私が借りた初代iPod touchはGPSが搭載されておらず、こうした使い方はできませんでしたが、メールアプリで普通にE-mailを使えるのがとにかく便利でした。音楽も(shuffleに比べたら)いっくらでも入るじゃないですか。ちょうどCDプレーヤーを持っていなかったので、PCをプレーヤー代わりにするより全然便利! と、ライブラリも徐々に肥大化。気付けば自分の音楽環境はすっかりiTunesに囲い込まれていたのでした。

iPhone 3GS

そしてiPhone 3GSが発売。ほぼ趣味の人のアイテムであった3Gに比べて相当性能が上がり、ビジネス用途にも十分活用できるとの評判を聞き、Androidを検討する間もなくここまでの流れに乗ってiPhone 3GS 16GB ホワイトモデルを購入しました。Mac以外で初めて自分で購入したApple製品でした。

そういうわけで、iPod shuffleから始まって与えられたものに逆らわず目の前にある道をたどってiPhoneになだれ込み、母艦はそのままに艦載機をリプレイスする形でiPhone 5まで乗り継いできたという格好です。思い出しました、こういうのを"成り行き"と言うんでしたね。

こうして振り返ってみると、現在の生活のほとんどが偶然や幸運に任せて成り行きで機会を得たものによって構築されているように思えます。変化や自分の成長を目論んで積極的に選んだモノや始めたコトは、そういえばことごとく長続きしていません。職業、生活習慣、ガジェット、人間関係……。何かにつけて意気込まないことが、自分にとっての生きるコツなのかも、という気がしてきました。

あれこれ融通が利いて好みに合ったデザインの端末を選べて、自分らしさを主張できそうなAndroidより、選択肢がそれしかないiPhoneのほうが、自分にとってアレコレ考えずに長続きできる相手と言えるのかもしれません。

逆にいえば、自分が今後iPhoneについてアレコレ考えて選ぶようになったとしたら、どこかの時点で続かなくなることも起こり得るわけですが、肥大したライブラリに襟首をつかまれていることが文字通りネックになる可能性が高いわけで。デザイン思想とかそんなものではなく、Appleは単純に人を囲い込むのがうまいなぁと、外堀を埋められながら実感したのでした。結局また次もiPhoneを選んでしまうのでしょうか。こうやってお仕事も頂いているわけですしね!