先日、TECH+で「Windows 11ユーザーが生んだ、Microsoftを揶揄する新造語「Microslop」とは」が注目を集めた記事の1つになりました。

AIブームをリードしてきたMicrosoftが、なぜここまで辛辣な言葉で揶揄されることになったのでしょうか。その背景には、ここ半年ほどネット上を騒がせている「AI Slop(AIスロップ)」論争と、それに対する同社CEO サティア・ナデラ氏の発言があります。

そもそも「AI Slop(AIスロップ)」とは何か?

AIスロップとは、簡単に言えば「AIによって大量生産された低品質のコンテンツ」を指す言葉です。かつて問題となった「メールスパム(Spam)」のAI版と考えると、イメージしやすいかもしれません。

「Slop(スロップ)」はもともと「ぬかるみ」を意味する言葉でしたが、1800年代には「残飯」や「家畜の餌」を指す表現として使われるようになりました。AIスロップが想起させるのは、まさに後者です。中身がスカスカで栄養(価値)のないAI生成コンテンツが、手間をかけずに大量生産されている状況を、皮肉を込めて表現しています。

日本ではまだ耳慣れない言葉かもしれません。しかし、SNSで流れてくる奇妙な画像やミーム動画、検索結果の上位を占める中身の薄い記事など、望んでもいないのに差し出される「デジタル・スロップ」は、すでに深刻な社会問題となっています。

昨年末、米辞書出版のMerriam-Websterが、2025年の「Word of the Year(今年の言葉)」に「Slop」を選出しました。その理由は、AIスロップによってインターネットの利便性が根本から損なわれ始めているという危機感にあります。

価値のないAIコンテンツの増殖によって検索精度が低下し「これは人間が書いたのか、AIの垂れ流しか?」と常に疑わなければならない心理的ストレスも増しています。ネット上の活動の大部分がボットとAIによるものになることで、人間同士の交流が失われる懸念も強まっています。

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    Merriam-Websterの「Word of the Year 2025」は「Slop」。他には「Gerrymander」「Touch Grass」「Performative」「Tariff」「Six Seven」などが候補となりました

生成AIブーム初期に問題視された「ハルシネーション(幻覚)」は、技術的なエラーであり、いずれ修正されることが期待されていました。一方でAIスロップは、質を度外視して「意図的に、あるいは無頓着に」ばらまかれる産物です。さらに、アルゴリズムがそれを拡散しやすい構造になっていることが、問題をより複雑にしています。

AIスロップ論争とナデラ発言、火種はどこにあったのか

それがなぜMicrosoftに飛び火したのかというと、きっかけとなったのはナデラCEOが年頭のメッセージの中で、「AIスロップ」という言葉に距離を置くかのように、以下の発言をしたことでした。

「私たちは『スロップか、洗練(Sophistication)か』という二項対立の議論を乗り越え、こうした新しい認知増幅ツールを備えた存在として、互いに関わり合うことを織り込んだ新しい均衡点を『心の理論』として確立する必要があります。これこそが、私たちが議論し、答えを出さなければならないプロダクトデザイン上の問いなのです」

ナデラ氏の意図は、AIの是非をめぐる議論を一段落させ、実用的な活用フェーズへ進もうという、前向きなものだったはずです。しかし、一部のユーザーやクリエイターには、AIスロップに日々悩まされている現実を前に、それを「議論の問題」として整理し、見過ごそうとしているように映りました。「デジタルゴミ問題の矮小化」と受け取られたのです。

「AI企業側の責任」を棚に上げ、「嫌がる消費者のマインドセット」の問題にすり替えているのではないか--。

こうした反発が、WindowsやOfficeへのCopilot統合に対する不満と結びつき、「Microsoft自体がスロップの量産側ではないか」という皮肉を込めた「Microslop」という言葉を誕生させたのです。

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    世界経済フォーラム年次総会2026において、サティア・ナデラ CEOは、AIの発展には技術的な進歩だけでなく、社会的に意味ある成果の実現と評価が不可欠と強調

この炎上は、AI活用を進める企業やブランドにとって重要な教訓を示しています。

ナデラ氏の言う通り、AIを人間のインサイトを補強する「足場(Scaffolding)」として使えば、これまでにない洗練されたコンテンツが生まれる可能性はあります。

しかし、単なる「安価な効率化ツール」としてAIを回し続ければ、それはブランド価値を自ら毀損する「スロップ・マーケティング」に成り下がります。すでに、人々は生成AIコンテンツの「飽和」に対して、明確な「拒絶」を示し始めているのです。

現代の「モダン・タイムス」を笑い飛ばせるか

このAIスロップ問題は、喜劇王チャーリー・チャップリンが工業文明の非人間性を風刺した「モダン・タイムス」を彷彿させます。

同作品には、労働効率を下げずに食事をさせるための自動給食機が登場します。しかし、機械が暴走し、主人公は無理やり口に食べ物を流し込まれ、悲惨な目にあいます。低品質なAIスロップを流し込むアルゴリズムは、まさにこの自動給食機そのものです。

主人公がベルトコンベアから流れてくるネジをひたすら締め続け、やがてネジ以外のものまで締めようとする姿は、SEO順位やインプレッション数を稼ぐために空虚な記事を量産する現代のマーケターのメタファーにも見えます。

また、巨大なモニターで労働者を監視し、「もっとスピードを上げろ!」と命じる工場主は「AIでもっと効率を」と唱えるプラットフォーマーの姿と重なります。

「AI Slop」という言葉が社会問題化したいま、必要なのは機械をさらに加速させることではなく、「コンベアを減速させ、人間をきちんと見ること」なのかもしれません。

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    90年前にチャップリンが「モダン・タイムス」で描いた機械に振り回される人間の姿は、現在の「AIスロップ」を巡る状況と驚くほど重なります

「モダン・タイムス」で本当に重要なのは、工場の歯車に巻き込まれる労働者、機械のように扱われる人間、失業、貧困といった近代産業社会の過酷な現実を、チャップリンがスラップスティック喜劇として描いている点です。

「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」。チャップリンが残した有名な言葉です。

映画のラストで、チャップリンは少女とともに道なき道を歩いていきます。カメラは彼らを追いかけず、遠くから見守るようなロングショットで物語を締めくくります。成功も安定も約束されてはいません。社会も変わりません。それでも、人間としてあり続けること、誰かと並んで歩き続けること、悲劇を完全な絶望にしない距離感にこそ希望がある--。そんなチャップリンの哲学を体現したシーンです。

笑えるということは、観察できているということでもあります。いつか歴史を俯瞰して振り返ったとき、「あの頃はみんなで『Microslop』なんて茶化して騒いでいたね」と、AI黎明期の混乱を1つの喜劇として笑い飛ばせる日が来るのかもしれません。