建設産業の内外に「建設DX(デジタルトランスフォーメーション)」を実現しなければいけないという意識はあるのに、なかなか進まない現状があります。
本連載では、その理由が何なのか、建設DXの普及を牽引する企業である野原グループの代表取締役社長兼グループCEO、野原弘輔氏をホストに、建設産業に携わる多様な立場のゲストの方との対談を通じて、建設産業への思い、DXへの取り組みについて浮き彫りにします。
かつて、建設産業の魅力に引き寄せられ多くの人々が集ってきた
しかし今、深刻な人手不足の中で、難題の解決に追われている
建設DXで新たな可能性を追求し、未来を切り開いていく
野原: どの産業も人手不足に悩んでいますが、建設産業は、特に人手不足が深刻です。日建連の発表によれば、建設業の入職者数は2012年以降、離職者数を上回っていたようですが、2022年は入職者数の減少により再び離職者数を下回っている状況で、高齢化も顕著です(下図参照)。
かつてのような高度経済成長の時代は、建設現場の職人や大工が「腕一本で稼げる魅力的な仕事」として知られていて、子どもたちの憧れの仕事でした。どうしてそれが現在のような状況になってしまったのでしょうか? どうすれば人手不足を解消でき、建設産業がさらなる発展を遂げられるでしょうか?
今回は、国土交通省の専門家会議委員長などを歴任し建設産業の労働環境改善に取り組む芝浦工業大学建築学部・蟹澤宏剛教授と、建築生産マネジメント研究の第一人者である芝浦工業大学建築学部・志手一哉教授のお二人にお話を伺います。
芝浦工業大学 建築学部教授 蟹澤宏剛
1995年、千葉大学大学院博士課程修了。博士(工学)、国土交通省専門工事企業の施工能力の見える化等に関する検討会座長、建設産業人材確保・育成推進協議会顧問、厚労省墜落・転落防止対策の充実強化に関する実務者会合座長などを歴任。著書に『建築生産ものづくりから見た建築のしくみ』(彰国社)、『建設業社会保険未加入問題Q&A』(建設通信新聞社)ほか多数。
芝浦工業大学 建築学部教授 志手一哉
2013年、千葉大学大学院博士課程修了。1992年に株式会社竹中工務店に入社し、施工管理、生産設計、研究開発に従事。2014年から芝浦工業大学にて建築生産マネジメント分野の教育研究に従事。主な専門分野は建築生産、ファシリティマネジメント、BIM(Building Information Modeling)。博士(工学)、技術経営修士(専門職)、一級建築士、1級施工管理技士、認定ファシリティマネジャー。著書に『現代の建築プロジェクト・マネジメント(彰国社)』ほか多数。
蟹澤: 確かに建設現場の職人は、昔は稼げる仕事の代表でした。稼げる仕事とは何かと言えば、一般論として「付加価値が高い仕事」になります。言い方を変えると、ごく一般の人ではできず「この人でなければできない」仕事です。
自ずと、知識や頭脳、あるいは人並み外れた体力を持つ人が担う仕事になります。建設現場の仕事はまさにそれでした。東京タワーは1958年に竣工しましたが、これを作った職人たちは、当時は安全帯もせず、タワーの頂上付近でリベットを焼き、投げて、受け取り、取りつける。そんな神業を平気で行っていました。
言うまでもなく、誰しもできる仕事ではありません。こうした人たちは当然、多額の収入を得られました。ホワイトカラーと比較しても、現場の職人のほうが稼ぎは上でした。その頃はオフィスにパソコンはおろか、コピーもファクスもない時代、電話は共同、手書きでやりとりしていたので生産性は低い時代でしたからね。
野原: 他の産業や他の職種とも比較して、生産性が高く、能力ある個人が、正当に評価されていたわけですね。
蟹澤: その通りです。特にホワイトカラーや現場監督の数倍も稼ぐような人は、体力が優れているだけでなく建築に関する深い知識や経験、さらにマネジメント能力もあった。
例えば当時、建築や土木で使っていた図面は100分の1や50分の1スケールの手描きで大雑把なものでした。詳細までは記されていないので、現場で図面から完成形を読み取っていました。職人の方々がこれまでの経験から設計意図を読み取って、作業の順番や具体的な施工方法などを考えるなどしていたのです。
さらに現場の職長ともなれば、大勢の職人を率いて、現場マネジメントもしていた。「頭」と「体」と「人」を存分に使って、大きな成果を出す仕事ですから、当然極めて稼げる仕事だったわけです。
野原: しかも、戦後の復興や日本の高度経済成長を支えるとても意義のある仕事、やりがいのある花形産業でもありました。
