紹介していこう。
まずは、「FitPort ヘルス&フィットネスダッシュボード」や、「Timesheet - 作業時間をカレンダーにかんたん記録」などのアプリで知られるFlask LLPだ。デザイナーの堀内敬子さんとプログラマーの小川秀子さんという、たった二人で運営されているデベロッパーで、設立は2013年。前出の「FitPort」を、iOS 8で搭載された「HealthKit」の公開日と同時にリリース。これがApp Storeで初のHealthKitを利用したアプリということで、米国のTech系の錚々たるメディアにピックアップされ大ブレイク。現在では11ものアプリをラインナップし、最近リリースされた"立つ"のを促すアプリ「Standland - 座りすぎ解消!スタンドランド」もヒット作となっている。
続いて、昨年、「TimeTree:タイムツリー共有カレンダー」という共有カレンダーアプリが「Best of 2015 今年のベスト」に選出されたJUBILEE WORKS。Yahoo!Japanと、カカオジャパンのメンバー5人が合流して独立したというデベロッパーで、設立は2014年。このエピソード聞いて、スーパーバンドを結成するために活動基盤から飛び立った志士という印象を受けたのだが、実際に手練が集まってのスタートだったようだ。現在では従業員も倍以上に増え、12名で運営されている。「TimeTree」も国内ではもちろん、海外での評価が高く、日本、中国、韓国、台湾、香港、マカオの計6地域のApp Storeでの「ベスト新着App」選出にされている。今回は創立メンバーにして代表取締役の深川泰斗さんにご登場頂いた。
PSOFTのプロダクトディビジョン マネージャー・千葉哲也さん(中央)と、デザイナー・高橋生さん(左)、プログラマーの工藤拓磨さん(右)。「Best of 2015 今年のベスト」に選出された「Zen Brush 2」と、最近の一押しというアプリ「あずきザザー」がインストールされたiPadを手にポーズ |
最後は、和の筆をコンセプトにして書を楽しんだり絵を描いたりできるというアプリ「Zen Brush 2」などのデベロッパーとして知られるPSOFT。こちらも「Best of 2015 今年のベスト」に選出されている。ご登場頂いたのはプロダクトディビジョン マネージャーの千葉哲也さん(今回は電話インタビューでの参加)。所在地は仙台ということだが、地方に拠点を置くことで、特に不利なことはないという。顧客は全国にいて、それが前出2社同様、世界へと広がったから充分やっていけるそうだ。創業は1990年と歴史もあり、iOSだけでなく、Mac用のソフトや、組み込みのシステムなどの受託開発も請け負っている。初代「Zen Brush」のリリースは2010年、翌年、東日本大震災という未曾有の災害に見舞われるわけだが、やはり海外を中心に人気を集めていたので、ダウンロードも途切れず、ビジネスも安定して継続できた。
──そもそも彼らがiOSのプラットフォームで開発を手がけてみようと思ったのは何故なのか?
JUBILEE WORKS・深川さん まず、すごくユーザーさんとの近さを感じたんですよね。近さというのは、プッシュとかを通じて、実際にコミュニケーションが本当にすごく近くとれたりといったことです。四六時中、手元に置いてもらってるというのを感じるところがありまして、レビューの反応と、いいものであればダウンロードも増えるし伸びるという相関が、結構はっきり見えて、やりがいがあるしチャンスだと感じました。
Flask・堀内さん/小川さん 「FitPort」を高く評価頂いてますけど、設立当時はまだHealthKitはありませんでした。
Flask・堀内さん ふたりともiPhoneが大好きで使ってて、ここで動くものを作れるってすごいじゃないですか。それでもう、なにも迷いなくiPhoneだけ。その前から、小川はアプリをWeb用につくったりもしていてもともと作るのが好きなタイプでやってたんですけど、今は……。
Flask・小川さん 今はiOSだけですね。自分が使っているのがiPhoneで、まず「自分たちが使っていて楽しいか」が、自分たちのリリースするアプリの基準になってるんです、そうなると日常使いしていないプラットフォームについては、どういう形が良いのか判断できない、という自覚もありまして。そういう意味ではもうiPhoneで「これだ!」というものを練るほうが、私たちにとっては良い。という選択なんです。
