前回の記事では、「生成AIもノーコードもあるのになぜ現場のDXが進まないのか?」というテーマで、現場で発生している「デジタル学習性無力感」と「DXハラスメント」について書かれました。

その解決策として提示したのが「市民開発」です。

今回の記事では、この「市民開発」とは具体的に何なのか? 単なるツール導入とは何が違うのか? その定義と本質について解説していきます。

「現場が勝手に作る」ことではない

まず、最も強くお伝えしたいことがあります。

市民開発とは、単純に「ノーコードツールを導入すること」や、「IT部門以外の従業員が自ら業務アプリを開発すること」だけではありません。

「市民開発」という言葉を聞くと、「現場(市民)がアプリを作る」という「ヒト(個人)」の側面にばかりフォーカスされがちです。

しかし、個人の頑張りに依存してアプリを作らせるだけでは、現場は疲弊し、IT部門から見れば管理不能な「シャドーIT」を生み出すリスクにしかなりません。それは、本当の意味での市民開発とは似て非なるものです。

正しい「市民開発」の定義

では、正しい市民開発とは何か。私たちは次のように定義しています。

  • 市民開発

    市民開発とは、「組織のサポート体制の中で、業務プロセスを理解するIT部門以外の従業員が、ノーコードツールを活用して、アプリケーションを開発・運用する取り組み」のこと。

ここで最も重要なのは、「組織のサポート体制の中で」という部分です。

ただツールを渡して「あとは自由にやって」と丸投げするのではなく、ヒト(現場)を支える組織的なサポートがあって初めて、現場は安心して開発に取り組むことができます。

組織公認の環境で、ガバナンスを効かせながら進めるからこそ、それは「シャドーIT」ではなく、企業の力となる「市民開発」になるのです。

成功に不可欠な「3つの柱」

市民開発を成功させるためには、外してはならない重要な3つの柱があります。

それが「ヒト」「ツール」「仕組み」です。

この3つの要素が三位一体となって初めて、市民開発は機能します。どれか一つでも欠ければ、取り組みはうまくいきません。

  • 「ヒト」「ツール」「仕組み」の三位一体

1. ヒト

開発する現場の個人だけでなく、それを支えるチームやサポーターを含みます。孤独な戦いにさせない体制が必要です。

2. ツール

プログラミングの知識がなくても現場が扱える「ノーコードツール」です。現場のスキル感に合った選定が重要です。

3. 仕組み

ここが最も見落とされがちです。開発ルール、セキュリティガイドライン、教育体制、相談窓口など、活動を持続させるための「ガードレール」です。

バランスが崩れるとどうなるか?

この3つの要素は、どれか1つでも欠けると健全な市民開発は実現できません。それぞれのケースで何が起きるのか、具体的に見てみましょう。

1. 「ヒト」が欠けると

高機能な「ツール」と立派な「仕組み」があっても、それを使う現場の「ヒト」の想いや理解がなければ、誰も使わないシステムが量産されます。

現場のニーズとかけ離れたものが作られ、「やらされ仕事」として活動は形骸化し、現場の協力も得られなくなってしまいます。

2. 「ツール」が欠けると

改善したいという「ヒト」の意欲と組織の「仕組み」があっても、現場が自ら扱える武器(ノーコードツール)がなければ、改善案を形にできません。

「改善したいのに手段がない」「結局Excelや手作業に戻るしかない」という状態が続き、前回の記事で触れた「デジタル学習性無力感」へと逆戻りしてしまいます。

3. 「仕組み」が欠けると

意欲ある「ヒト」と便利な「ツール」があっても、ルールやサポート体制がなければ、管理不能な「野良アプリ」が乱立します。

セキュリティリスク(シャドーIT)が増大し、トラブルが起きた際の責任の所在も曖昧になってしまいます。

なぜ、今「市民開発」なのか?

企業が市民開発に取り組むメリットには以下の3つがよく取り上げられます。

  1. スピードと柔軟性:外部ベンダーへの発注や社内稟議の待ち時間をなくし、現場のアイデアを即座に形にできる。
  2. コストの最適化:ちょっとした修正に数十万円を払うような外部依存体質から脱却し、内製化によってコストを抑えることができる。
  3. 現場解像度の高さ:業務を知り尽くした現場自身が作るため、痒い所に手が届くシステムをつくることができる。

これらは確かに重要なメリットではありますが、私たちが考える市民開発の最大の価値は、もっと根源的な部分にあります。

最大の価値は「自分ごと化」の回復

それは、「自分たちの業務は、自分たちの手で良くできる」という手触り感を現場に取り戻すことです。

前回の記事でお話しした「デジタル学習性無力感」は、「どうせ提案しても変わらない」「システムは与えられるもの」という諦めからきていました。この「受動的なユーザー」のマインドセットこそが、DXを阻む最大の壁です。

市民開発は、この壁を壊します。

自らの手でアプリを作り、業務が少しでも良くなる体験をすることで、現場のマインドは劇的に変わります。

  • 「使いにくいシステムを文句を言いながら使う」から、「自分たちで使いやすく直す」へ。
  • 「誰かが変えてくれるのを待つ」から、「自分たちが変える」へ。

この「使う側のユーザー」から「オーナー(自分ごと)」への意識変革こそが、組織文化を根本から変え、本質的なDXを推進する原動力となります。

市民開発は「文化」をつくる旅

ここまで読んで、「市民開発に挑戦してみたい」と思った方、あるいは「既にツールは導入しているがうまくいっていない」と感じた方もいるかもしれません。

市民開発は、単なるツールの導入プロジェクトではありません。

個人のオーナーシップマインドを軸に、企業の改善文化を変革する取り組みです。

だからこそ、明日すぐに結果が出るものではありません。

「ヒト・ツール・仕組み」の3つを、時間をかけて丁寧に育てていく必要があります。

いきなり全てを完璧に揃える必要はありません。まずは小さく始めて、段階的に広げていくことが最初の第一歩です。

次回の記事では、この市民開発をどのように社内に浸透させていくべきか? その具体的なステップ(成熟度モデル)について解説します。

次回は12月29日の掲載予定です。