昨年の大統領選挙でトランプ氏が勝利して以来、米国ではCulture war(文化戦争)ににおけるトランプ氏の影響力が一層強まり、それに伴う社会的な変化と混乱が続いています。文化戦争とは、社会や政治において、異なる価値観やイデオロギーの対立が激化する現象を指します。
特に、宗教・道徳・ジェンダー・人種・教育・芸術などの文化的・社会的なテーマに関して、保守派とリベラル派のような異なる立場の人々が衝突する際に使われることが多く、昨年の大統領選挙はまさに“文化戦争”でした。
トランプ氏勝利の後、Metaがファクトチェックを廃止する方針を示し、多くの企業の間でDEI(多様性・公平性・包括性)プログラムやESG(環境・社会・ガバナンス)プログラムを縮小または中止する動きが広がっています。そうした変化は、米プロスポーツの祭典スーパーボウル(2月9日)にも色濃く反映されました。
スーパーボウルのCMで見られた2つの傾向
プロアメリカンフットボール「NFL」の年間優勝を決めるスーパーボウルは、全米視聴率が毎年40%を超える、スポーツの枠を超えた国民的イベントです。
近年は女性ファンの増加が顕著であり、調査会社のNielsenによると、今大会の平均視聴者数は1億2770万人(推定)、過去最高だった前回大会から3.2%増加しました。広告費も高騰を続け、今年は30秒のCM料金が800万ドルと、前回大会の700万ドルを大幅に超えました。
スーパーボウルCMは単なる商品プロモーションではなく、企業のブランド価値や社会的メッセージを伝える場となっています。近年では、放映後のSNSやメディアでの拡散を前提に作られたCMが増え、時代の社会的トレンドや関心事を反映する傾向が強まっています。その点において、スーパーボウルCMは米国社会の縮図といえます。
今年のCMには大きく二つの傾向が見られました。ひとつは、AI関連広告の増加です。OpenAIが初めてTVCMを放映し、Metaは「Ray-Ban Metaグラス」、Googleは「Gemini」、SalesforceはAIエージェント「Agentforce」の効果を紹介するなど、AIがもたらす変革を一般に伝える場となりました。
もうひとつの傾向は、米国社会のトランプ化の影響です。社会的な混乱に対するメッセージとして、Foundation to Combat Antisemitism(FCAS)は、スヌープ・ドッグと、NFLレジェンドのトム・ブレディを起用して反ヘイト・キャンペーンを展開しました。
「出身地が違うからお前が嫌いだ」「見た目が違うから嫌いだ」「私が知っている人たちはお前のことが嫌いだから嫌いだ」といった言い合いから「ヘイトの理由は、その響きと同じくらい愚かなものだ」というメッセージを発信しています。
FCASはニューイングランド・ペイトリオッツのオーナーであるロバート・クラフト氏が反ユダヤ主義と戦うために設立した財団で、ユダヤ人への偏見やヘイトスピーチ、差別を減らすことを目的に活動する組織です。
Carl's Jr.は、20年前にパリス・ヒルトンを起用して話題を呼んだビキニギャル広告を復活させました。企業がリスク回避のために水着キャンペーンガールの起用を控える傾向にありましたが、ジェンダー意識の変化に対するカウンターとも取れる動きです。
Bud Lightの「Big Men on Cul-De-Sac」は賛否を呼びました。郊外に住む男性層をターゲットにし、ミュージシャンのポスト・マローンとコメディアンのシェーン・ギリスが、破天荒なパーティーを繰り広げる様子を描いています。
音楽は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で大ヒットしたヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの「パワー・オブ・ラヴ」。芝刈り機でピケットフェンスを突き破り、リーフブロワーを使って隣人に招待状代わりのBud Lightを飛ばし、環境に悪そうな改造芝刈り機を自慢する。
アルコールCMにおける表現の自粛が進む中、あえて“ダサくも楽しい”空気感を押し出し、古き良き“不謹慎”なアメリカを思い起こさせる内容となっています。
Jeepの「Owner's Manual」も注目すべきCMのひとつです。米国のテレビCMで見ることのないハリソン・フォードが登場し、「自分の道を選ぶ自由について」を語っています。
電気自動車(EV)市場の先行きの不透明感が増す中、今年は自動車メーカーがスーパーボウル広告を出していません。Jeepも出す予定はなかったものの、12月にCM提供を決断し、短期間でこのCMを完成させました。ハリソン・フォードは脚本を読み、内容に惹かれて出演を決めたそうです。
CMには、伝統的なJeep Wrangler、HEMIエンジンの「Rubicon 392 HEMI」、プラグインハイブリッドの「4xe Plug-in Hybrid」、完全EVの「Recon」も一瞬登場し、WrangerがライバルFord(フォード)のBroncoを追い抜くシーンも。
そして、最後にハリソン・フォードが「自分を幸せにするものを選びなさい。友達、家族、仕事が私を幸せにしてくれる。このジープは私を幸せにしてくれる……僕の名前は“フォード”だけどね」とジョークを交える演出も印象的です。
このCMは、表向きは北米の自動車ブランドを賞賛するCMのようでありながら、自由という米国の精神的な根本に結びつけ、細部を見ていくと多様性のメッセージに気づかされます。意表をつくCMです。
現在の米国は文化戦争の最前線
今年のスーパーボウルCMを見て思うのは、米国市場におけるマーケティングの難しさです。近年、多くの企業がDEI(多様性・公平性・包括性)を推進する戦略を取ってきましたが、今年はそれをテーマにしたCMが減少し、古き良きアメリカを想起させるものが増えました。
ここ数年は「不適切」という言葉が独り歩きし、表現の萎縮を招いた面がありました。ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)の過剰化によって公平性が歪められ、包括性にも逆行するケースも見られました。
そのため、現在の状況はある種の正常化への揺れ戻しとも言えます。辛辣なジョークや挑戦的なユーモアを楽しむ余裕が戻りつつあることは、社会の健全化の一面とも捉えられます。
しかし、その変化が急激であるがゆえに、揺れ戻しが逆に振れ、新たな偏りや排他的な空気を生み出す危険性もあります。現在の米国は、抑圧されてきた不満が一気に解放され、文化戦争の最前線にある状況です。
トランプ政権の影響が色濃く反映される中、企業やメディアはどの価値観を打ち出すべきか、慎重な判断が求められます。多様性や包括性のメッセージが後退しつつある今、社会の成熟を促すバランス感覚がますます重要になっています。コンテンツが大きな対米輸出品である日本にとっても、この動きは決して無関係ではありません。