飛行機に限った話ではないが、昔は何でも人間による手作業に依存する部分が多かった。だから、人間がミスをしないようにする、見落としを防ぐといったことも重要であり、そのためにチェックリストのようなものが考案された。

しかし現代では、かなりの部分が自動化、コンピュータ制御化されている。そこで今回は、飛行機の安全対策の面から、自動化がいいのか、手動がいいのかということを考えてみたい。

人間はミスをするものである

人間はミスをするものである――こう言い切ってしまうと、実際に飛行機を飛ばしているパイロットの皆さんに怒られそうだが、「ミスをする可能性はゼロにならない」とはいえると思う。それだからこそ、過去の経験に基づいて、ミスを防ぐための配慮がいろいろと取り入れられてきている。それについては、以前にも書いた。

実のところ、決まり切った操作を順番通りにこなすとか、与えられた条件の範囲内から逸脱しないようにコントロールするとかいう話であれば、自動化するほうが間違いがない。

では、すべて自動化してしまえば事故はなくなるのか。それは正しくなさそうだ。それはなぜか。

上で書いたことの裏返しになるが、その場その場の状況に応じた咄嗟の判断が求められる場面では、自動化とかコンピュータ化とかいったものは旗色が良くない。

筆者の口癖で「コンピュータはカンピュータになれない」というのがある。それは、人間みたいに「カン」で動くとか、「ピンとくる」とかいうことができないからだ。コンピュータは基本的にソフトウェアという形で与えられたロジックに基づいて動くものである。

軍用の無人機(UAV : Unmanned Aerial Vehicle)で、監視・偵察といった任務の利用はどんどん広まっているのに、戦闘任務での利用が意外と広まっていない一因は、たぶんその辺にある(あくまで一因で、すべてではない)。

指示された場所をグルグル周回しながら、センサーで得たデータを送るのは、「定型化された任務」である。しかし、戦闘任務では「敵味方の識別」「攻撃の可否に関する判断」「敵に攻撃されたときの回避行動」などといった具合に、「その場その場の咄嗟の判断」が求められる場面がある。それをシンプルな公式、あるいは定型にまとめるのは難しい。

第一、何かマズいことがあっても、コンピュータに責任をとらせることはできない。それでは社会的に受け入れられない。

自動化が向くのは「公式」がある場面

「どういう場面で何をどう動かすか」という公式(制御則)が決まっていて、かつ、操作が複雑になる一例が、F-35Bの短距離離陸・垂直着陸だ。

フラッペロン、スタビレーター、方向舵に加えて、エンジンの推力偏向と出力制御、リフトファンの推力偏向という操作まで必要になる。動かすモノの数が人間の手足の数よりも多い上に、動かすタイミングや向きや量を間違えると事故になる。

こういうのは手作業に委ねるよりも、コンピュータ制御にしてしまったほうが楽で、しかも安全だ。実際、F-35Bの短距離離陸・垂直着陸は操縦操作が簡単になり、しかもそれに起因する事故を起こしたことがない。

逆に、確立された「公式」のようなものがない、あるいは明確になっていない場面は、自動化やコンピュータ化にそぐわない。管制官の仕事もその一例で、人によってそれぞれ「流儀」が違うという。

もちろん、管制官が守るべき基本的な原理原則はある。例えば、着陸進入する複数の機体に対して「交通整理」を行う場面では、進入するルートや、とるべき間隔、立ち入ってはいけない空域、といったものは決まっている。

しかし、どうやって適正な間隔を設定するかという段になると、どの機を動かして調整するのか、どちらに向けてどのように動かして調整するのか、というところで個人差が出るらしい。

先日、ボストンから成田に帰ってきた時に、「成田に2本ある滑走路のうち1本が閉鎖になっている関係で、着陸が遅れる」とのアナウンスがあった。そして、東から進入した機体は九十九里浜に沿って南下した後、銚子~鹿島~霞ヶ浦上空を経て、北から成田空港のB滑走路(R/W 16L)に着陸した。

たぶん、着陸機の間隔を調整するために大回りさせられたのではないかと思われる。しかし、別の管制官が担当していたら、同じように間隔を調整するのでも、違う飛び方になっていたかもしれない。

しかし、最後に滑走路に向けて最終の着陸進入を行う場面では、接地すべき場所も、進入経路も、進入角も決まっている。だから、計器着陸システム(ILS : Instrument Landing System)の支援を得て自動着陸することは、技術的には可能である。

  • ILSのうち、グライドスロープの電波を出すアンテナがこれ(左方向から進入する)。電波によって空に見えない「道」をつけてくれれば、それによって自動着陸できる

人間は最後の安全弁

自動着陸が可能になったといっても、自動装置に任せてノホホンとしていることはできない。天候や視界の条件が急変するとか、いきなり滑走路に人・動物・車両などが侵入してくるとかいう事態が考えられるからだ。

だから、自動化できる場面でも、「最後の安全弁」として人間が監視していて、必要とあらば直ちに介入できるようにすることが求められる。監視を怠ると、自動操縦装置が切れていたのに気付かなくて墜落してしまった、イースタン航空のL-1011みたいなことが起きる。

つまり、こういうことになる。

まず、定型化できるが、複雑だったり段階が多かったりして、かつ、間違えると厄介なことになる操作は自動化する方が望ましい。ただし、その際には人間が最後の安全弁としてちゃんと監視する。

逆に、その場の判断が大きな比重を占めていて、定型化が難しい操作は人間に任せるが、ミスしたときのバックアップとして機械やコンピュータを活用する。

この辺が、自動化に際しての1つの落としどころになるのではないだろうか。なにも飛行機の操縦に限らず、どんな分野にもいえそうなことである。

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。