日本を代表する企業と言っても過言ではないトヨタ自動車では、そのクルマづくりで培った技術を環境への取り組みにも積極的に活用している。
そんなトヨタ自動車が掲げる「トヨタ環境チャレンジ2050」のなかの1つである「人と自然が共生する未来づくりへのチャレンジ」では、データ分析や音声認識、機械学習、シミュレーションなどの技術を活用して、森林のモニタリングや鳥の鳴き声調査、ワナにかかる哺乳類の調査といった、従来人の手で行ってきた作業をデジタル化することで、大きな成果を挙げているそうだ。
こうしたデジタル化のなかで活用されているのが、今日のクルマづくりでは欠かせないソフトウェアとなったMATLABであった。
「トヨタ環境チャレンジ2050」で「人と自然が共生する未来づくりへのチャレンジ」を推進
1960年代から環境への取り組みを開始し、1992年に「トヨタ地球環境憲章」を策定して、クルマづくりとともにさまざまな環境の取り組みを進めてきたトヨタ自動車。2015年には地球環境に対する2050年までの長期的な取り組みである「トヨタ環境チャレンジ2050」を策定し、「もっといいクルマ」「もっといいモノづくり」「いい町・いい社会」の3つの領域で「新車CO2ゼロチャレンジ」「工場CO2ゼロチャレンジ」など、6つのチャレンジに挑んできた。その1つとして、自然との共生をテーマに取り組むのが「人と自然が共生する未来づくりへのチャレンジ」だ。
先進技術統括部 西田晃史氏は、このチャレンジでの取り組み内容について、こう話す。
「トヨタの森づくり、環境活動助成、環境教育貢献という3つの柱で、3つのプロジェクトを推進してきました。植樹活動を中心に各地域の行政や地元企業などと連携するToyota Green Wave Project、世界各国の自然保全活動団体と連携するToyota Today for Tomorrow Project、未来に向けた環境教育プログラムを推進するToyota ESD Projectです。これらのプロジェクトは世界中の拠点で実施しており、私の所属する部署は昨年全面稼働した愛知県・トヨタテクニカルセンター下山や、北海道・士別試験場、静岡・東富士研究所など、トヨタのテストコースのある拠点を担当エリアとして、活動をおこなっています」(西田氏)
このチャレンジでは、2030年のマイルストーンとして“自然と共生する工場”を掲げており、生物多様性の損失を止め、反転を目指すネイチャーポジティブ(自然再興)にも積極的に取り組んでいる。トヨタ自動車を代表する「プリウス」などを生産する堤工場の一角にビオトープを造成し生物多様性の回復を目指したり、里山の再生を目指した植樹や生物が生息しやすい環境の維持、モニタリングを行ったりしている。
こうした自然との共生の取り組みのなかで、西田氏が担当しているエリアの各拠点で活用されているのがMATLABだ。
「MATLABはクルマのモデルベース開発環境として活用している他にも、走行試験などの様々な実験データの解析に用いるなど、研究開発に欠かせないソフトウェアでもあります。日頃からツールとして使い込んでいる者も多く、私も何か作りたいものがあったときにまずMATLABを使ってみています。クルマづくりで培った技術をさまざまな領域に展開していく際にMATLABは非常に役立ちます」(西田氏)
ドローンLiDARによる森林計測で、MATLABのデータ解析アルゴリズムを活用
自然と共生する工場やネイチャーポジティブの取り組みなど、MATLABはさまざまなシーンで活用されている。ここでは3つの取り組みを紹介したい。
1つめは、ドローンLiDARによる森林計測だ。トヨタでは森林のCO2吸収量を向上させてカーボンニュートラルに貢献する取り組みを進めており、これらをネイチャーポジティブの取り組みと両立させることで、施策の成果向上を狙っている。
「CO2吸収量を最大化するには植樹する量を増やすことが有効です。ただそうなると単一的な環境になり生物の生育環境に悪影響を与える可能性があります。そこでドローンによるセンシング技術を使って、森林の状態を計測し、どういった状態で生物多様性とCO2吸収量が両立できるかを評価していくことが重要になってきます」(西田氏)
ドローン搭載したLiDARで森林を計測し、取得した3D点群データを解析することで樹木の本数、樹高、幹の太さの推定を行った。課題となったのは、3D点群データから、森林の状態をどうデータ化するかだ。樹高はMATLABで森林断面を解析して地表面との差を計測して得ることができた。ただ、本数や幹の太さは、すんなりとはいかなかったという。そこで活用したのが形状解析や流域解析などで使うWatershedアルゴリズムだ。
「複数の木が連なっている樹冠(枝や葉が茂った部分)の形は断面図で見るとギザギザしています。それを逆さまにすればギザギザした形の底を持つ容器のように見立てることができます。そこで容器に水を入れ、どこにどのくらい水が溜まるか(=樹冠の大きさ)を計測して、それをもとに木の本数や幹の太さをデータ化していきました」(西田氏)
森林計測では、MATLABで解析したデータをGISと連携させ、地図上で森林の状態を一目でわかるように表示する工夫も行っている。このように森林計測をドローンで実施できるようになったことで、従来は人が森林に入って目視などで行っていた調査を大幅に効率化できるようになった。
「森林調査の多くは人が森林に直接入って15m × 15mといった範囲で部分的に行います。手間がかかるうえ、全体を見ることが難しいという課題がありました。ですがドローンによる計測とMATLABを使った状態の解析により、森林全体を観ながら、継続的に状態を把握していくことができるようになりました。トヨタテクニカルセンター下山とトヨタ三重宮川山林でドローン計測とCO2排出量の算出を行ないましたが、今後は、対象範囲を広げながらカーボンニュートラルとネイチャーポジティブの両立を図る取り組みを進めていく予定です」(西田氏)
