DXが進まない理由を説明する記事は、インターネット上に数多く存在します。アンケート結果のグラフや分析も豊富にあります。

2025年に発表されているレポートを読むと、DXは以下のような状況のようです。

  • 社内でDXを推進する部署や社員はいて、着手はしている
  • 年度予算として取るところは少ないものの、都度予算をとって対応している
  • DXを推進する人材が不足している

つまり、DXの重要性は理解され、予算も確保されているが、人材不足が進展を阻んでいるという構図です。

そのあとは、「全社的に広がっていない」、「経営陣が知識不足」、「既存事業で忙しい」などが課題として上がってきます。

「DXが進まない理由」を説明する記事もこれらを原因として、「DXのビジョンを策定しよう」、「まずはツールを入れよう」、「助成金で研修をしよう」という主張をしていることが多いです。

しかし、本当にそれだけが原因でしょうか。私は仕事柄、生成AIやノーコードで現場社員が業務改善を主体的に行っている事例を見聞きしますが、そこで語られている原因は上記のものとは違います。

ITに対する不信感「デジタル学習性無力感」

心理学には「学習性無力感」という言葉があります。Wikipediaを引用すると「長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象」のことで、端的に言えば「何をやっても無駄だ」と思ってしまうことです。

みなさんの職場を思い出してみましょう。

会社支給のパソコンはログが監視され、アプリのインストールも制限されている。経費精算システムもファイル保管システムも20年以上変わらず、「こうしたら便利かも!」というアイデアを上司に伝えてみたり、情報システム部門に要望としてメッセージを送ったとしても「参考にします」と言われるだけで一向に反映されない。目の前の業務は変わっていくのにシステムが変わらないから、Excelやコピペでなんとかする。

当たらずも遠からずというところではないでしょうか。

これは会社やIT部門が嫌がらせをしているのではなく、セキュリティやガバナンスといった会社が社員を守るために必要な仕組みであり、常に利便性とトレードオフになる厳しい現実です。

社員は「もっと効率化できる!」、「このシステムのほうが売り上げが上がる!」と言っても、この厳しい現実に跳ね返されるようになります。なんなら社長や上司に「業務改善案を提案して」と指示されて、跳ね返されるのです。

私はこの体験を「デジタル学習性無力感」と呼んでいます。

この体験をしている方はたくさんいらっしゃると思いますが、このように言語化されないと、無力感にとらわれているとわからないほど、無力感を体験している方が多いです。

これは一般社員だけではありません。現場であろうがバックオフィスであろうが、IT部門も管理職も経営者もすべて感じている無力感です。

その理由は、これまでシステムを開発できる人材や会社が偏在していて、ある種の既得権益となっていることが原因です。しかし、いま生成AIやノーコードが出てきて自分たちでシステムを開発できるようになり、そこがいままさに崩されようとしています。

分からないが生む「DXハラスメント」

「経営者はITに詳しくあるべきだ」という風潮があります。確かにITは現代ビジネスに欠かせませんが、それに詳しくない経営者は失格のように揶揄されます。

情報処理推進機構のレポート「DX動向2025」によると、経営陣の中にITに詳しい役員が3割以上いる会社は、2割未満です。つまり、経営者がITに詳しくないのが実態です。

  • IT分野に見識のある役員の割合

    IT分野に見識のある役員の割合 (出所:情報処理推進機構「DX動向2025」)

しかし、会社としてはDXを進めないといけないので、何かをやろうということで、外部のITコンサルティング会社に依頼してDX戦略を作って、その施策を現場の管理職に落として「これで何かDXやって」と言われます。

内情を知らない人が作った実態にそぐわない戦略を現場に落とし込もうとした結果、現場も管理職も「何をすればいいのか分からない」状態に陥ります。

このような“誰もわからないのに、DXやれっていわれる現象”を「DXハラスメント」と私は呼んでいます。

DXハラスメントが生まれる原因は、経営者はITに詳しくないといけない、という幻想にあります。

ITを知っている雰囲気で外部コンサルタントと話し、それを現場に投げる。現場は、経営者や管理職がITを知らないことを分かっていながら、言われたことをやるために辻褄合わせの施策を提案する。

こういう構造だと思います。

私は、経営者がITやDXをすべて理解する必要はないと考えています。生成AIやノーコードの進化は専門家でも追いかけるのが難しく、すべてを把握するのは非現実的です。

生成AIやノーコードなどの新しい技術や仕組みは、専門家の私でも追いかけるのに苦労しているのに、無理筋な話だと思っています。

DXハラスメントをなくすためには、「みんなITやDXについて詳しくないよね」という共通理解を出発点にする必要があります。それができれば、いまはYouTubeで学習動画はたくさんあるし、生成AIやノーコードで何か作るハードルも下がっていますので、アイデアを形にできます。

