羽田発11時50分のJAL便に乗って、とかち帯広空港へ。そこからタクシーで大樹町多目的航空公園に到着。タクシー料金は9,800円也。航空公園の入り口を入るとすぐに大きな格納庫があって、そこが受付になっている。
まずは受付を済ます。取材は事前に申し込んでいたので、名前を言うだけでOK。ロケット打ち上げは、一歩間違うと人身事故につながる。「事故の場合の自己責任について」に署名をして、見学や取材が許される。実際の作業は、海岸寄りの町有地で行われている。まず目に入ってきたのが、青いテント。北大の学生さんたちが設営中。
そして、4日の打ち上げに備えて、ランチャーや管制室が手際よく設置されていく。青と白のランチャーは、スマートに見えて実は堅固。植松電機の社員、杉田勝昭さんが設計して製作したもの。「1、2秒で角度が変えられるようなものにしたかった」というランチャーは、一人でも打ち上げの角度を簡単に変えることができる。この使い勝手の良さには、経験45年というベテランの知恵が凝縮されている。
カムイロケットの生みの親である永田晴紀教授は、白いビニールのレインスーツに紺の長靴。低く垂れ込めた雲の下で、努めて明るく振舞いながら、天気が心配でならない様子。台風が北海道を直撃しそうだというニュースもさることながら、肌で感じる雨風はただごとではない。打ち寄せる波も、その激しさを増してきている。
16時20分から、永田先生の「子供ロケット教室」。小さなノートパソコンでカムイロケットの燃焼実験の様子などを見せながら、子供たちに語りかける。
「宇宙飛行士になりたい? だったら、ロケット、自分で作っちゃえばいい。乗りたかったら乗ればいい。ここには、こんなすばらしい施設があるんだから。こんな設備がある町は、日本中探してもなかなかないよ」
という先生のメッセージに、子供たちは嬉しそうな笑顔。
その後、永田先生は漁協との打ち合わせに出かけられた。今回の洋上回収は、大樹町の漁協の方々が船を出してくださることになっている。海が荒れて船を出せないということになれば、洋上回収が不可能なので、打ち上げは見送らざるを得ない。空は相変わらずどんよりと暗い。
17時から記者会見。今回のミッションでは、地上からロケットの制御ができるようにすることと、新しいエンジンを試すことが目的。とはいっても、エンジンの開発については、「打ち上げ前に完成している」のだそうだ。ロケット屋さんにとっては、打ち上げの日は一つの区切りには違いないが、打ち上げられるようになったということは、すでにエンジンが完成しているということなので、打ち上げの日には、すでに次のエンジンをどうするかということを考えているという。もし打ち上げられなかったとしても、次の打ち上げのときには別のエンジンを使う。ここが衛星開発者との大きな違いなのだそうだ。
夜を徹しての準備がなされるのかと思いきや、22時20分には、すべての準備作業が終了。植松電機の社員、前田祐義さんと鈴木恭平さんの二人は、ランチャーをセットした場所のすぐそばに車をとめて、車中泊。緊張、心配、不安、期待といったさまざまな感情が交差する中で、何かあったらすぐに対応できるようにとの心配り。明日、点火スイッチを押す担当の鈴木さんは「あーやばい、やばい」を連発。心配性の前田さんは、緊張してあまり眠れなかったという。
彼らの上司である植松努さんは、寿都でロケット教室の先生をして、数百キロを運転して駆けつけ、数時間の仮眠をとって、打ち上げをして、その翌日はまたロケット教室のために函館まで運転するという強行軍。到着するなり、テレビカメラに囲まれて、コメントを求められた。
「ぜひ成功させてやりたい。信頼性は十分。気がかりなこと? 台風ですね。それと、みんなが慌てすぎないこと。機材は大丈夫と思います」と植松さん。