PSOFT・千葉さん iPhoneが出て、開発環境があって、App storeというものの登場がいちばん大きくて、携帯電話でPC並みのことが出来ることが興味深かったのと、それで全世界に配信できてしまうのが、すごいと。WindowsとかMacというプラットフォームと同じくらいの規模感のものが出てきたイメージがあって。それって、何年、何十年に一度くらいの話じゃないですか? すごく魅力的で、最初は社内の同じように興味持ってる仲間と3人くらいでやってみようかという話になって始まった感じです。
Flaskの作業時間を記録するアプリ「Timesheet - 作業時間をカレンダーにかんたん記録」 |
Flaskが一躍脚光を浴びるきっかけとなったHealthKitを利用したアプリ「FitPort ヘルス&フィットネスダッシュボード」 |
"立つ"のを促すアプリ「Standland - 座りすぎ解消!スタンドランド」もFlaskのヒット作 |
──Flaskの二人の「好きなものを作ったら評価された」というエピソードは、なかなかそう上手くいくものではないぞとも思いつつ、熱意をもって、丁寧に作り上げる、誰よりも早く使えるものは使うというスタンスが成功を引き寄せたと言えるのではないだろうか。JUBILEE WORKSの深川さんの発言も興味深い。ユーザーからのレスポンスが早く、ブラッシュアップするのに真摯に取り組めば結果が自ずとついてくるというのもApp Storeならではと感じる。JUBILEE WORKSは、ユーザーサポートにも力を入れているそうで、それがユーザーとのコミュニケーションを円滑にするという効果を生んでいる。千葉さんが、何年、何十年に一度くらいしか出てこないプラットフォームと指摘するのも正鵠を射ていると思われる。3社に共通しているのは、そこに無限の可能性が広がっているという認識に立っているということだ。続けて、今度はiOSアプリを手がけるようになってから、何か変化したことがあったかを訊いてみた。JUBILEE WORKSは、従業員が倍以上になったりしているわけだが。
JUBILEE WORKS・深川さん 従業員が倍になったっていうのも、当社にとっては大きな出来事ではあるんですが、それより、本当に「世界に向けてサービス提供しているんだ!」という実感があって、人生のそれ以前以後で、全然違いますね。ユーザーさんがいるだけじゃなくて、その先に、例えばロンドンのコンテンツデザイナーと仰る方から、「アプリ内の英語がイマイチだから直させてくれ」という問い合わせがあって、いま一緒に仕事してたりとか。ユーザーさんの先に、いろんな広がりがあるっていうのが一番の変化だと思います。ネットワークが世界的に広がっていくイメージですよね。
PSOFT・千葉さん もともとは国内向けのビジネスが中心だったんですが、iOSアプリを出すようになってから、海外からも問合せをいただくようになり、仕事に結びつくことがすごく増えました。それと、国内外問わず、アプリがプロモーション代わりの役割をしてくれて、「あのアプリを見たけど」みたいな感じで「こういうのできませんか」ということも。弊社のアプリは技術的な何かを入れているものが多いので、それを見て、「ここの会社ならできるのでは」という形でアクセス頂くようになりました。
Flask・堀内さん 私達が一番変わったのは、やっぱりFitPortですよね。本当にエライことになって。有料アプリで出したんで、そんなにDL数はないだろう、くらいに思ってたんですけど、すごいことが起こっちゃたんです。今まで見たことのない問合せもきて、それがほとんど英語! みたいな。二人だけなので、すごい返信大変だったんですけど。それでも、もう、震えながら対応して、見たこともないところやメディアから連絡がきて。
Flask・小川さん HealthKitを利用するっていうのが未知の領域だったので、大変だから参入数も少ないだろうと睨んで作ったっていうのも実はあるんですけど。そのおかげで爆発して、成功を一度味わったことで「またあの夢を」みたいな力が出てくるきっかけになりました。
──当たり前と言えば当たり前だが、ともにポジティブな変化が起こっている。これまた共通しているのだが、彼らにとっては、マーケットというものが国内だけでは既になくなっていて、スケール感が全く異なっているのだ。アップルのエコシステムの中に入っていくということは、すなわち、ワールドワイドな市場に切り込んでいけるということでもある。Macの販売が日本で始まった頃は、多くの人々がローカライズに躍起になっていたが、その状況は一変している。もちろん、ドメスティックな視座に立って製品やサービスを提供することも可能だし、それでビジネスを継続することもできるのだが、その方法論で生き残っていけるかどうかは分からない。ゲームの世界だと、巨大な資本と人員を投入できるデベロッパーの多くは国内市場を向いていて、日本人の好みや趣向に合わせたものを作っているが、小規模なデベロッパーも一様に同じというわけにはいくまい。それでビジネスが成立するのは成立するなりの理由があり、そうでなければ別な戦略を立てなければならない。言い方は悪いが、まぐれ当たりの成功事例が一つあったとしても、それにしがみついていては、成長することは難しい、経済的にも人間的にも。実際、一発当たったが、その後はヒットがなく消えていったというデベロッパーの例は枚挙に暇がない。
