野原: 生産性を向上させて賃金を上昇させるにはいくつかの方法があると思います。DXは主軸になる手段であると考えていますが、岸先生はどのようにお考えでしょうか?

岸: DXはもうイロハの「イ」ですよね。本来はとっくの昔に進めておかなければいけなかったと思います。

世界的なこれまでの流れをおさらいすると、1980年代からパソコンの普及が始まり、1990年代半ばからインターネットが個人や社会レベルで普及し出して、デジタル化が急速に進み始めました。この波に乗った国や産業・企業は生産性を上げて、イノベーティブな製品やサービスをたくさん生み出していきました。典型がアメリカですね。アップルやグーグルといった企業を数多く輩出し、国の経済も大きく成長しています。

では、日本はどうだったのか。残念ながら、日本は90年代以降の30 年間、世界的なデジタル化の潮流にことごとく乗り遅れ続けてきました。

野原: かつての日本は高度経済成長を経て、世界第2位の経済大国と言われていました。80年代などテクノロジーにおいても世界の先端を走っている時期がありましたよね。それがなぜデジタル化やDXの波に乗り損ね、現在のような状況になってしまったのでしょう?

岸: アナログの力が強すぎたからです。

野原: デジタルではなく、人や組織のアナログ的な力ということですね。

岸: そうです。日本が好調だった時期、特に製造業などの「現場の人たち」はとても勤勉で仕事の質も高かった。仮にずさんな経営判断があっても、こうした優れた現場の一人ひとりの力によって、危機を乗り切って成果を手繰り寄せてきました。こうしたアナログ的な現場力が、間違いなく日本の高度経済成長を牽引してきたのです。加えて言えば、高度経済成長の過程で大企業ほど組織をしっかりと作りすぎてしまったこともあります。

結果としてデジタルが企業に入り込む余地がなかなか出現してこなかった。「現場の頑張りで何とかなる」という成功体験を積み上げた結果、組織も商慣行もマインドセットも全てアナログが前提で確立されすぎてしまったのです。

野原: 日本の現場の方々が優秀なのは今も変わりませんよね。しかし、そうして日本がアナログの力に頼っている間に、他国はデジタル化、DXを一気に進めてきました。

岸: それが今の差につながりました。日本以外の多くの国が、複数の仕事の領域を効率化させた結果、アナログなスタイルを続ける日本の生産性を追い越し、差を広げることになったわけです。

野原: 一方で、日本でもデジタル化の波に順応している産業もあるように思います。例えば自動車産業は「デジタル化が遅れている」という話はあまり聞きません。また日本のコンビニエンスストアのシステムは、もう20年、30年ほど世界の先頭を走り続けている印象があります。このように上手にDXを進めている産業は、他の産業と何が違うのでしょうか。

岸: 産業の立ち位置が違うことでしょうね。

自動車産業は、長らくグローバルな競争に晒されてきたことが大きい。市場も材料の調達なども厳しい国際的な競争の中で、常に生産性を磨き続けなければとうてい生き残れません。アナログ的な磨き上げも残しつつ、DXも当然のように進めざるを得なかった面はあるでしょう。

コンビニ業界に関しては、産業のライフサイクルでみると、まだ若いことが理由でしょうね。前述のようなアナログで組み上げられた仕組みや商習慣が確立されていなかったため、デジタルを当たり前のものとして取り入れやすかったのではないでしょうか。

いずれにしても、伝統的な産業ほどDXの遅れが見られますね。

野原: 建設産業もなかなか大規模なDXが進まない伝統的な産業のひとつであると言えます。

私は欧米、アジアの建設産業を視察する機会が多いのですが、他国でも建設産業のDXが、製造業やサービス業といった他の産業と相対的に見ると遅れがちなのも合点がいきます。それでも日本よりは進んでいますが。

岸: 日本の建設産業の現場の方々こそ、優秀でアナログ力が高い面もあるでしょうしね。

野原: おっしゃる通りですね。海外の建設産業を視察する際、できるだけ建設現場も見に行くのですが、他国に比べて日本の建設現場が圧倒的にきれいなことに気付かされます。

「3K」などと言われていましたが、実のところ日本の建設現場は、ゴミが放置されることもなく、道具もきれいにメンテナンスされ、一番整然としていて、現場がスムーズに回っているのが一目でわかります。その背景には、働く人の多くが日本で生まれ育って、同じ教育を受けているので、意思疎通がしやすく、コミュニケーションコストがかからなかったこともあると思うんです。

アメリカやヨーロッパ、アジアの国では、危険と隣り合わせの建設現場に、移民の人たちの姿がもっと多く見られます。移民の方々が建設産業の屋台骨を支えているといっても過言ではありません。

岸: 場合によっては、その国の母国語では簡単にコミュニケーションができない。

野原: そうなんです。だからこそ、欧米は3Dでビジュアライズしたデータで設計や仕様のやりとりができるBIMというシステムが普及しやすかった面があると思います。

日本も今後は、外国人の労働者の方が増えていくでしょうから、急激にDXの機運が高まっていくかもしれません。

岸: いずれにしてもどんな産業でもDXのやりようはある。トップの覚悟次第とも言えるでしょうね。