オブザーバビリティは「価値を届けるスピード」のためにある
オブザーバビリティは、システムの状態や変化をリアルタイムに把握し、問題の迅速な原因特定と対応を可能にする特性です。「いまさら聞けないオブザーバビリティ」の過去回はこちらを参照。
本連載ではこれまで、技術的なテーマとオブザーバビリティの関係性を紹介してきましたが、最終回となる本稿ではビジネスにおける成果や指標と、ユーザーの体験、システムのサービスレベルやパフォーマンスをリアルタイムに相関付けて制御する「ビジネスオブザーバビリティ」をテーマに、企業価値や競争優位性とオブザーバビリティの関係を掘り下げていきます。
今日、あらゆる業界がデジタルサービスを通じて価値を提供し、顧客との接点を強化・維持しようとしています。しかし、提供する価値の質とスピードを左右するのは、サービスの信頼性と、問題発生時の初動力です。
オブザーバビリティは“情報の即時性”と“対応の即応性”を組織にもたらし、システムの変化とビジネスへの影響を結びつけることで、意思決定を加速させます。
「なぜ起きたのか」に即答できる組織へ
たとえば、ECサイトの売り上げ が突然落ち込んだとします。BI(ビジネスインテリジェンス)ツールでは「売り上げが落ちた」という事実は確認できますが、その理由が決済ページの応答遅延だったのか、キャンペーンページの表示不具合だったのか、すぐにはわかりません。
憶測で「顧客ニーズが変わった」と判断し、対策が後手に回れば、競合に顧客を奪われることもあるでしょう。
こうした状況を打破するのが、ビジネスオブザーバビリティの考え方です。売り上げや離脱率といったKPIを、システムの応答時間やエラー率などの重大なユーザー体験を表すSLI(サービスレベル指標)と結びつけることで、ビジネス成果の背後にあるシステムの変化をリアルタイムに特定できます。つまり、「結果」から「原因」へ最短でたどり着ける視座を手に入れるのです。
ビジネスオブザーバビリティを実現し、運用する3つのステップ
1. 事業KPIとシステムKPIを「同じ地図」に描く
多くの組織が抱えるモヤモヤ--「売上低下の原因がサーバの遅延なのか、UIの使い勝手なのか、誰もすぐにはわからない」というジレンマ。これを打破するためには、まず事業KPI(売り上げや継続率、LTVなど)とシステムKPI(API応答時間やエラー率)を同じ地図に落とし込むことが不可欠です。
たとえば、ECサイトのカート放棄率が上昇した瞬間に「遅い決済処理」が悪さをしているのだとひと目でわかります。ユーザーがページを閉じる背後にある、その原因となる「瞬間の体験」を、ビジネス成果につなげる視点を定義するのです。
最初は手探りでも構いません。チームでホワイトボードを囲み、「この指標は、あの機能の遅延とこうつながるはずだ」と議論を重ねることで、現場の言葉で語れる地図が徐々に形を成していきます。
2. オブザーバビリティを「血肉」にする
地図が描けたら、次はそれを現場の血肉に変える作業です。システムに必要な計測点と、組織がそのデータを「読む」「判断する」仕組みを同時につくります。ツールを入れるだけで終わるのではなく、現場のミーティングやオンコールのフローに自然とオブザーバビリティ活用が溶け込む状態が理想です。
たとえば、日々のスタンドアップミーティングで「昨夜のエラーはビジネスKPIにどう影響したか」を簡単に振り返るルーチンを組み込む。
障害が起きたらインシデントの背後にあるユーザー体験をすぐに確認し、開発チームだけでなくカスタマーサポートやセールスまでが同じダッシュボードを覗き込みながら「次はこう動こう」と息を合わせる。このように、オブザーバビリティを「システムと人の連携」に昇華させるのです。
3. 継続的に「気づき」と「改善」を刻む
最後のステップは、導入をゴールにせず、必要な変化を歓迎すること。新しい指標や観測ポイントが増えたり、ユーザー行動が変化したりするたびに、地図も血肉も更新していく必要があります。ここで大切なのは、振り返りと改善のリズムを“習慣の一部”にすることです。
