昨年後半にテック産業のバズワードになった「メタバース」、それと並んで今年の流行語になりつつあるのが「Web3」(Web 3.0)である。

昨年末に、イーロン・マスク氏のWeb3に関するツイートとジャック・ドーシー氏(BlockのCEO、Twitterの前CEO)のリプライが話題になった。マスク氏が「誰かWeb3を見たことがあるか? オレは見つけられないんだが」とツイート。それにドーシー氏が「aからzのどこかにあるよ」と応えた。「aからz」とは「a16z」で知られるベンチャーキャピタル大手のAndreessen Horowitzを指す。

  • このコメントの後、ジャック・ドーシー氏は、Andreessen Horowitzのマーク・アンドリーセン氏(NCSA MosaicやNetscape Navigatorの開発者)からブロックされてしまった。

Web3は、一言で言い表すと脱・中央集権である。GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)のような巨大テック企業であったり、大資本がコントロールする中央集権からの脱却だ。SNSを通じたフェイクニュースの拡散が社会問題化した頃から、World Wide Webの生みの親であるティム・バーナーズ-リー氏が提唱するセマンティックWebのようなインターネットを本来の分散型のオープンネットワークへと戻そうとする動きが活発化している。また、効率的な資本配分を可能にする術としてブロックチェーンや暗号通貨への期待が高まっている。

ドーシー氏の「aからzのどこかにある」は、脱・中央集権を掲げてもベンチャーキャピタルの資本のコントロールから逃れられていないことに対する皮肉である。同氏もマスク氏も暗号技術に積極的に投資しているのに、なぜWeb3に悲観的なコメントをしているかというと、二人はWeb3に期待していないわけではないのだが、理想的な形でWeb3が開花するにはまだ長い時間がかかると見ている。

そうした見方をしているのは2人だけではない。その少し前、「Web 2.0」という言葉を17年前に定義したティム・オライリー氏もWeb3について同じようにコメントしている。

オライリー氏はまず、ネットの進化論には「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」というマーク・トウェインの言葉が当てはまると指摘している。

テック産業はこれまで分散化と再中央化のサイクルを何度も繰り返してきた。パーソナルコンピュータは誰もが作れるアーキテクチャでコンピューティングを分散化したが、パソコン市場でAppleを打ち負かしたMicrosoftがプロプライエタリなOSを中心に市場を再中央集権化。そしてオープンソースソフトウェア、インターネット、World Wide Webが、フリーソフトウェアとオープンプロトコルでプロプライエタリなソフトウェアの支配を打ち破ったが、十数年のうちにGoogleやAmazonなどがビッグデータを基盤とした巨大な新しい独占状態を築き上げた。

直近の再中央集権化に焦点を当てると、World Wide Webはプロプライエタリなネットワークを瞬く間に凌駕して世界を変えたものの、そのシステムを作った人たちは理想主義に走りすぎて、悪質な行為者を考慮に入れていなかった。分散型ネットワークの上であっても、ビッグデータによって可能になる権力の巨大な集中化を予測できなかった。

今注目されている「Web3」は、イーサリアムの共同開発者の1人であるギャビン・ウッド氏が広めた。その定義はシンプルだ。「Less trust, more truth」(信頼を減らし、真実を増やす)。その理想主義的なビジョンをオライリーは「好きだ」と明言している。だが、理想が現実に結びついていない。新しい経済システムを誕生させる可能性を秘めているものの、今のゲーム、分散型金融、NFT、分散型ソーシャルネットワークといった分野における暗号技術への投資、暗号資産の高騰は、ウッド氏の理想を形にする企業の成功や社会を変えるようなインパクトを予測できるものになってはいない。暗号と既存の金融システムの間にあるあいまいな層は悪用されやすい。そして暗号資産への投機で簡単に儲けることができることから、開発者や投資家が現実世界の有用なサービスを構築する努力から遠ざかっている。

「既存の法的および商業的メカニズムに対するインターフェースを考え、構築することができていないのは、人、オブジェクト、場所、ビジネスといった物理的世界のあらゆるものをデジタルで影像化し、相互接続することで既存の経済に経済的な価値のある新しいサービスを容易に作り出した前世代のWebとは全く対照的である」(オライリー氏)。

バブルを批判しているのではない。Web 2.0の時もドットコム・バブルが弾けた。

経済学者カルロタ・ペレス氏が著書「技術革命と金融資本」の中で、第一次産業革命、蒸気の時代、鉄鋼、電気、重機、自動車の時代、石油、マスプロダクション、そしてインターネットの時代、過去に起こった大きな産業変革のほぼ全てに金融バブルが伴っていたと指摘している。

変革への期待は投機的な熱狂を呼び込む。重要なのは、そのバブル期が新しいインフラの開発につながること。それが真の開花の土壌になる。第一次産業革命では運河と道路網、第二次産業革命では鉄道、港湾、郵便、第三次産業革命では電気、水道、配電網、石油時代では州間高速道路、空港、流通、情報化時代では半導体ファブ、ブロードバンドやモバイルデータ通信網、データセンターなどである。

今のWeb3の熱狂は、前のサイクルで見られたような有用なインフラを構築しているだろうか。インターネットがメディアや商業を壊したように、金融は技術革新によるディスラプションが求められる分野の1つである。しかし、Web3に流れ込む豊富な資本が、架空の資産への資本配分ではなく、実体経済への生産的な投資に向かっている実感をまだ持てないのが現状である。

  • このコメントの後、ジャック・ドーシー氏は、Andreessen Horowitzのマーク・アンドリーセン氏(NCSA MosaicやNetscape Navigatorの開発者)からブロックされてしまった。

    Web 2.0 Expoで講演するティム・オライリー氏

Web3の現在のステージが、1995年と1999年、つまりバブルの初期と終わりのどちらに相当するかと考えれば、暗号資産や関連する新興企業の評価額から導き出される答えは後者である。オライリー氏はドッコム崩壊の5年後に「What is Web 2.0?」を書いた。ドットコムバブルが弾けた時に、Ajaxの革命性を示したGoogleマップはまだ誕生していなかったし、iPhoneもなかった。オンライン決済も黎明期であった。SMSもクラウドコンピューティングも、今日、私たちが頼りにしているもののほとんどは、まだ存在していなかった。

当時、GoogleやAmazonは今日の基準で巨額と呼べるような資金を調達する必要はなかった。ドットコムバブルを生き残った新興企業は、世界を変えるような新しいサービスで人々を惹きつけ、すぐに数百万、数千万、そして数億のアクティブユーザーを獲得していった。データ、インフラ、差別化されたビジネスモデルといったユニークでありながら、実質的かつ持続的な価値で次代を切り開いたのだ。

だから、Web3の価値を本当に理解できるのは、次のバブルが弾けた後というのがオライリー氏の見立てである。今はまだ多くのものが生み出されていない。安易に富を求めるのではなく、トラスト(信頼)、アイデンティティ、分散型金融といった私達が直面する困難な問題を解決する"Web3のビジョン"に集中する時期であるとしている。