シリコンバレーのベンチャー企業と聞くと、どんなイメージを思い浮かべるだろうか。起業家精神にあふれた若者たちが、高い技術力と強い信念をもって、GoogleやFacebookのような成功を思い描きながら日夜開発に励み、資金集めに奔走する - 成功すればもちろんそれに越したことはないが、失敗もまた多くの成長の機会を彼らに与えてくれるに違いない。だが、もし、その組織の中に、あるいはすぐ近くに、ガイド的な役割を果たしてくれる経験豊富な人物がいたとしたらどうだろう。少なくとも組織が致命的な傷を負うリスクは格段に低くなるはずだ。

今回ご紹介する米Juniper Networksの日本法人 ジュニパーネットワークスの取締役社長 細井洋一氏はそんな使命感をもって昨年11月、同社の取締役社長に就任した。サン・マイクロシステムズ、ハイペリオン、エヌビディアといった名だたる外資系IT企業でトップを務めてきた同氏だが、ジュニパーというIT業界の中でも比較的"若い"企業の社長を引き受けたのは、持ち前のチャレンジ精神に加え、「日本のネットワーク市場の規模を大きくし、日本法人を、そして後進を育てたい」という思いからだったという。

ネットワークのグローバル化は企業経営を大きく変えた。「今は豆腐屋でさえ世界に進出する時代。日本の顧客は今後、もっと世界に出て行く必要に駆られる。我々のようなソリューションベンダは、顧客とともに世界を見、ともに市場を大きくしていく努力をしていかなくてはいけない」 - 東京・新宿のジュニパーネットワークス本社にて

米国カリフォルニア州サニーベイルに本社をもつJuniper Networksは、ネットワークOS「Junos OS」を核に、高速ルータやスイッチ、セキュリティゲートウェイといった数多くのネットワークソリューションを提供する企業だ。エンタープライズ業界ではCiscoと並ぶネットワークインフラのトップベンダとしてよく知られているが、残念ながらコンシューマレベルでその名を聞くことは少ない。日本法人のジュニパーネットワークスもしかり。

そこで多少意地悪な質問ではあるが、細井氏に「ITにあまり詳しくない人に"ジュニパーネットワークスは○○な会社です"と説明するとしたら?」と聞いてみた。すると「ネットワークは空気と同じ。つながっていることが当たり前で、もし突然使えなくなったりすれば、多くの利用者は大混乱に陥る。そういう事態が起こらないように、品質の高い、安全なネットワーク基盤を提供することが我々の使命」との答えが。"安全"とは「正しいユーザにはシームレスな接続を、悪意あるユーザの接続はブロックする」ことを指す。さらに、「ひと昔前は、金融システムでさえコンファメーションに3秒もかかっていたが、そんな遅さは今ではとうてい受け容れられない。また、YouTubeのようなビデオ画像をネット上で閲覧するのも当たり前の行為。だからこそ、さらなる高速/高密度な通信を可能にする環境を、適切な価格で提供することが今後の課題」という。むしろ、一般ユーザにその存在を感じさせないことこそが、ジュニパーの存在意義を高めていくのかもしれない。

全地球を覆うネットワークインフラ技術を提供するとなれば、当然、社員にはネットワークに関する広範で深い知識が求められる。細井氏の目に、ジュニパーネットワークスの従業員はどう映っているのだろうか。「ネットワークそのものが大きく変わろうとしているバックグラウンドのせいか、(ネットワークに)今までにないパワーをもたせてやろうという気概を強く感じる」- 多くのIT系企業を経験してきた同氏だが、ジュニパー社員たちが発する"技術が好き"という思いは、その中にあっても特別のようだ。

だからこそ細井氏はあえて、社員に対し高いハードルを設けている。「今はJuniper Networks自体が中堅どころから大企業へと飛躍しようとしている時期。当然、日本法人もいままでにない規模のスケールアップが求められる。3 - 5年後にはグローバルで1兆円規模の売上を目指し、それにあわせ日本法人も高い成長を遂げていきたい」とする。だが、急激な成長には必ず何かしらの痛みが伴う。細井氏はそこに自身の存在価値があるという。「成長期には骨のきしみが生じるのは当然。だが痛みを経験したことがなければ、不安と恐れからパニック状態に陥りがちだ。もし、私のような経験者がその痛みをケアできれば、従業員は安心して伸びていくことができるはず」 - 安心とは"痛みがない"状態を保証することではない。多少痛みを感じても、"このくらいなら大丈夫なんだ"という自信を付けさせることが重要なのだ。チャレンジを重ねることを恐れない人材を育て、会社と市場を大きくする、そして10年後にジュニパーネットワークスという会社を率いることができる後継者を育てる - 細井氏はこれを自身がジュニパーで果たすべきもっとも重要な仕事だとしている。

