一方、同社は1994年に車両製作所を設立、自ら車両の開発、製作にも乗り出すことで車両の購入コストを圧縮したり、輸送障害が発生した際のバックアップ機能を高めた新型車両を中央線などに導入するなど輸送面でもさまざまな革新を図っている。

1964年の新幹線開通以降、国鉄時代は一度も車両のモデルチェンジをしなかった。その理由は、大赤字や労働問題など、多数ありました。しかし、国鉄は最も貴重な研究開発/設計/建設/製造という創造的な分野を外注し、自社の車両部門では保守修理など割りの悪い分野ばかりやっていたのでは、現場は不満が残る上に会社に知的財産が残らない。

そこで私は修理専門の工場から創造的分野への進出させ、設計/製造/運行/保守までの一環した技術的知的財産を保有し、それをフィードバックさせるシステムを構築したいと考えました。まず、新しい車両のコンセプトとして"コスト半分、寿命半分、重さ半分"の車両をつくるよう、指示しました。非常に荒い計算から出した指示で、最初、現場は「できるわけがない」と言い張りました。しかし、実際やらせてみたら価格は3割ほど安い車両ができた。いまの京浜東北線で使用されているタイプです。おもしろいことに、走らせたら寿命は13年程度で本当に半分でした。

それから、通勤への混雑を減らすために、椅子のない通勤車両を作るように指示しました。山手線で運行されている、収納型腰掛の6扉車がそれです。導入時、マスコミに叩かれましたが、お客様や関係者には非常に評判がよく、「採り入れたい」と他の線区からの要望を多数受け、いまでは総武線、京浜東北線など多くの線区で走っています。

現在のJRでは、OA化推進委員会が設置され、列車の配車システム"ATOS"、駅収入管理システム、経費把握システム、輸送総合システムなど、情報システムも完備された。情報専門子会社も設立され、世界オンリーワン技術の創造とインソーシング、デファクトスタンダートの確立している。

国鉄時代の旧司令室と現在のATOS(東京総合司令室)。イノベーションの変遷がはっきりわかる

「最先端であれ」という考えのもと、新津には世界最新鋭の車両工場があります。その一方で、いまは高齢化社会。私自身も年を重ね、いつでも座れる車両をつくりたいと思うようになりました。椅子のない通勤電車を作るように指示した私がそう思うのも不思議なものですが、それが今の私の夢なのです。