民間月面探査チーム「ハクト」は2月23日、東京・お台場の日本科学未来館で記者会見を開催し、米Astrobotic Technologyと月面輸送契約を締結したことを発表した。ハクトが開発を進める月面ローバーは、同社の着陸船に乗って月面まで運ばれることになる。打ち上げの時期は2016年後半。ロケットは米SpaceXのFalcon 9を使用する予定だ。
「ハクト」チームリーダーの袴田武史氏(左)と、米Astrobotic・CEOのJohn Thornton氏(右) |
これがAstroboticの着陸船「Griffin」。幅は4.5m、高さは1.6mで、打ち上げ時重量は2.5tにもなる |
宇宙への宅配便サービス
ハクトは月面を目指す国際的なレース「Google Lunar XPRIZE」(GLXP)に日本から唯一参加しているチームだ。開発しているのは4輪型の「Moonraker」(ムーンレイカー)と2輪型の「Tetris」(テトリス)で、昨年末には、静岡県浜松市の中田島砂丘において走行試験が披露された。詳細については以下のレポート記事を参照してもらいたい。
GLXPでは、「月面を500m以上走行する」ことを求められているのだが、そのためには当たり前ながら、自分たちのローバーを月面まで運ぶ必要がある。今回、ハクトがAstroboticと締結したのは、そのための契約だ。会見に出席したAstroboticのJohn Thornton(ジョン・ソーントン)CEOは、自社の立場を「月面版のDHLやFedExのようなもの」と表現する。
Astrobotic自身もハクトと同様、GLXPに参戦しているチームである。月面ローバー「Andy」と着陸船「Griffin」を開発しており、GLXPでも最有力チームの1つと見られている。ハクトはいわば、GLXPにおけるライバルというわけだが、なぜ競争相手のローバーを乗せるのかというと、同社は輸送ビジネスを事業の大きな柱として捉えているからだ。
GLXPは勝っても負けても1回で終わってしまう。だが、Astroboticが目指すのは、継続して月面にアクセスできる手段を提供することだ。「今まで月面に着陸できたのは、たった3カ国(旧ソ連、米国、中国)しかない。我々は誰もが月面に行って、科学実験や探査活動ができるようにしたいと考えている」とThornton氏は述べる。
そのために重要なのは、より多くの顧客を集め、ビジネスとして成立させることだ。民間の手法でコストを抑えたとしても、月面に行くためには、1回のミッションで100億円規模の巨額な資金が必要になる。これだけの費用を1社で出せるところはそう多くはないので、相乗りという形でシェアし、1件あたりのコストを下げるしかない。
Griffinはそのためのプラットフォームとして考えられており、ローバーのほか、人工衛星や観測装置など、様々な物の搭載が可能。顧客の1社としては、すでに大塚製薬の名前が明らかになっており、同社は特製のポカリスエット缶を搭載する計画だ。
Astroboticにとって、GLXPはその"第1便"であるわけだ。「民間が参入することで、このような活動が持続する。フライトの回数が増えれば、月面という"新大陸"がもっとオープンなものになるだろう」(Thornton氏)
なお、Griffinへの搭載が決まったのは今のところハクトだけだが、Thornton氏によれば、GLXP参加チーム(現在18チーム)の「半数以上と話をしている」とのことで、最終的に、搭載するローバーは「もっと増える」と見ている。全部のローバーを降ろしてからヨーイドンでスタートするそうで、「F1レースのようになるよ」(同)
着陸地点はLacus Mortis!
今回の発表で、相乗り相手がAstroboticであることが明らかになったわけだが、もう1つの注目ポイントは、着陸予定地が公表されたことだ。行き先はLacus Mortis(死の湖)。ハクトはGLXPには無いオリジナルミッションとして、月の縦孔探査を計画しているが、ここにはNASAの探査機「LRO」の観測により、縦孔があることがすでに分かっている。
Griffinが目指すのは、この縦孔だ。ハクトはまず、GLXPのミッションとして500m以上を走行してから、延長ミッションとして縦孔探査を実施する計画。そのためには、縦孔の近くにうまく着陸してもらう必要があるが、Griffinは画像認識によるナビゲーションにより、100mの精度で任意の地点に降下することが可能だという。
ハクトのローバーは直接地球とは通信できず、Griffinに中継してもらう必要があるので、行動できるのはせいぜい数km。Griffinから電波が届く範囲だ。縦孔から数10kmも離れたら探査は不可能になるが、100m程度の誤差であれば、まったく問題ないと言えるだろう。
Astroboticを選んだ理由
チームリーダーの袴田武史氏(ispace代表取締役)は、「我々はローバーの技術ではトップにいると自認している。今回、打ち上げ計画を発表することで、資金調達を進めて着実に実行していきたい」と意気込みを述べる。
そう、現時点で最大の問題は技術ではなく、資金だ。ローバーを開発して、月まで運んでもらうには、最低でも10億円が必要。これは、Tetrisだけを運べる最低ラインの金額だ。Moonrakerも乗せるフルミッションだと、費用は20億円強だという。昨年の段階では30億円としていたが、ローバーと格納容器をさらに軽量化し、輸送費を抑える方針。
現在の調達状況であるが、これまでに最低ラインの「半分くらいが集まった」(袴田氏)という。実現のためには、最低でもあと5億円ほど集める必要があるが、GLXPの中間賞を受賞したことで、IHIによるスポンサードが決まった。古くから宇宙開発に関わってきた同社が参画したことは、今後の企業スポンサー獲得に向けて追い風になるだろう。
ただ、時間の余裕はあまりない。打ち上げは2016年後半になったとはいえ、打ち上げの1年ほど前には、最終判断する必要があるのだ。その時点での資金調達の状況により、ローバーが1台になるか、2台とも乗せられるのか、決まることになる。
ハクトは当初、日欧合同のチームだったが、着陸船の開発を担当していた欧州チームが撤退したことで、ローバーのみの日本単独チームとなった経緯がある。一見、これは逆風に思えるが、開発責任者の吉田和哉氏(ispace CTO)は反対に「世界中を見渡して、一番実現可能性が高いチームと組めるようになった」ことをメリットとして挙げる。
この「勝てる相手と組む」という戦略で見た場合、「Astroboticはベストな相手」(同)だった。GLXPでどのチームが優勝するかということは、独自に着陸船を開発している米Moon Expressなど、他チームの打ち上げ日程にも左右されるものの、ハクトはAstroboticに賭けたわけだ。あとは優秀なローバーを開発し、旗が振られるのを待つばかりだ。