人によっては使えない!? 『チーズはどこへ消えた?』

私を社長に導いてくれた一冊

言わずとしれた大ベストセラーながら、批判も多い『チーズはどこへ消えたか?』。主題となる2匹のネズミと2人の小人(こびと)の物語は単純明快な「絵本」レベルの寓話で、「実戦では使えない」という指摘があるのですが、そもそも、本書が「ビジネス書」かという疑問があります。また、IBM、Appleといった世界的企業が社員教育に採用したという触れ込みのせいか、従業員を"こき使う"ための「資本家のプロパガンダ」という声もあります。

「なるほど、そういう見方もあるのか」と感心しますが、私は本書との出会いにより「社長」になりました。というわけで、今回も本書を「ビジネス書」として「カスタマイズ」していきます。

本書の「絵本」の部分は50ページしかなく、30分もあれば十分に読了できる内容を要約すれば以下のとおりです。

迷路をさまよい、ようやく発見したチーズ。それを食べ尽くした時、すぐに新たなチーズを求めて探しに出かけた2匹のネズミと対照的に途方にくれる2人の小人。やがてチーズがなくなったという「変化」を受け入れ歩き出した「ホー」と、受け入れずそこにとどまる「ヘム」。

学ぶべきは「ヘム」の態度

400字詰めの原稿用紙の片側も埋まらぬ128文字で、ツイッターの投稿規定140文字にも収まるほどシンプルな内容です。だからこそ、読み解くポイントを間違えると「使えない」のです。実戦で「使える」ようにするためのカスタマイズポイントは、チーズがなくなったと気づいた翌日になっても、事実を受け入れないほうの小人「ヘム」の態度(31～32ページ)です。

本書を始めて手にとったのは2001年のちょうど今頃。3ヵ月後に会社員生活が終わるとは、まだ気づいていませんでした。あまりベストセラーに手を出すことはないのですが、「社内改革」という与えられた重責に悪戦苦闘していたこともあり、「変化しろ」と迫る同書を紹介したワイドショーを見て冷やかし半分に手を出しました。そして、「ヘム」から誰が社内改革の最大の障害かを教えられます。

「ヘム」は2匹のネズミとの対比で、自分の知能の高さを誇ります。高慢ちきな自尊心は「一昨日までチーズがあったという成功体験」が裏打ちし、その成功体験をもとに現実逃避と責任転嫁を始めます。

「搾取される会社員」から解放されたきっかけ

私が勤める会社では、社長を筆頭に役員たちが他社と比べて自社を格上に置き、創業20年を超えた実績を誇りながら現在の業績不振を嘆いていました。その姿が「ヘム」と重なります。自社の優位性の主張も、「ヘム」がネズミの知性の低さをバカにしながら、ネズミの嗅覚の高さや足の速さには触れないように、経営方針が異なる企業と「勝てる分野」だけで比較して悦に浸っていたのです。かつての栄光を回顧して、業績不振を招いた「経営判断」を振り返らないのも、小さくなっていくチーズに気づかなかったことを反省しない「ヘム」と同じです。「ヘム」は最高の反面教師なのです。

私が業務として命じられた「社内改革」が進まなかった最大の理由は、経営陣がブレーキを踏んでいたことです。創業期のビジネスモデルに固執し、新しいやり方は前例がないと否定され、許される「変化」は経営陣の経験の範囲内でしか認められなかったのです。すでにチーズは小さくなり、次のチーズを探す季節になっていたのに、許された「変化」は残り少なくなった「チーズの切り方」ぐらいでした。

そして3ヵ月後、「ヘム」とチーズを待ち続ける生活にピリオドを打ちます。冒頭で紹介した「資本家のプロパガンダ」という批判に驚いた理由は、私は本書をきっかけに「搾取される会社員」を辞めることができたからです。

真実の真実は「当たり前」

本書の導き出す結論に「変わらないことも大切だ」という反論もありますが、それは大間違いです。あるいは、読解力不足でしょう。時は流れ、時代は変わります。歌舞伎も落語も常に時代と対峙して、変化してきたから21世紀の今も観客を魅了するのです。伝統工芸の世界でも新たな道具や素材を常に探求しています。そこで重要なカスタマイズを。

「変化を受け入れる」

今から800年前に書かれた『方丈記』の有名な一節「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」とあるように、変わらないように見えても、流れる水の分子は入れ替わっており川底のザリガニは脱皮を繰り返しています。

そして「変化を受け入れる」とは心のありようで、本書で「動き出せ、進め」と「変化」を煽るのは物語における比喩表現です。物語は関係を単純化し、問題点を強調します。実際の行動は熟慮の末でも構わないですし、むしろ、分別のある大人ならそうすべきでしょう。反対に物語の煽り文句をそのまま解釈する姿は、将来の夢を「ウルトラマン」と答える幼稚園児の無邪気さに通じます。

本書はすでに「変化」を受け入れている人にとっては、示唆に富んだ言葉がふんだんに散りばめられています。一方、「変化」を誰かが与えてくれるのを待っている人には不満が残ります。実戦の妙法も出世の裏技も紹介されていないからです。本書にファストフードの接客マニュアルのような、従うだけで「変化」が訪れるようなスキルの紹介を期待しているのなら「使えない」という批判はその通りです。

アマゾンのレビューを見ると「当たり前の内容」と激しく非難している人たちがいます。それもまた、的を射た論評です。それは最後のカスタマイズにもつながります。

「真実の大半は当たり前のことばかり」

なのです。その「当たり前」を行動に移せる人こそが「変化を受け入れている人」であり、新たなチーズを探しにでかけることができる小人なのです。

宮脇 睦(みやわき　あつし)

プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。

筆者ブログ「マスコミでは言えないこと＜イザ!支社＞」