「食事も後払い」……。食品デリバリー大手DoorDashが、BNPL(Buy Now, Pay Later:後払い)サービスを提供するFinTech企業のKlarnaとの提携を発表したニュースは多くの人々を動揺させました。「テックトピア:米国のテクノロジー業界の舞台裏」の過去回はこちらを参照。
「ついにここまで来たか」「まるでリセッション(景気後退)の兆候だ」といった声がSNSに広がり、「ブリトーの借金で破産する未来」といったBNPL導入を揶揄するジョークが飛び交いました。
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「DoorDashで5.29ドルのマックチキンを分割払いしたのに、まだ景気に強気なの?」、ビジネストレンドに皮肉やユーモアを交えてコメントするBoring_Business(@BoringBiz_)の反応
BNPLが食品という最も基本的な消費にまで及ぶことに
これまでBNPLは、アパレルや家具、家電製品といった比較的高額な商品の購入を後押しする手段として、特に若年層を中心に急速に普及していました。しかし、今回の提携は、日常的な食品デリバリーという、いわば「消えもの」であり、単価も比較的低い領域にまでBNPLが浸透し始めたことを示す象徴的な出来事と言えます。
具体的には、Klarnaを通じてユーザーは注文時に「全額即時払い」「給与支払い日に合わせた後払い」「4回の無利子分割払い」といった選択肢を得ます。利息なしで支払いを先延ばしにできるものの、支払いが滞れば遅延料がかかる可能性があります。
DoorDashは、この提携を「顧客のニーズに応えるための柔軟な支払いオプションの提供」と説明しています。
同社は近年、レストランのデリバリーだけでなく、食料品や日用品、美容品、電化製品などへと急速にサービスを拡大しており、多様化する商品ラインナップに対応するためには、支払い方法の拡充が不可欠というわけです。これは企業戦略としては合理的な判断と言えるでしょう。
しかし、このニュースが「リセッションの兆候」として一部で受け止められた背景には、単なる利便性向上だけでは片付けられない、現在の経済的な空気感があります。
世界的なインフレ圧力、実質賃金の伸び悩み、将来への漠然とした不安感。多くの消費者が、日々の生活費のやりくりに頭を悩ませる中で、“ファスト借金”と呼ばれるBNPLが食品という最も基本的な消費にまで及んできたのは、消費者の経済的な余裕のなさの映し鏡と捉えられています。
歴史は繰り返す?リセッション下のマーケティング戦略
経済が停滞し、消費者の財布の紐が固くなるとき、企業はどのように対応してきたでしょうか。過去のリセッション期におけるマーケティング戦略を振り返ると、いくつかの共通したパターンが見て取れます。
まず「価値」の訴求です。消費者は価格に対してより敏感になり、企業は「お得感」「節約」「高品質・低価格」を前面に押し出してきました。1990年代初頭の不況期にファストフード業界で激化した「バリューメニュー」競争や、プライベートブランド商品の拡充などはその典型例です。
第2に「支払い負担の軽減」です。高額商品の購入をためらう消費者に対し、分割払いや支払い猶予期間の設定といったインセンティブを提供してきました。大恐慌時に百貨店などが導入した「レイアウェイ」(頭金を支払って品物を予約し、残額を月賦で完済したのちに受け取る)、ゼロ金利ローン、「後払い」オプションなどがあり、新型コロナ後の景気後退不安時にBNPLが成長しました。
そして「小さな贅沢」の提供です。大きな買い物は控えるものの、日々の生活に潤いやささやかな満足感を与えてくれるものへの需要が高まります。いわゆる「リップスティック効果」と呼ばれる現象です。
景気後退期には口紅のような比較的手頃な価格の化粧品の売上が伸びるという経験則で、高価なドレスは買えなくても、新しい口紅で気分を高めたいという消費者心理を捉えています。
では、今リップスティックの売り上げが伸びているかというと、最新の市場動向を見ると、状況はやや複雑です。美容市場全体は堅調ですが、口紅だけが突出しているわけではありません。
そもそも、リップスティック効果は9.11後のEstée Lauderのレナード・ローダー会長のコメントから広まったものですが、口紅に限られる現象ではありません。
たとえば、高価なビール、高級チョコレート、香水・フレグランス、スターバックスや高級カフェのコーヒーなど「小さな贅沢」はさまざまであり、性別や世代、趣味の違いでも贅沢を感じるものは異なります。
しかし、支払いが発生することに変わりはありません。今回のDoorDashとKlarnaの提携、ひいては日常的な消費へのBNPLの浸透は、現代におけるリセッション対応マーケティングの一環とも考えられます。
BNPLは「支払い負担の軽減」を進めるだけでなく、「今すぐ楽しみたい」という消費者の欲求を満たし、「小さな贅沢」へのアクセスを容易にする側面もあります。
米国ではクレジットカード債務の増加が深刻な問題に
現在、米国でクレジットカード債務の増加が深刻な問題となっています。ニューヨーク連銀が2月13日発表した四半期報告書によると、2024年10~12月期のカード債務残高は1兆2110億ドルと、データを遡れる2003年以降で最高となりました。
多くの消費者が大型支出への分割払いに躊躇する傾向が見られます。このような状況下で企業が「小さな贅沢」へとマーケティング戦略をシフトさせるのは自然な展開といえるでしょう。
しかし、一見些細に思える「小さな贅沢」も日々蓄積されれば、家計に大きな負担となりかねません。日常消費へのBNPLの浸透は、家計のキャッシュフローを不透明にし、債務が膨らんでいる実態を意識しにくくするという構造的な問題を抱えています。
この見えくい債務の拡大は、個人の財政健全性を脅かすだけでなく、結果として深刻な景気後退を誘発するリスクをはらんでいます。
2008年のリセッションはサブプライムローン(住宅ローン)が引き金でしたが、現在のカード債務も延滞率の上昇などを背景に、新たな金融リスクとして警戒されています。DoorDashとKlarnaの提携に多くの人々が警鐘を鳴らす理由は、まさにこうした潜在的な危険性にあるのではないでしょうか。