週に一度の「パフォーマンス定点観測会」(第2回参照)だけでなく、チャットに自動で飛んでくるKPI変動アラートにチームが即リアクションを取り合い、その場で対応を検討する--そんな緩やかな連携ができる習慣・文化こそが、組織を変えます。
小さな気づきを逃さず、改善の芽を摘むのではなく育てる。これを繰り返すことで、「あの機能を改善したら売り上げが戻った」「夜間バッチの時間を短縮したら解約が減った」といった成功体験が蓄積され、やがてビジネスオブザーバビリティは組織の血肉となっていきます。
BIの限界と、次に必要な視点 - 生成AIとオブザーバビリティの融合
これまで多くの企業はBIツールを導入し、ダッシュボードで売り上げやアクセス数などの「結果」を可視化してきました。しかし、BIが扱うのはあくまで過去の実績であり、KPIの変動がどのシステムの問題に起因するかといったサービスレベルとの接続までは担えません。
たとえば、売り上げの落ち込みがAPIの遅延によるものであること、特定のデバイスでのみ表示不具合が出ていたことなど「なぜその結果が起きたか」を見抜くには、より深い因果構造の理解が必要です。オブザーバビリティはまさに、こうした“システムの構造とビジネス成果”の橋渡しをする存在なのです。
現在、生成AIの進化はオブザーバビリティによるシステムの構造理解をさらに加速させています。従来は人がダッシュボードを見て問題の原因を想定し、仮説を立てていた作業が、今ではAIによって半自動化され、自律型エージェントが異常を検出・分析し、即座にアラートや対応提案を行うようになってきました。
プロンプトエンジニアリングの時代を超え、オブザーバビリティのデータをリアルタイムに取り込む生成AIが、判断や行動の起点として機能するようになっています。これにより、問題の検知から対応、さらには改善の示唆に至るまでの一連のループが短縮され、組織全体の価値創出サイクルが加速しているのです。
こうしたAIエージェントの登場がもたらす価値は、単なる業務効率化にとどまりません。情報の分析や提案を支援する存在が日常業務に組み込まれることで、「誰が見るか」に依存していた判断の質が全体で底上げされ、組織全体として“判断できる体制”が形成されはじめています。
判断できる組織が競争優位を得る
まさにこの「判断できる状態」こそが、ビジネスオブザーバビリティの目指す姿です。KPIとSLIを結びつけ、ビジネスの成果とシステムの状態を一体として捉えることで、現場の誰もが「なぜそれが起きたか」を説明できるようになります。
こうした組織では、顧客体験を損なう問題が即座に共有され、対応に追われるのではなく、次の価値創出にリソースを向ける余裕が生まれます。その結果、顧客価値の向上、サービスレベル安定化、そして事業価値の最大化といった明確なビジネス成果が現れていくのです。
ビジネスオブザーバビリティとは、ビジネスとシステムを分けずに一体として捉えるための思考と実践です。デジタルが前提となる現代においては、IT部門だけがシステムを知っていればよいわけでも、ビジネス部門だけが顧客を理解していればよいわけでもありません。両者がデータと構造を共有し、同じ地図を見ながら未来を描くことが不可欠です。
最後に:ビジネスの改善は、現場の可視性から始まる
競争が激しさを増す今、企業が競争優位性を確立するためには、サービスレベルを確認しながら、顧客により早く、より正確に価値を届ける力が求められます。オブザーバビリティはそのための武器であり、基盤です。
これまで、7回にわたってオブザーバビリティの本質を理解いただくべくご紹介してきましたが、今後も各企業がデジタルサービスを活用し、ビジネスを伸ばす時代が続く中で、オブザーバビリティの概念はますます重要になるでしょう。
読者の皆様もぜひ、エンジニア同士だけでなくビジネスサイドの方々とも協力しながら、オブザーバビリティを活用した新たな価値の創出に取り組まれてみてください。そして、その結果として日本全体の活力の向上にもつながることを願ってやみません。