JUBILEE WORKSの共有カレンダーアプリ「TimeTree:タイムツリー共有カレンダー」。App Storeで「Best of 2015 今年のベスト」に選出された |
「TimeTree」のコンセプト動画 |
──大規模、小規模ということで言えば、毎年OSがアップデートされるという状況についてはどう考えているのだろうか? あまり体力のないデベロッパーにとっては、厳しい戦いを強いられるように思えるのだが。
PSOFT・千葉さん 厳しいには厳しいです(笑)。コンシューマゲームやってると、一度リリースしてしまえば、後はそんなにいじらないんですね。iOSのアップデートにあわせてメンテナンスしていく必要があるのですけど、場合によっては、App Storeから取り下げるという判断もします。アップルの場合はそういうジャッジもしやすいので、そこは選択なのかなという気がしています。という意味では、アップルのロードマップには乗りやすいです。メジャーアップデートでは、何かしら面白い機能が入ったりするので、そこにあわせると、「対応したアプリはこれです」みたいな特設ページに載ったりするので、やり方次第で上手く立ち回れる環境はあると思います。
JUBILEE WORKS・深川さん うちはエンジニアが開発大好きなので、「会社としての優先度があるから、HealthKit使うのは待ってくれ」とか、止めないと勝手に使い始めちゃう感じで、楽しんでやっています。次のバージョンではどんなことができるんだろう、とか。あと、新しいことは、やるなら最初にやらないと意味ない、というような戦い方をすることが大事だと考えています。
Flask・小川さん 私達もそうですね。WWDC(アップルが毎年実施している開発者向けのカンファレンス。例年6月に開催される)で新しい情報を入手してから、すぐ帰って試して、これで何ができる?って。6月から9月はそれに費やす時間ですね。
Flask・堀内さん WWDCがあって、秋に最新OSがリリースされるまでの間っていうのは、「よーいドン!」みたいな感じなんですよ。そこでは会社の規模の大小は関係ないと思っていて。そう思いつつも、実際にやってみて9月に出せるところは多くはない気がします。
──確かに小規模なデベロッパーにはしんどいかもしれないが、千葉さんが指摘する通り、アイディア次第で、その状況を幾らでもチャンスに変えられるのが、App Storeでのアプリ販売ビジネスの特質でもあるのだ。また、深川さんとFlaskの二人の発言からは、規模の大小に関係なく、皆に機会が平等に与えられている環境であることが伺える。豊富な資金力で人員を投入し、広告にも予算をつぎ込んでということをしなくても僥倖に授かれるのがApp Storeでのアプリ販売なのだ。あらゆる業界、業種、業態にスポットライトがあたり、会社の規模、有名無名を問わず、良質な製品・サービスを提供できれば、均等に好機に恵まれるのである。さらにユーザーは、いつでもどこでもコンテンツにアクセスできるし、保存もできるし、共有もできる。このように包括的なサービスが提供できる/受けられるというのが、アップルのエコシステムの最大の魅力なのではないだろうか。
和の筆をコンセプトにして書を楽しんだり絵を描いたりできるという、PSOFTのアプリ「Zen Brush 2」。初代の「Zen Brush」がアップルストアの店頭のデモ機のアプリとして採用されたことで注目が集まった |
あずきが笊の中で流れる光景をシミュレートしたという、その名も「あずきザザー」。Twitterで14,000リツイートされ話題になっている。PSOFTは、こういうネタものも得意としている |
──個人的に今回の取材で面白いなと思ったことは、JUBILEE WORKSの深川さん、Flaskの堀内さんと、小川さん、皆、想像以上に良い意味で「普通」の人だったということだ。電話インタビューだったので容姿を確認することは叶わなかったが、PSOFTの千葉さんもおそらくそうだろう(写真で見る限りでは、とてもスッキリした外見だ)。アプリの開発に携わっている、と聞くと、ステレオタイプな表象では、部屋に篭って出てこないド変人みたいなことになるが、彼らにはそんな印象は微塵もなかった。「普通」の人の生活が、今日から、明日からドラスティックに変化する。そういう可能性が潜んでいるのもiOSアプリの開発の面白さであるのかもしれない。