今回のテーマは「卒論」である。

テーマを出してきた担当より「今話題の方の卒論じゃないです」と言われたのだが、何のことかわからなかったのでググったところ、「またどうでもいい芸能ゴシップを仕入れてしまった」と、石川五右衛門のような表情でディスプレイを見つめる羽目になった。つまり、役所に出す目に優しい緑の卒論ではなく、今回は学校に出す卒論の話である。

「イケメンの顔を描くだけのお仕事」を目指して

しかし私は大学には行っていないので、卒論は出したことがない。今までのコラムでも書いたが、私の最終学歴は専門学校卒業だ。よって、ここでは私の卒業制作について書いていく。

通っていた専門学校では「グラフィックデザイン」を専攻した。漫画の専門学校に行くことは親に許してもらえなかったので、グラフィックデザインが何か良くわかってない親を煙に巻いて「グラフィックデザインコース」に入学したのだが、実は入る本人も良く分かっていなかった。

専門学校というのは、やる気がある人も多いが、こういった「就職はしたくないが大学受験もしたくない」という真正モラトリアムが集う場所でもある。大学以上に本人のやる気が重要な所なのだ。

そんな真正モラトリアムでありながらもグラフィックデザイン学校を卒業した私にデザインをやらせると、数あるフォントの中から、多くのデザイナーをそのダサさから憤死させるという「創英角ポップ体」を必ず選び出してくる目利きぶりを発揮する上、サイズはもちろん48ptぐらいにする。さらに斜体もかけるし、できることならグラデーションもかけてやりたいと思っているが、やり方がわからないので、ビビッドな赤字でキメるのである。

今現在、漫画をいくつか連載させてもらっていて、ある程度連載が続くと、数話分をまとめた単行本が出る(こともある)。漫画の単行本の表紙絵を描くのはもちろん作家だが、装丁は当方でなくデザイナーの仕事だ。作家がデザインまでやるものでなくて本当に良かったと思っている。

もし作家が装丁まで担当することになっていたら、「コミックス全7巻 累計実売数3」とかいう事態が平気で起こったに違いない。「ジャケ買い」があるなら、「ジャケやめ」もあるはずだ。「これは触るだけで自分のセンスが落ちる」と思わせる一品を作りだす自信がある。

このようにデザインスキルは身につかなかったが、自分にデザインのセンスがないということだけは、2年かけてみっちり学んだのである。非常に高い授業料であった、もちろん親にとって。

今思えば、当時の自分はクリエイターになりたいというよりは、好きなイケメンキャラの顔(全部左向き)だけを描いて暮らしたいと思って、その学校に入学したような気がする。あれから10年余り経ったが、未だにそういう求人は見たことがない。もしこの世のどこかにあるなら、今からでも会社なんか辞めて目指したい所存だ。

カレー沢氏の卒業と「猫」の誕生

そんな志の人間ですら卒業できるのだから、専門学校というのは金さえ出せば入れるし、出られると思われるかもしれない。しかし、確かに大学よりは緩いかもしれないが、一応出席日数などが足りないと卒業できないし、冒頭で言った通り、大学の卒論にあたる「卒業制作」というものがある。

卒業制作とは何か。簡単に言えば、「何か作れ」ということである。私にとっては、2年の月日と親の金をドブに捨てて得たものの集大成、もっと正確に言うと、「貴様の恥を見せろ」ということである。

グラフィックデザイン科だけに、架空の企業や商品のポスターやロゴなどをデザインする者が多かった。しかし、作る物は本当に何でも良く、メインストリームに準じずとも、イラストを巨大パネルに描いて「これが俺の2年と親の金や!」と言って発表すれば、講師陣も「そうか!」となって卒業できるのだ。

やはり卒業要件が緩いと思われるかもしれないが、もちろん3分で作ったようなものは認められない。ただ、3カ月かけて3分で作ったようなものを作るのはOKなのである。専門学校とは(少なくとも私が通ったところは)、「やることに意義がある」という義務教育までしか認められないような理屈を、もう二十歳になろうかという人間に適用してくれるおおらかな場所なのだ。

そして肝心の自分が何を作ったかと言うと、何せ、授業も聞かずにスケッチブックにその時萌えていたキャラの左向き顔ばかり描いていた人間である。成績も悪く、それまで授業での制作物を褒められたこともなかったし、そのイケメンの絵だって、友人などに見せても全く無反応であった。

しかし、イケメンのついでに描いていた猫の落書きに対しては、みんな妙に面白がってくれた。そしてその猫の絵とは、今の私の漫画作品の多くに出てくる猫と全く同じものである。

そのため、卒業制作はこの猫のイラストを何十匹と描いてB1サイズのポスターにして提出したところ、優秀賞を取ることができた。そこで、私の絵はイケメン(レフト)については全くダメだが、猫の絵は他人への訴求力があると気づき、この猫を主役にした漫画を描いて漫画家デビューしたのである。このことに気づけていなかったら、おそらく私は漫画家にはなれていなかった。

専門学校では自分にデザインセンスがないことだけを学んだと思っていたが、今思い返すとそれだけではなかった。イケメンのセンスがないことも学んでいたのである。

そう思うと、専門学校時代も私にとって重要な期間だったと言えるのだが、卒業制作の評価にしても、総合点は非常に低かったが、審査員の中の数人が猛烈に推したための受賞だったらしい。これは、現在における私の漫画家としての世間の評価を完全に暗示している。

よって、人生の軌道修正をするならここだったとも言える。しかし、悪いところは分かっているが、それが直せないということも、もうわかっているのだ。


<作者プロフィール>
カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。連載作品「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中。10月15日にエッセイ「負ける技術」文庫版を発売した。

「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年2月2日(火)掲載予定です。