夏休み、帰省。そんなシーズンがやってきました。
セミが鳴く中、故郷に帰ると、ふるさとが沖縄でなくても、ついあのゆったりとしたBEGINさんのメロディと森山良子さんの歌詞が浮かんできます。古いアルバムをめくって、つぶやくのは「ありがとう」にして下さい。やめて下さいよ、「実家なう」とか「墓参りだん」とかツイートするのは。いや、別に良いのですが、雰囲気の問題で……。
今日の話は、歌詞にも登場する、古いアルバムにまつわる話です。
お題
- 【帰省先の古いアルバムをデジタル化したい】
解決策
- → モバイルスキャナPFU iX100を持って帰省する
データと思い出の境界線
実家に帰ると、スペースを占有して悪いと思いつつ、子どもの頃に使っていた自分のものがたくさん眠っていたりします。本やノート、雑誌、CD、ビデオテープ、そして写真。今となっては何で大切に取っておいた理由が思い出せない小石や、形見とはいわないまでも生前の祖父からもらった貝の化石なども出てきます。
別に石ばっかりが段ボールに入っているわけではありませんが、今の生活を考えてみると、このような石以外の思い出の品は、既に実態のある形では購入していないことに気づかされます。
本はAmazon Kindleで買い、雑誌や新聞も購読しながらウェブで読むスタイルになりました。筆者はiPadのRetinaディスプレイで快適に文字を読み進められるし、本棚の底面積分の家賃を考えると……。音楽はCDではなくiTunesで買うようになりましたが、米国ではもっぱらiTunes Radioです。
写真やビデオはデジカメかスマホで撮影し、データでクラウドにバックアップを取っています。テレビを録画していたビデオテープは……、心苦しいのですが、録っておきたい番組に5年ほど出会っておらず、そもそも不用に。米国からは見られませんが、好きな番組はあるんですがね。『モヤモヤさまぁ~ず2』とか、『孤独のグルメ』とか。
付け加えるなら、大切な小石や化石も、例えばスマートフォンで各方向からの写真や動画を撮ってデジタルデータ化すれば、クラウドに保存でき、3Dプリンタで再現できるかもしれません。ただ考えるべきは、ものの形が重要なのか、それそのものが重要なのか。データなのか思い出なのか。あるいはデータから思い出を感じられるか。
筆者の感覚では残念ながら、小石のデータで思い出に浸れることはなさそうです。