Amazonが同社初のスマートフォン「Fire Phone」を発表した後に、Stratecheryのベン・トンプソン氏が「Amazonのスマートフォン戦略はクジラ戦略だ」と指摘していた。その時はピンと来なかったのだが、実際にFire Phoneを触ってみて"クジラ・デバイス"とは言い得て妙だと思った。

Fire Phoneは本体価格が649ドル(約66,800円)、分類したらハイエンド機種になるだろう。見た目はライバル製品と遜色ないが、使い勝手は満足できるものではなかった。Fire Phoneは独自のインタフェースDynamic Perspectiveと、カメラやマイクを使った商品検索機能・アプリランチャー機能のFireflyを特徴としており、それらが他のAndroidベースのスマートフォンと一線を画す機能になっているのだが、どちらの使用感にも不満が残った。

Dynamic Perspectiveは、片手に端末をつかんだままの操作を可能にする。本体を傾けたり、斜めから画面を見るだけで、メニューを引き出したり、スクロールできる。ユニークなインタフェースなのだが、第一印象は期待したほど実用的ではなかった。

メニューを出すだけなら、すばやく端末を傾けるのが意外とひと手間で、馴れもあるとは思うが、使っているうちに端末を傾けて引き出したメニューを親指でスワイプして戻していることが度々あった。自動スクロールもちゃんと動かすにはコツが必要で、スクロールさせることに気が向くとWebコンテンツに集中できなくなる。もう1つの目玉機能Fireflyも、Amazonで販売されている商品にうまくリンクされないことが度々起こった。もちろんちゃんとリンクしてくれることの方が多いのだが、「失敗するかもしれない…」という印象の方が残りやすく、そういう印象を持ってしまうと、使用をつい避けてしまう。

側面にあるカメラ/Fireflyボタンの長押しでアクセスできる「Firefly」

とは言え、Dynamic PerspectiveもFireflyも、ユニークな機能で可能性は大きいと思う。現時点で筆者が期待したほどの使い勝手を提供できていないものの、気になった点はこれから改善・改良できるものばかりだ。Dynamic Perspectiveは機能のアピールが先行してしまっているが、もっとタッチインタフェースにとけ込むように実装されれば、タッチ操作のみのスマートフォンにはない操作体験を実現できると思う。これを活用したゲームも面白そうだ。Fireflyは上手く機能すると、商品検索というよりAmazonのショッピングカート機能と呼びたくなるぐらいスムースにAmazon.comと連携する。Amazonで日常的に買い物をしているユーザーには魅力な機能になると思う。これらが実力を発揮し始めたら、「スマートフォンではなくFire Phone」という存在感が評価されるようになりそうだ。Kindle Fireと同様、初代モデルは試行錯誤の製品で、仕上がってくるであろう二代目、三代目に期待したい。

わずか1%だけど存在感は大きいAmazonクジラ

ただ、Fire Phoneが万人受けするかというと、想像していた以上に使い勝手が「AmazonによるAmazonのためのスマートフォン」だったので、むしろFire Phoneが改善されるほどにユーザーがどんどん絞り込まれていくように思う。トンプソン氏はそれがAmazonの狙いであると指摘しており、"クジラ戦略"と呼んでいる。

Amazonといえば過去に、コスト割れ覚悟で勝負を挑み、真綿で首を絞めるようにじっくりと時間をかけてライバルを市場から追い出し、そして意のままに市場を操り始める戦略を実行してきた。ところが、Fire PhoneはiPhone並みの価格で、パートナーシップを組む通信キャリア(AT&T)からのサービス特典も少ない。Amazon携帯であること以上に、ユーザーを引きつける魅力はない。iPhoneやAndroidのハイエンド機種から市場を奪えるように思えないのだ。つまり、Fire Phoneは携帯市場全体をターゲットに勝負する製品ではなく、Amazonを好み、Amazonから決して離れないわずかな顧客の要望に応える究極のAmazon製品というのがトンプソン氏の見方だ。

Amazonを頻繁に使うユーザーは年会費を支払ってPrimeメンバーになる。それがAmazonユーザー全体の10%程度。そのうちの10%、つまりAmazonメンバーの1%に向けた製品がFire Phoneだ。わずか1%だが、彼らはAmazon市場における大きな存在(Amazonクジラ)である。優先的にAmazonで買い物をし、Amazonが提供する新しい製品やサービスを歓迎する。AmazonがAmazonメンバー向けスマートフォンを用意して、それをAmazonクジラ1人が購入するだけで、単純に年間売上だけを見ても、普通のAmazonメンバー2.5人をPrimeメンバーに変えるのと同じインパクトがある。そしてAmazonクジラは周りにもAmazonの活用を勧める。

全体の10%がPrimeメンバー、Primeメンバーの10%がAmazonクジラ

気になるのは、AmazonがAmazonクジラを重んじることの生態系全体への影響である。例えば、4-6月期にAmazonのビデオコンテンツへの支出が上昇したが、Amazonは今後も独占コンテンツやオリジナルコンテンツを強化する姿勢を明らかにした。つまり、「相当な支出を被ってでも独占コンテンツやオリジナルコンテンツを強化」→「オリジナルコンテンツに惹かれたユーザーがPrimeを契約」→「PrimeメンバーはAmazonで優先的に買い物をするようになる」というステップで売上を伸ばす目論見である。そして最近ではPCよりもモバイルデバイスを通じて買い物するメンバーが増加しており、Mコマース対策として、モバイルで快適にAmazonを活用したいメンバーのためにFire PhoneやKidle Fireを用意した。

問題は、昔からのAmazonユーザーであっても、そこまでAmazonで腹一杯になりたいという人ばかりではないということだ。2005年にAmazon Primeが米国で始まってから、一気にメンバーが増加した理由は「ローカルストアの値段とAmazonの価格を比較」→「Amazonで買い物することが増えたから配送料を節約するためにPrimeを契約」というシンプルなものだった。今年Primeの会費が年79ドルから年99ドルに値上がりした。代わりに映画・TV番組のストリーミングや音楽サービス、KindleブックのレンタルなどPrimeメンバーが受け取るサービスは増えている。でも、そんなデジタルコンテンツサービスはいらないから、商品配送優遇だけの割安プランを用意して欲しいというPrimeメンバーは多い。言い換えれば、莫大な費用をかけてオリジナルビデオコンテンツ製作や出版事業にまで手を広げずに、要のEコマースの改善に専念して欲しいと思っているユーザーもいるということだ。

Amazonクジラが存在感を示す生態系にAmazonが変わってきたことで、Primeから離れるメンバーも出てくるだろう。実際、筆者の周りでも数人がこの夏にPrimeの契約を更新しなかった。Amazonの大海は広がっているが、クジラを目指すメンバーしか快適に泳げない海になりつつもある。