では、これからリーダーとなる人間には具体的にどんな資質が必要なのだろうか。「英語力はもちろんあったほうがいいが、ビジネスの現場では中3レベル + 専門用語で十分。それよりもグローバルの舞台では教養が必要。たとえばビジネストークの最中、聖書にあるダビデとゴリアテのたとえが出てきたとき、すぐにその内容がわからないと欧米企業のトップと会話を続けることは難しい」とのこと。逆にいくらTOEICの点数が高くても、「日本語でもディスカッションできないような人は何語でもダメ」と手厳しい。「英語を話すことであがらないこと。間違えてもかまわないのだから。日本人はどうしても1語つっかえただけであがってしまい、100のうち5も言いたいことが言えないまま終わってしまう。単語を勉強するよりも、人前に出る機会を増やし、あがらない訓練をしたほうがいい」 - ちなみに細井氏は子どものころ、少年合唱団に入っていたおかげで、人前であがることはほとんどないそうだ。

もうひとつ、ジュニパーのような若い組織だからこそ必要なスキルが「自分より年上、あるいは自分より優秀な人材をマネジメントする能力」だという。「誰だって自分より年上の部下を扱うのは難しい。だが、そういう人をきちんと戦力にできる能力がないと、組織を強く大きくすることは無理。Googleがあそこまでの世界的大企業になれたのは、若い創設者二人がSunからEric ShmidtをCEOに招聘し、経営を任せたから」 - 自分自身の能力を冷静に見極め、足りない部分は礼節をもって経験者に頼む、リーダがそれをできればその組織は必ず発展するという。若くしてリーダーになった人間は、つい自分の力だけで前に進もうとしがちだが、それではいくら努力したところで限界がある。周囲の人間も離れてしまいかねない。くだらないプライドに固執せず、人を頼むことができる力が組織とリーダーを成長させてくれるのだ。

最後に、少々立ち入った質問ではあるが、現在55歳の細井氏にジュニパーでの職責を全うしたあとに予定していることは?と聞いてみた。同氏は「それはこれからゆっくり考えたい」とした上で「やりたいことと体力とのギャップを日に日に感じている」という。たとえばスキーに行って、若いときと同じ感覚で滑ろうとしても、体がそれについていけないことがある。そう気づいてからは、無理をするのをやめ、仕事もメリハリをつけることを心がけているという。1日でもっともリラックスする時間は入浴時。本を読んだり、ゆっくりと考えごとにふけることも。ただ、習慣からどうしてもBlackBerryだけは24時間手放せないそうだ。「端末が光るとどうしても気になってしまうので、逆に無理して遠ざけることをやめました。妻に見つかるとえらく怒られますがね(笑)」 - 身も心も現場から離れるのはまだ当分先のようである。

エヌビディア時代、GPUの高速化を間のあたりにしてきた細井氏は「これからは動画ネットワークが高速化する時代」と強く感じていたという。それだけにジュニパー入社はごく自然な成り行きだったのかもしれない。「ジュニパーに3 - 5年いればどのIT企業でもやっていける、そういう人材を育てていきたい。そのためには目標を高くもって、失敗を怖がらずにチャレンジしてほしい。後方支援は任せてもらって大丈夫」(細井氏)

(イラスト ひのみえ)

プロフィール

細井洋一 HOSOI Yoichi

ジュニパーネットワークス 代表取締役社長。東京都出身。1954年7月25日生まれのの55歳。慶應大学法学部卒業後、メッセージ配信サービスプロバイダのバイテル・ジャパン(現エクスパダイト)、日本サン・マイクロシステムズ(現サン・マイクロシステムズ)、日本SSAグローバル 代表取締役社長、ハイペリオン(現オラクル) 代表取締役社長、エヌビディア 日本代表 兼 米国本社ヴァイスプレジデントなど、約30年に渡り外資系IT企業で要職を務めてきたキャリアをもつ。得意なスポーツはスキー。「慶應大学を選んだのは尊敬する加山雄三さんの出身校だから。スキーを始めたのも加山さんの影響です。命を落としかけたり、財産を失ったり、親族のごたごたに巻き込まれたり、人生のどん底のような辛い経験をたくさんしているのに、いつも人に元気を与えている - 彼を見ていると"神は人に乗り越えられない試練は与えない"という言葉の意味がわかる気がします」