DX推進部門も情シスもキャパオーバー

この話をすると、「DX推進部門がしっかりしていないからだ」とか、「情シス(情報システム部門)が機能していないからだ」という方がいます。それも正確ではありません。

日本情報システム・ユーザー協会(JUAS)のレポート「企業IT動向調査報告書 2022」によると、企業のIT予算における「IT維持管理費」が70%を超える企業が約8割います。

  • 現行ビジネスの維持・運営(ランザビジネス)のIT予算に占める割合の推移

    現行ビジネスの維持・運営(ランザビジネス)のIT予算に占める割合の推移 (出所:日本情報システム・ユーザー協会(JUAS)「企業IT動向調査報告書 2022」をもとに筆者作成)

これが何を示しているかというと、現在利用しているITシステムを維持する費用が多すぎて、新しいITやDXに予算が割けないということを示しています。つまり、既存システムの維持に手一杯で、新しいDXへの投資が難しいのです。

DX推進部門が情シスとは別の部署として作られる主な理由は、守りのDXではなく攻めのDXをするため、ということが多いですが、そもそもIT予算は防戦一方であり、攻めようにも兵糧がなくて、DX推進部門は攻めたくても攻められないというジレンマが生まれます。

その状況下でお互いが疑心暗鬼になって、DX推進部門側が情シスに対して「もっと変革を意識しないとだめだ」と言い始めたり、情シス側がDX推進部門の取り組みに対して「リスクを増やすな!」とやっかみはじめたりと、軋轢が生まれてしまいます。本来であれば補完し合うべき関係性が、その相互作用が逆方向に働いてしまうこともあります。

市民開発でその両方を解決する

ここまでの話で一貫して言えるのは、「誰も悪くない」ということです。みんなDXの必要性は理解しているし、やろうとも思っています。それぞれの役割の中で、予算をつけたり、承認したり、実行したりしているわけです。

しかし、うまくいかない。

なぜそうなるのかを突き詰めると、DXを推進する構造自体が悪いのでは?と考えられます。

つまり構造が悪いせいで、いくらみんなが頑張ってもうまくいかないということです。

その構造というのは、経営者が外部の専門家のサポートのもと戦略を作り、KPIを管理職が持ち帰って、現場が施策を実行する、というトップダウン型DXそのものです。

私はこのトップダウン型DXは、事業への影響度が高い、信頼と安定を守るためのITシステムの活用ではうまく機能しますが、DXのX、つまりトランスフォームするための要である“組織変革”を行うということは難しいと考えています。

そこで私はその一つの解決策として、「市民開発」という手法で事業をおこなっています。

市民開発とは、組織のサポート体制の中で、業務プロセスを理解するIT部門以外の従業員が、ノーコードツールを活用して、アプリケーションを開発・運用する取り組みです。

トップダウンではなく、現場からのボトムアップを中心にでDXを進めつつ、ゆるやかにトップダウン的なガバナンスを効かせることのできる方法です。

これは単にノーコードツールを全社に展開して、現場にDXを丸投げすることではなく、学び・体験・体得・実践というステップを通じて現場がDXを自走できる力を育てます。

市民開発は、DXにおける運転免許のようなものです。

これまではシステム開発会社やITエンジニアだけが運転免許を持っていてお化けのような複雑なコンピューターを操作してきました。しかし、自動車がオートマ車になり、自動運転になっていくように、ITツールも生成AIやノーコードツールになって、IT部門以外の人でも使える時代になってきました。

とはいえ、自動運転車を買えばすぐ走れるわけではありません。基本的な知識=免許が必要です。生成AIやノーコードツールは自動運転車同様、お金があればすぐに手に入りますが、運転免許は、誰もが等しく時間をかけて学び、取得する必要があります。

市民開発は、進化したITツールを、ITのバックグラウンドがない人でも効率的かつ安全に扱い、そして組織変革を達成するための概念です。

私たちの会社では、この市民開発の考え方に独自のノウハウを加え、「ふえん式」という形で事業を展開しています。

市民開発は情シスやDX部門を置き換えるものではなく、キャパシティを補完し、デジタル化の裾野を広げる組織的分散開発モデルです。

次稿では、ふえん式がどのように市民開発を支援し、現場DXを推進するのかを詳しく解説します。

次回は12月15日の掲載予定です。