志手: そうですね。「何もなかったところに新しいものを作っていく」時代でした。黒部ダム、東京タワー、国立代々木競技場など、世の中が驚くような魅力的な建設物をどんどん作っていく。当時の建設業は非常にやりがいを感じやすい仕事で、だからこそ人気の業界だったわけです。しかし、いまや必要なインフラは、おおかたできてしまいました。
誰しも必要不可欠なインフラとしての建設よりも、今あるものを解体したり、古くなったものを補修したりする、華やかさに欠ける仕事の割合がずっと多くなったのです。
一方で、新しい花形産業が台頭しました。特に90年代前後からITの発達と浸透によって、システム開発やソフトウェア開発、ウェブサービスといった新規の成長産業が多く生まれた。ITエンジニアやウェブデザイナーといった新しい職業も続々と登場しました。グローバル化によって商社や金融といった業界にもスポットが当たるようになりました。
ひるがえって、建設産業を見ると、入札談合などの悪しき商慣習がマスコミに指摘され、激しく叩かれ始めました。こうした外部環境から見ても、建設産業の人気が落ちていったのは致し方ないのだろうなと思います。
野原: 建設現場の環境、特に専門工事を取り巻く環境は、大きく変わっていきましたよね。
蟹澤: 高度経済成長期(1955~1973年)になって、建設現場に重機が入ってきたことは大きな変化でした。肉体を酷使する必要性はなくなり、生産性は大幅に上がりました。
しかし、現場の大きな付加価値のひとつだった「体」を使う仕事が機械に置き換えられたわけですから、職業としての「付加価値が下がった」とも言えます。
野原: この期間には、図面を読み取って、現場で部材を加工するなどの知識や頭脳を必要とする仕事についても減ってしまった印象があります。
蟹澤: その通りです。かつてゼネコンは直接、一部の建設労働者を雇用していました。今も多くの国がそうなのですが、日本は優れた建設労働者が育っていたので、彼らが独立して下請けとして働き始めたのです。
元請けと下請けでは、一種の主従関係になり、下請けの利益は少しずつ減りました。また下請け化が進んだことによって建設現場は急速に分業による効率化が進みました。資材をあらかじめ組み立てておくモジュール化が進み、図面を読み取って現場で加工するような「余白」のような仕事がどんどんなくなった。最後に残ったのは、現場に届いた半完成品をビスで留めるとか、釘を打つといった組み立て作業くらいになってしまいました。
創意工夫の部分、それはものづくりの最も楽しい部分でもあると思いますが、まるごと削り取られてしまったわけです。機械化や分業化で現場の生産性は上がりますが、現場で働く人のものをつくる面白さというか、やりがいは減っていってしまったのかもしれません。
この「やりがいの喪失」も業界の人気を衰退させた大きな要因のひとつでしょう。野原さんが指摘されたように、建設産業は人材不足が極めて深刻です。建設技能者の数は、2045年には2020年の半分に減り、「2045年問題」と言われます。
野原: 大工の方々など、複数の工種をまたがった仕事、例えば、細かい修繕ができる人の減り方も激しいですよね。
蟹澤: 建設業全体で2045年には従事者が半分になると言いましたが、大工は2035年に半分になり、2045年には3分の1になってしまいます。現在、生産年齢の大工の数が21万人余なのが、2035年には11万人、2045年には6万人強になる可能性が高いです(下図参照)。
野原: ものすごい減少率ですね。
蟹澤: でも新築に関しては、木造住宅は、あらかじめ工場で材料をカットするプレカットになってきたので、これまで大工がやっていた積み付けて刻んでといった過程が不要になりました。およそ二人工、30坪の住宅を2人で加工して30日かかっていた仕事が数時間で済むようになったので、住宅メーカーでは、いわゆる生産革命が起こったと言っていいでしょう。
しかし、それ故に、「カンナかけて」「ノミ使って」といった、みんなが憧れる大工の仕事が一切残っていない。憧れと現実のギャップがあまりに大きく、せっかく大工を目指して業界に入ってきても、がっかりして辞めてしまうのです。先ほどの建設全体の話と同じですね。やりがいが、ない。
日本の総人口が毎年60万人も減っていることを考えると、人手不足は建設産業のみならず、日本社会全体の課題です。
むしろ、建設産業ならではの「やりがいの喪失」や長時間労働や非効率な業務など、業界特有の本質的な課題を見直す必要が、大いにあるのではないでしょうか。