海洋地球研究船と水循環変動観測衛星 - 互いに補い合う北極の気象観測データ

1997年10月、カナダの砕氷船デス・グロシエ号は、自らを流氷の中に閉じ込め、北極海を1年間漂流しながら、気象観測を続けた。この「SHEBA有人漂流ステーション」プロジェクトは、冷戦終結後ロシアの観測が途絶えて以来、久方ぶりの本格的な北極の気象観測だった。

それから十数年が立った2010年9月、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の海洋地球研究船「みらい」は、かつてデス・グロシエ号が観測したポイントで気象観測を行っていた。「みらい」は、薄い氷なら耐えられる「耐氷船」であり、砕氷船ではない。急速な温暖化(気候変動)によって海氷が融けることで、「みらい」の行動範囲が拡大し、同じポイントでの観測が可能になったのだ。

JAMSTECの海洋地球研究船「みらい」は、さまざまな観測機器を搭載した世界最大級の研究船。船体が耐氷構造なので海氷が漂う北極海への航行も可能で、世界中の海域で長期間、調査研究が行える (C)JAMSTEC

変化は、海氷が減少したことだけではなかった。その上に広がる雲の性格も大きく変わっていた。かつてデス・グロシエ号が観測したのは、高度500m以下に雲底がある下層雲が広がる姿だった。しかし、「みらい」は、高度500m以上に雲底を持つ層積雲の明らかな増加を観測した。

観測を指揮した猪上淳・寒冷圏気候研究チームリーダーは語る。「海氷で空気が冷やされて、大気中の水蒸気が氷結し、低い高度に広がる下層雲、それが昔の北極の雲の法則でした。海氷が融けると、大気に比べて海が暖かいので、露天風呂のようにどんどん湯気が出て、雲が発生し、ちょうど冬の日本海のような感じになります。実際、私達が北極で観測した筋雲は、日本海で発生する筋雲と同じでした。大体、昔の北極では、ドップラーレーダーにはっきりと映る雲など存在しませんでした。はっきりと映るということは、背が高く、雪が降る対流性の雲が存在するという証拠なのです」

そして、今年(2012年)9月20日、宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、水循環変動観測衛星「しずく」で観測した北極海の海氷面積が、9月16日に349万km2まで減少し、観測史上の最小記録を更新したと発表した。これまでの記録だった2007年9月の425万km2から、日本列島2つ分も小さくなった。1980年代の平均的な面積と比べると半分以下である。特に激しく減少したのは、8月半ばのこと。巨大な北極低気圧が海を攪拌し、猛烈なスピードで海氷が融けていったことが分かっている。

2012年9月16日に水循環変動観測衛星「しずく」が観測した北極海の海氷の観測史上最小分布 (検証中) (C)JAXA

1980年代の9月最小時期の平均的分布(米国衛星搭載マイクロ波センサの解析結果) (C)JAXA

我々は、「しずく」をはじめとする衛星によって、宇宙から北極の海氷や雲の様子をリアルタイムに観測できる時代にいる。しかし、衛星から得られるデータに限界があることは、意外に知られていない。

「人工衛星は、基本的に表面にあるものしか分かりません。例えば、雲の赤外画像は、雲頂の温度しか分かりません。その雲がどれくらいの厚さなのか、雲の中の風速、気温、湿度などの情報は手に入らないのです」(猪上淳・チームリーダー)。

薄い霧状の雲が覆う、かつての北極であれば、衛星観測で十分だったかもしれない。しかし、分厚い対流性の雲が発達し始めた現在、それだけでは足りないのだ。

衛星では観測できない、雲の内部を観測する方法、それが、センサと送受信機を搭載し、水素やヘリウムで膨らませたゴム風船、ラジオゾンデである。この一見アナクロな観測機器が、世界中の天気予報を成り立たせている主役なのだ。

問題は、観測する場所が北極であることだ。南極なら、大陸があり、基地がある。しかし、北極は、海氷に覆われた海である。観測できるのは、船しかない。

JAMSTECの海洋地球研究船「みらい」には、ラジオゾンデを打ち上げる自動放球装置が搭載されている。さらに、レーザー照射によって雲低の高度が計測できるシーロメーター、雲の中の降雨や上層の風を観測できるドップラーレーダーも搭載されている。

