東京大学(東大)は、生命にとって必須なアミノ酸「セリン」が、絶対独立栄養性水素細菌「Hydrogenobacter thermophilus」において新規な酵素によって生合成されていることを発見したと発表した。同時に、この新規な酵素の遺伝子は同細菌以外の生物にも存在することから、それらの生物でも同酵素の働きによってセリンが生合成されている可能性が示されたことも併せて発表されている。

成果は、東大大学院農学生命科学研究科 応用生命工学専攻の博士課程3年兼日本学術振興会特別研究員DC(当時)の千葉洋子氏、同新井博之助教、同石井正治准教授、同五十嵐泰夫教授、東大大学院農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻の大島研郎准教授らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、4月6日付けで「The Journal of Biological Chemistry」に掲載された。

多くの生物において、セリンは「ホスホセリン脱リン酸化酵素(PSP)」(ホスホセリンの「リン酸基」を加水分解により除去することでセリンを生成する反応のホスホセリン脱リン酸化反応を触媒する酵素)の働きによって「ホスホセリン」から作られる。

今までPSPは1種類しか知られておらず、このPSPが、ある種の微生物から高等生物まで幅広い生物で使われていることが知られていた。そして、このPSPを有さない生物には、ホスホセリンからセリンを生合成する能力はないと考えられてきたのである。

しかし、今回の発見により、同細菌のように既知のPSPを欠いていても新タイプのPSPがあればセリンを生合成できることが明らかになったというわけだ。

同細菌は独立栄養性水素細菌に属し、水素エネルギーを用いて二酸化炭素を同化し、これを唯一の炭素源として増殖可能な微生物である。既存のPSP遺伝子を欠いていることから、これまではセリンの生合成経路が不明だった。

しかし、同細菌はセリンを含むすべての細胞構成成分を二酸化炭素から生合成可能である。よって、何らかの方法でタンパク質の構成成分であるセリンを生合成しているはずなのは推測されていた。

また、同細菌はホスホセリン生合成能力を有することもこれまでの研究から確認済みである。千葉氏および石井正治准教授らのグループは、この矛盾に注目し、同細菌にはホスホセリンとセリンをつなぐ未知の酵素があるのではないかと推察した。そして、その未知酵素の探索を行ったのである。

まず、千葉らは同細菌がホスホセリンからセリンを生合成する酵素活性(=PSP活性)を有することを確認。そこで、この活性を有する酵素タンパク質が何者か決定することにした。

具体的には、同細菌を大量に培養し、菌体の中に2000種類近くあるタンパク質の中から、ホスホセリン脱リン酸化活性を有するタンパク質を精製したのである。そして、タンパク質を構成するアミノ酸配列の一部を解読することで、同タンパク質をコードしている(=同タンパク質に対応している)遺伝子を決定したというわけだ。

その結果、同細菌では既知のPSPとは進化的な起源がまったく異なる新規な酵素タンパク質によってPSP反応が触媒されていることが明らかになったのである。すなわち、1タイプしかないと考えられてきたPSPには、少なくとも2タイプあったというわけだ。

類似なタンパク質は類似な遺伝子にコードされているため、ある生物のゲノム(ある生物の有する遺伝子情報の総体)情報が得られれば、その生物が例えばPSPを有しているか否か、実際にその反応を検出しなくてもある程度推測できる。

一方、今回のように遺伝子配列がまったく異なる未知のタンパク質によってその反応が触媒されている場合、ゲノム情報のみからではその存在は予測できない。

近年、次世代シーケンサーなどの台頭によりゲノム情報が飛躍的に増大している。その情報を有効に活用するためには、それぞれの遺伝子がどのような働きを有しているかという知見を蓄積することが火急の課題だ。

今回新規なPSPを発見したことで、ほかの生物にもこの新規なPSPが存在するかどうかを予測することが可能になった。実際、新規PSPの遺伝子に類似な遺伝子は、シアノバクテリアなどHydrogenobacterとは門レベルで異なる多様な生物のゲノム上に存在し、その中には既知のPSP遺伝子を欠くためにこれまでセリンの生合成経路が不明であった生物も多数存在していたのである。

従って、このような生物の少なくとも一部も、今回の新規酵素によってセリンを生合成している可能性があるという。また、生物にとって根源的なアミノ酸生合成系に多様性があることは、生物およびその代謝の進化を考える上で興味深いと、研究グループはコメントしている。

なお、セリンのような基幹物質の流れ、すなわち生合成経路を解明することは、産業的にも役立つという。同細菌のような独立栄養性細菌は二酸化炭素から有機物を生合成できるため、二酸化炭素からの有用物質生産という観点からも注目されている。

これら細菌に有用物質を効率的に生産させるためには、まずそれらの物質がどのような経路で作られるのか「細胞内の地図」を得ることが必須だ。従って新規なセリン生合成酵素の発見は、応用研究への基盤を固めるという点でも重要な発見なのである。

画像1。Hydrogenobacter thermophilusのセリン生合成経路