だが、当時の電卓市場は熾烈な競争環境のなかにあった。特に1971年からの3年間は「電卓戦国時代」とも呼ばれ、35ものブランドが林立する市場となっていた。
カシオ、キヤノン、シャープという現存する電卓ブランドはもとより、東芝、リコー、日立、オムロン、ソニー、コクヨ、パナソニック、セイコー、シチズンなど、まさに電機、精密、文具といった様々なメーカーが参入。1971年には1年間に174モデル、1972年には201モデルが発売されたという。
「電卓を販売する新たなチャネル開拓に成功したことや、コスト競争力において他社を凌駕した点、さらに海外展開においても、計算結果をプリント可能な卓上プリンタ機能の搭載などにより圧倒的なシェアを獲得したことが、キヤノンが生き残ることができた要因だ」と、岡本氏は当時を分析する。
キヤノンは1992年にキヤノン電産香港(CEBM)を設立し、電卓を担当していた事業部をまるごと香港に移転するという荒療治を行っている。コスト競争力を高めるために、日本国内で生産を行う体制から、中国での生産体制へと移行。約50人で新会社をスタートした。当時の社員数は約50人で、そのうち半数が日本人だったという。
「すべての機能を一カ所に集約することで、コストメリットや迅速な製品開発体制などを実現。アジア地域への展開にもメリットがある。香港を中核拠点として60カ国へ販売している」という。
キヤノンでは、現在でもこの体制を維持。現在、キヤノン電産香港には約80人の社員が勤務。電卓の商品企画、開発、商品デザイン、マーケティングなどを行っている。約80人のうち、日本人はわずか5人だという。
キヤノンの電卓事業史を彩るエポックメイキングな製品群
キヤノンの電卓事業には、いくつかのエポックメイキングな製品がある。そのひとつが1973年に発売した金融機関向け専用モデルの「1215シリーズ」である。
各金融機関の声を反映して開発して同製品は何度か機能強化が行われたものの、基本的な設計は現在でもなんら変わらないというユニークな製品だ。
「操作が変わらない形で継続的に供給してほしいというのが金融機関からの要望だった。そのため、40年以上に渡って、基本デザインは変わっていない」と岡本氏はいう。やや古い目のデザインも、多くのユーザーを抱え、金融機関から圧倒的な信頼感を得ているからこそだ。
現在でも、三菱UFGフィナンシャルグループ、みずほフィナンシャルグループ、三井住友銀行グループといった金融機関で標準製品として採用されており、約2万台が稼働。累計出荷台数は約5万台に達するという。
また、「キヤノンの定番」といえる機能がある。それは「千万単位」と呼ぶ機能だ。
数字を入力すると、表示画面の上に、千、万、億といった単位を漢字で表示。さらに銀行のATMでも採用されているように、千や万といった単位を示す漢字を押せば、大きい単位の数字も一気に入力できる。
「他社でも同様の機能を搭載しているが、キヤノンではいち早くこの機能を搭載。さらに、現行モデルでは880~1,980円という普及価格帯の製品にまでこの機能を搭載している。この価格帯で千万単位機能を実現しているのはキヤノンだけ」とする。
もうひとつの特徴的な機能が、商売計算機能だ。これは、キヤノンが1990年代に最初に搭載。2002年に発売した製品から定番機能としてラインアップを行った機能でもある。
原価、売価、粗利率という3つのボタンを用意。商談の現場においても、原価や粗利をもとに、売価を簡単に算出することができる。
「瞬時に粗利計算や売価を求めることができるのが特徴。"できる営業"を演出するツールとしても高い評価を得ている」とする。
2014年には、税率キーを2つ搭載した「W税電卓」も発売。2つの税率を設定でき、その差額も計算できる点が評価を得ているという。
「現時点では5%と8%の2つの税率を活用する例が多いが、今後の税制次第では、8%と10%の税率に対応した使い方が増えることになるだろう。税率は利用者が任意に設定できるようになっている」とする。
こうした営業現場に則した電卓を製品化しているのはキヤノンならではの特徴だといえるだろう。
また、3つのキーまで同時に入力を受け付け、指を離した順番に入力される「3キー早打ち機能」もキヤノン製品の特徴だ。高速で入力する際にはどうしても指が離れないうちに次のキーを入力することになるが、これを正しく認識。それを3つのキーまで認識できるようにしているという。高速入力をするユーザーにとっては不可欠な機能であり、金融業界などで高い評価を得ている理由はここになる。