日本児童文化研究所と神工大が相澤ロボットを共同修復
7月29日、神奈川県厚木市の神奈川工科大学 KAIT工房で、財団法人日本児童文化研究所と神奈川工科大学が共同で実施するロボット修復プロジェクトの発表会が行われた。
このプロジェクトは、同財団の初代理事長で、通称「ロボット博士」として活躍した故・相澤次郎氏(1903-1996)が昭和30年代から昭和50年代にかけて製作した大型ロボットたちを、できるだけ製作当初の状態へ修復しようというもの。
修復されるロボットたちは、北海道夕張市にて2008年夏に閉館し取り壊された「ゆうばりロボット大科学館」に寄託展示されていたもので、2008年12月1日に現財団のもとへ里帰りし、保管されていた。今後は段階的に修復を進め、各種イベントなどで展示を行っていく予定だという。
当時、相澤ロボットたちは雑誌やテレビにもよく登場し、"ロボットのひみつ" のような児童書の表紙も飾っていた。特に、「EXPO'70 日本万国博覧会」、いわゆる大阪万博のフジパンロボット館に展示されたロボットたちは、日本の子供たちのみならず世界中の人たちと触れ合い、大いに人気を博した。大阪万博の後も1980年代前半(昭和60年代末期)までデパートのイベントなどで全国を回っていたので、子供のころに相澤ロボットに出会ったという人は相当に多いことだろう。
フジパンロボット館で配布されたという記念ポストカード |
レンチキュラーレンズにより「巨人ロボット 九郎君」の内部構造が見られる |
右側は万博後に上部ロゴ部分をカットしたもので "相澤次郎" のサインが入っている |
アンテナのついた四角い頭に、大きな円いライトの目、ブリキのロボットがそのまま大きくなったようなスタイルに、原色系の赤や青によるサイケなカラーリング(個人的には「ウルトラマンタロウ」のZATのユニフォームやメカに近いものを感じるのだが、相澤ロボットの影響もあったのだろうか?)。特徴的なデザインの相澤ロボットたちは、確実に昭和時代のロボットのイメージとして人々の間に定着している。相澤次郎や日本児童文化研究所という名前は覚えていなくても、実在するロボットと言えばコレ! という存在だったハズだ。
私事となって恐縮だが、筆者は2006年10月にオープンした「ロボットミュージアム in 名古屋」(残念ながら翌年に休館)に歴史展示スタッフとして関わった際、相澤ロボットの展示コーナーを設けた。それきっかけとして、相澤次郎氏の歩みを書籍にするために資料収集やご遺族への取材などを続けている。このレポートは、今回の発表会の内容に取材で得た情報も補足しつつ、まとめてみたい。