鳥の鳴き声を録音した音声データから、特定の声を検知して生息状況を確認
2つめの取り組みは、音声データ解析による鳥類の鳴き声調査だ。ネイチャーポジティブの取り組みでは、どこにどのような種類の生物が生息しているかをモニタリングすることが重要になる。
「特定の箇所で一定期間内にどのくらい鳥が鳴いたかを計測し、その数で繁殖行動が行われていると判断して、生息を確認します。北海道の士別試験場では、希少種の渡り鳥であるオオジシギをモニタリングしています」(西田氏)
ただ、こうした生物モニタリング調査は個人の技能に依存しやすく、例えば、鳥の数を数え分けたり、鳥の鳴き声を聞き分けたりするには、専門家の知見や経験が必要だったという。
「社員だけで鳥の鳴き声を判別することは難しかったため、個人の技能に依存しない調査手法を開発しようと思いました。具体的には、機械学習で鳴き声を検知するものです。録音機材を木にくくりつけて、1日分の音声データを取得。その音声データをスペクトログラムという画像形式に変換し、機械学習で学習します。この機械学習モデルを使うことで、音声データを用意するだけで、そこから鳥の鳴き声だけを自動的に検出できるようになりました。現在は、社員だけでいつでも効率的に鳥の鳴き声調査が実施できる状況です」(西田氏)
MATLABを利用するメリットは、録音データの調整から、データの前処理、機械学習の実施、学習したモデルによる検出などを一貫して行える点だ。MATLAB App Designerを用いてGUIを備えたアプリケーションを作り、このアプリケーションから、スペクトログラムの確認や検知した鳴き声の確認、鳥の数の確認などが可能だ。
「音声の処理は経験が少なかったので、MathWorksさんに相談して音声解析の専門技術者の方からアドバイスをいただきました。具体的には、スペクトログラムを作る際に人の可聴域に合わせて調整すると検出精度が上がること、音声解析の機械学習で用いるモデルとしてYAMNetを利用するとよいといったアドバイスをいただきました」(西田氏)
音声データがあれば生物モニタリング調査が可能になるため、他の拠点への横展開もしやすい。今後は、オオジシギだけでなく、他の鳥の鳴き声についての学習や、他拠点での利用も進めていくことを検討している。
中型哺乳類調査のために、映像データを簡単に確認できるアプリをMATLABで開発
3つめの取り組みは、中型哺乳類調査の効率化だ。士別試験場では、ワナにかかるアライグマなどの駆除活動を行っている。そのなかでワナの近くにモーションセンサーが付いた監視カメラを設置し、ワナに近づく動物を記録しているが、映像の確認に手間がかかっていたという。
「動物を検知すると自動的に録画データがメールで転送され、特定のフォルダに保存される仕組みです。ただ、映像を確認するときはフォルダ内の映像ファイルをひとつひとつ開いて確認する必要があり、大きな手間となっていました。この確認作業を効率化したいと考えていたときに、映像を確認することでどのような動物がどのくらい生息しているかの調査に使えないかと思いつきました。そこでMATLABで映像確認のためのツールを作りました」(西田氏)
MATLAB App Designerで作られたこのツールを利用すると、フォルダ内の映像ファイルがリスト表示され、1つの画面内で動画の内容も見ることができる。映像に残っていた動物についても「アライグマ」「シカ」「タヌキ」「キツネ」などの項目をクリックしていくだけで、データ化が可能だ。
「映像を確認する作業が効率化できたことももちろんですが、動物の生息状況がわかるようになったことは大きい成果です。アライグマの駆除は専門家の方と協力して行っていますが、その方によると、アライグマの生態には、そのエリアにおけるほかの動物の生息状況が大きく影響するそうです。例えば、タヌキやキツネといった、近い大きさの動物がいると、お互いに遭遇しないように行動する時間や場所を変えるそうです。映像データからいつ行動しているかの統計をとることである程度行動パターンが見えてきます。それらを参考に専門家からアドバイスを得て、駆除を行っているわけです」(西田氏)
今後は、動画内の動物を自動判別する機能や、GISやBIツールと連携させた分析の高度化にも取り組んでいく予定だ。
このようにトヨタ自動車における環境の取り組みを推進するうえで、MATLABは欠かせないツールになっている。西田氏はMATLABを利用するメリットをこう話す。
「さまざまなアルゴリズムやモデルを使ったデータ解析が簡単に実施できます。また、他のシステムとの連携性も高く、LiDARデータを取得するソフトウェアや、GIS、BIツールといった外部のソフトウェアと簡単に連携できることも大きいです。App Designerを使ったツール開発も簡単で、生成されるコードも少し手を加えるだけで、十分に実務で使えるレベルでしょう。さらに技術サポートも手厚いため、やりたいことに対する実現手段がわからない場合にさまざまなアドバイスをいただくことも可能です。MATLABを利用する最大のメリットは、開発時間を短縮し、トライ&エラーによる精度向上がしやすくなることです。自然との共生はどうしてもアナログな作業が多くなってしまうため、そうしたアナログな部分をデジタル化していくことで、効率化と付加価値化を進めていきます」(西田氏)
今後もトヨタにおける「人と自然が共生する未来づくりへのチャレンジ」をMATLABが支えていく。