その背景には国家機関である国鉄には制約が多く、たくさんのタブーが生まれていた。民営化されたJRにおいて、山之内氏は"タブーへの挑戦"を数多く実践した。

当時、国鉄には"しちゃいけない"という企業文化があり、新幹線を作ったころの情熱ある企業の姿はなかった。外部から招聘した役員に「中に入ってみて、これほどひどいと思わなかった」と言われたこともあるほどでした。しかしそのタブーに挑戦してこそ、新たな活気が生まれると考えました。

当時の大きなタブーのひとつが自動改札。1970年代、関西はすでに自動改札が多く利用されていましたが、関西のお客様は私鉄だけで完結するから導入もスムーズでした。それに対して、東京は乗り入れが多く難しかった。実は、国鉄は何もしなかったわけではなく、武蔵野線だけ導入したことがあります。ところが、お客様が武蔵野線だけでは完結しないので、改札はパニック。自由通路のようになり、大失敗したんです。

やはり、導入は大規模で行わなければならない。そこで発想を転換し、当時、無銭乗車(キセル)で1年間で300億円損をしていたことを例に挙げて「自動改札ならキセルを捕まえられる」と、説得にあたりました。すると決議もスムーズに下りたのです。

最初から非接触式でいきたかったけれど、当時、ICカードは1枚あたり2,000円ほどかかるため、コスト的に難しい。そこでまず接触式のイオカードを使い、自動改札をスタートさせました。

その後の技術の信頼性が向上し、非接触式ICカードの単価も500円前後に低下。400万枚の発行を想定し、2001年1月1日使用開始を目指した。そして、2001年11月。長年の悲願だった非接触式ICカード「Suica」を導入。現在、その発行枚数は2,000万枚を突破し、首都圏のほぼ全線で利用できるだけでなく、電子マネーとして、都会で暮らす人々の生活に浸透している。

Suicaはスマートで、便利。混雑時もスムーズにお客様が流れるのに、キセルもない。非接触式ですから、改札装置も壊れにくい。券売機の数とスペースを削減できる。このように、数々の利点があります。モバイルSuicaのように携帯電話でも使えるよう、利便性を追求し、ユキビタス社会への有力ツールとなりました。さらに、私鉄との協調体制も構築され、汎用マネーカードとしても発展した。長い間の地味な技術開発の努力の積み重ねが実りました。