「嘘も方便」という言葉がありますが、「方便」とはもともと「真理(悟り)へ近づくための巧みな手立て」という意味の仏教用語。
よりわかりやすく言えば「目的に近づくための優れた手段」といったところで、どうやらただ嘘をつけばそれが方便にもなるということではなさそうです。
ブッダが用いた「方便」のエピソードとして、こんなお話があります。ある時、ゴータミーという一人の女性がぐったりとした子供を抱えながらブッダの元へやってきて、「助けてください、息子が動かないのです。この子を治すにはどうしたらいいでしょうか」と必死に尋ねました。
しかし、彼女が抱えている幼い子供はすでに亡くなっていました。ゴータミーは息子を失った現実を受け入れられず、生き返らせる方法を求めて彷徨いブッダのところへやってきたのです。
そこでブッダは答えます。「今まで1人も死人を出したことのない家を探し、芥子の実を貰ってきなさい。それで作った薬を飲めば治ります」
当然、死んだ人を生き返らせる薬など作れるはずがありませんし、ゴータミーは身内が誰も亡くなったことのない家を探し回りましたが、そのような家もありません。
しかし自分と同じように身内の死に触れた人々に会っていくうちに、「生まれたものには必ず死が訪れる(諸行無常)」「誰もが愛するものを失う苦しみを持っている(愛別離苦)」という真理を悟り、息子の死を受け入れることができるようになったといいます。
こうした仏教の「方便」には「相手の役に立つかどうか」という視点が重視されています。答えに気づくことができるように相手の行動を促したり、相手の苦しみを取り除くことができる(=役に立つ)のが、目的に近づくための優れた手段としての「方便」というわけです。
もしもブッダがいきなり「あなたの息子さんはもう亡くなっています」「人は必ず死ぬものです。生き返らせることはできません」と「答え(正論)」をぶつけていたら、正しいことを言われているはずなのに、ゴータミーはそれを受け入れられなかった(正しいと感じられなかった)のではないでしょうか。
相手が抱えている問題に対していきなり答えをぶつけたり事実や正論を語ることが、必ずしも相手のためになるとは限らない、ということもこのエピソードから学ぶことができそうです。伝える内容だけではなく、「相手のためになるか?」という観点で伝えるプロセスにも気を配ってみると、良いと思っている物事の真価をより実感してもらえるかもしれません。
■こむぎこをこねたもの、とは?
■著者紹介
Jecy
イラストレーター。LINE Creators Marketにてオリジナルキャラクター「こむぎこをこねたもの」のLINEスタンプを発売し、人気を博す。その後、「こむぎこをこねたもの その2」、「こむぎこをこねたもの その3」、「こむぎこをこねたもの その4」をリリース。そのほか、メルヘン・ファンタジーから科学・哲学まで様々な題材を描き、個人サイトにて発表中。
「週刊こむぎ」は毎週水曜更新予定です。