ラジオゾンデ、シーロメーター、ドップラーレーダーの同時観測ができる船は他国にはない。砕氷船でも不可能な北極低気圧の観測研究が可能となるのは、この独自な設備による。

「ラジオゾンデの打ち上げは、基本6時間間隔。北極低気圧の接近など、面白い現象がやってきたときは、3時間間隔になります。これは、1人で操作できる自動放球装置がなければできないことです。風が強いと、バルーンを膨らませるために数名が必要になり、限られた乗船者ではローテーションを組めなくなるからです」(猪上淳・チームリーダー)

2010年の航海では、7人でラジオゾンデを200個以上放球した。これは2009年の最多記録136個を大幅に上回る数だった。

北極の空に打ち上げられたラジオゾンデ。右手前に見える白いドーム内に気象観測用ドップラーレーダーが収納されている。その左下に見えるのが、ラジオゾンデ自動放球コンテナ 。上にある筒状のものが自動放球装置である (C)JAMSTEC

ラジオゾンデ観測のために船の体制を整えることが困難な場合は、自動放球ではなく手放球で対応しなければならない。船上での研究チームの毎日は極めて多忙である (C)JAMSTEC

スパコンのシミュレーションから見える北極温暖化の日本への影響

観測結果は、温暖化予測分野ではJAMSTECが誇るスーパーコンピュータ「地球シミュレータ2」上で、再解析データなどに活かされる。再解析データとは、過去数十年間の気象観測データを解析して、地球全体の大気の流れをコンピュータ上に再現したもの。これまでに起きた気候変動や異常気象を詳細に調べることができるシミュレーション技術の一種だ。

「いま注目しているのは、2010年のクルーズで観察された北極の低気圧です。この低気圧を真下で観察しながら、ラジオゾンデをたくさん打ち上げた結果、上空の大気の渦を確認しました。再解析データでは、このような、成層圏が下まで降りてくるような現象を、うまく再現することができました。さらに、海氷が融解することで、北半球の偏西風の強さが変わったりする気象現象の因果関係も見えてきました。我々の観測データを取り除いたら、地球全体の気象がどう変化するかというシミュレーションもしています。北極圏の気象データが、他の地域の気象にどれだけ影響を与えているかが分かるわけです。まだ解析中ですが、中緯度地域に何らかの影響を与えるという結果が出ています」(猪上淳・チームリーダー)。日本は、地球全体から見ると中緯度地域に位置する島国である。北極の温暖化は、日本にも影響を与えるのだ。

太陽光は赤道付近に最も潤沢に降り注ぐ。赤道域は、太陽のエネルギーによって地球気候システムを駆動するエンジンのように働く。逆に、あまり太陽光が当たらない北極は、宇宙へと熱を放出している。つまり、地球を冷やすラジエーターのような働きをしている。ラジエーターが効かなければ、地球気候システムはオーバーヒートしてしまう。

北極の海氷は、このラジエーターの制御装置だ。北極の大気は、冬にはマイナス30度以下になる。一方、海水はせいぜいマイナス2度にしかならない。そのまま放っておけば、膨大な熱が海水から大気に移動する。しかし、間に海氷があれば、「断熱材」として働いて熱の移動を妨げ、北極の気候を安定化させる。

いま、「断熱材」である海氷はなくなりかけている。あふれだす北極の冷気は、どこまで日本に影響を与えるのだろうか。

「みらい」は、今年(2012年)も、国立極地研究所が代表機関となった北極気候変動研究(GRENE)事業のもと、9月3日に青森県関根浜港を出港し、北極圏の気象観測を続けている。今回の航海では、「しずく」による海氷分布などのデータが、1日3回「みらい」に提供され、最適な航路や観測海域選定のための情報として利用されている。さらに、「みらい」によって得られた北極海域に関するデータは、JAXAにも提供され、「しずく」観測の精度検証などに利用されることになっている。北極温暖化の影響は、宇宙と海洋の協力体制がなければ、解くことはできないのだ。

なおJAMSTECでは、2012年11月13日13時より、ヤクルトホール(東京都港区)にて「急激な北極域の変化と地球環境への影響」と題した講演会を開催する。入場料は無料で、参加は講演会Webサイトからの申し込み、もしくは後援会事務局へ連絡することで可能となる。