日本の「時」は東京で作られている

東京郊外の小金井市。まだ武蔵野の面影をとどめる緑豊かな住宅街の一角に、情報通信研究機構(NICT)はある。その名の通り情報通信事業に関するさまざまな研究・支援を行なう独立行政法人だ。日本の時刻の基となる日本標準時は、ここで作られている。それを示すかのように、正面玄関上の壁面では巨大なデジタル時計が静かに日本標準時を刻んでいる。

日本標準時といえば、兵庫県の明石を思い浮かべる人も多いだろう。明石市立天文科学館では、今も塔上の大時計が日本標準時を刻んでいる。これは1888年(明治21)以来、東経135度の子午線の時刻が、日本標準時であると定められたことによる。つまりこの大時計は、東経135度線の真上に建つ日本標準時の"基準点"ではあるが、「時」そのものを作っているわけではない。では「時」はどのように作られるのだろう。情報通信研究機構の今村國康研究マネージャーに話を聞いた。

「時間を作るのには、まず秒を決めることから始まります」。日本標準時を決定・維持・供給するという"日本標準時プロジェクト"を担当する、時間のエキスパートはこう説明を始めた。かつては1秒の長さを地球の自転や公転から決定したという。だが天文の動きは不安定なため、1秒の長さも安定しない。そこで安定性の高い"原子放射の周波数"に基づいて1秒を定義することに改定されたのだ。1967年のことだった。

"原子放射の周波数"といわれても、ピンと来ない人も多いだろう。「簡単にいえば、セシウム133という原子が、91億9,263万1,770回振動する時間を1秒と定めた」という。この振動を作り出すのが「セシウム原子時計」で、30万年に1秒程度しか誤差が出ない精密さを持つ。日本の標準時には、世界中の原子時計が刻む国際原子時(TAI)を、地球の運行に基づく世界時(UT)に合わせて調整した、協定世界時(UTC)が使われている。時々うるう秒調整が行なわれるのは、UTは地球の動きなどにより変化して、両者に差が生じるためだ。

日本標準時を作り出す情報通信研究機構(NICT)。日本標準時を作成できる日本で唯一の機関である

「日本標準時の正確さは世界でもトップクラス」と語る通信情報研究機構の今村國康研究マネージャー

原子時計の驚く正確さ

「では、実際に見ていただきましょう」。ICカードでドアをいくつも通りぬけて建物の奥まで進むと、ガラスの向こう側に機器類が並ぶだけのさほど広くはない空間が現れた。思わず、「ここですか?」と聞きたくなるほどシンプルな作りだ。

情報通信研究機構内には、18台のセシウム原子時計と水素メーザ4台が設置されている。セシウム原子時計は長期間(1日以上)、水素メーザは短期間(1日以下)の周波数安定度が優れているそうで、相互の時刻の差を平均化することにより、さらに精度の高い時刻を作ることができる。もっとも、時計自体は温度や湿度、地場など環境の影響を受けやすいため、原器室と呼ばれる特別な部屋に収められており実物を直接は見ることはできない。目の前に並ぶ機器は、原子時計から送られてきたそれぞれの時刻を平均・合成して、協定世界時を生成する測定器群だ。現在、世界中で50の機関が300台の原子時計を使って時を作り出しており、その内の18台がこの部屋の奥で稼動している。「計器の光の点滅が、原子時計が作り出した1秒です」と今村さんが指差すのは、点滅するグリーンのパルス。生まれたばかりの時間だと思うと、ワクワクしてくる。

左手に置かれたセシウムを熱すると、原子ビームが飛び出す。均一な原子に固有の周波数を当てると、通過した原子の量で1秒の長さが決まる

すべてコンピュータ制御で自動化されており、驚くほどシンプル

こうして生成された時刻に、東経135度の時差である9時間を進めたものが日本標準時となる。これら一連の作業は、すべてコンピュータ制御で自動化されており、時を作り出す現場に人影は見当たらない。機器類だけが、静かに時を作り出し続けているのだ。しかもこの作業には3系統が用意されているため、万が一機器が故障しても時間が途切れる事態が起こることはないそうだ。

さらに時刻の生成後も、国際的な時刻と比較をすることで、より正確なものとなるよう管理・維持されている。GPS衛星に搭載されている原子時計との時間差を比較したり、通信衛星でさまざまな国が出した時刻との差を計算したりするのだ。この作業では、数億分の1秒から数百億分の1秒という高い精度で時刻を比較できるという。そのデータは、国際度量衡局(BIPM)に送られ、最終的な国際原子時と協定世界時に反映される。通信情報研究機構では、BIMPの協定世界時との差が±10ナノ秒(1ナノ秒は10億分の1秒)以上にならないよう、管理しているという。気の遠くなるような正確さだ。

正確な日本標準時が作られたら、次はいよいよ供給となる。インターネットやアナログ電話回線など、現在ではいくつかの供給方法があるが、なんといっても主役は電波による送信だ。日本には、福島県の「おおたかどや山標準電波送信所」と、佐賀県と福岡県にまたがる「はがね山標準電波送信所」の2ヶ所の送信所がある。原子時計によって作られた日本標準時の信号は、ここで「時・分・1月1日からの通算日・年・曜日」等を表す0と1を組み合わせた時刻コードに変えられ、長波帯の標準電波にのせられて日本全国に送信されるのだという。これにより、誰もが誤差のほとんどない正確な時刻を利用できるのだ。明治21年に日本標準時がはじまって今年でちょうど120年。その進化には驚くばかりである。

30万年に1秒程度しか誤差を生じないセシウム原子時計。ビデオデッキを少し大きくした程度のコンパクトさだ
提供:独立行政法人情報通信研究機構

1日以下の短期間の周波数安定度がすぐれている水素メーザ。現在4台が設置されている
提供:独立行政法人情報通信研究機構

18台の電子時計から送られてきた時刻をここで平均・合成する。グリーンのパルスが、1秒ごとに光って時を刻んでいる

時・分・通算日・年(西暦の下2桁)・曜日などの情報が、ディスプレーに見えるようなタイムコードに表されて電波で送られる

時間の誕生。上から日本標準時、協定世界時、世界原子時。うるう秒での調整があったため、協定世界時は世界原子時から33秒遅れている

放送局の時報合わせなどのアナログ電話回線による日本標準時の供給や、インターネットによるオンライン時刻同期もここで行なわれている

おおたかど山標準電波送信所は、日本初の長波帯電波送信所の実用局。1999年送信を開始、日本列島ほぼ全域をカバーする
提供:独立行政法人情報通信研究機構

2001年に送信を開始した「はがね山標準電波送信所」は、運用バックアップと、西日本エリアへの安定供給が目的だ
提供:独立行政法人情報通信研究機構