コンピューターというハードウェアを活用するために欠かせないのが、OS(Operating System:オペレーティングシステム)の存在です。我々が何げなく使っているWindows OSやOS XだけがOSではありません。世界には栄枯盛衰のごとく消えていったOSや、冒険心をふんだんに持ちながらひのき舞台に上ることなく忘れられてしまったOSが数多く存在します。「世界のOSたち」では、今でもその存在を確認できる世界各国のOSに注目し、その概要を紹介して行きましょう。今回はApple Computerの「Mac OS」を紹介します。
上記は最新の5回分です。それ以前の記事をご覧になる場合は、一覧ページをご参照ください。 |
Macintosh誕生までの道のり
前回はApple Computer(現Apple)のLisa(リサ)OSを紹介しましたが、同時期に推し進められていた開発プロジェクトの一つが、一時代を作り上げたMacintosh(マッキントッシュ)です。経営陣に一切の担当を持たない会長職に追いやられたSteven Jobs(スティーブン・ジョブズ)氏が、Jef Raskin(ジェフ・ラスキン)氏がリーダーとなって開発を進めていた500ドル程度の家庭用ゲーム機に目を付けたのは必然の流れでした。
当時の開発コード名はAnnie(アニー)でしたが、女性蔑視と考えたRaskin氏は、自身が好きなリンゴの品種McIntoshに改称しようとしました。しかし、当時は既にオーディオメーカーのMcIntosh Laboratoryがありましたので、スペルを変更。現在の「Macintosh」に変更したそうです。しかしながら、当時の開発プロジェクトチームに参加しているメンバーはわずか四人。当初はRaskin氏の哲学とも言える設計思想でデザインされていたMacintoshですが、前述のように手持ちぶさたになったJobs氏が、自身のアイディアをRaskin氏に言い伝えるようになりました。
その結果、プロセッサは、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)を実現するため、当初の予定だったMotorola(モトローラ)の6809から、Lisaと同じ68000に変更しています。そもそもRaskin氏は1,000ドル程度で誰しもが購入できるパーソナルコンピューターを目指していましたが、Jobs氏はパルアルト研究所でAlto(アルト)を目にしてから、Lisaほどではないがコンピューターの未来を作るマシンを目指していました。互いの意見がかみ合わないのは必至だったのです。その結果Raskin氏は1982年3月にApple Computerを去り、Macintoshの開発プロジェクトはJobs氏の手中に収まりました。
Macintoshを世に送り出すため、Jobs氏は多くの人材とApple Computerの予算をかき集めています。同社の共同設立者の一人であるStephen Wozniak(スティーブン・ウォズニアック)氏にも声をかけようと思った矢先、Woz氏自身が操縦していた軽飛行機が墜落。短期的な記憶喪失に見舞われ、同社を休職してしまうことに。Apple IやApple IIをほぼ一人で産みだしたWoz氏がMacintoshに参画していたら、どのようなコンピューターが生まれたのか、今でも慮(おもんばか)ってしまいます。
1984年1月24日。その日を迎えるまでJobs氏およびApple Computerは紆余曲折の道を歩むことになりますが、本稿のテーマはOSですので、そろそろ初代MacintoshとなるMacintosh 128KBに搭載された「System 1」の話に取りかかりましょう。なお、現行のIntel製プロセッサを搭載したMacintoshに搭載されているOS X(Mac OS X)は異なるアーキテクチャで開発されたOSのため、今回はクラシックOSと呼ばれるバージョン9までを対象にすることにします。あらかじめご了承ください。