H-IIAの後継機「H3」ロケット
H-IIAロケットは2001年の初打ち上げ以来、2025年5月までに49機を打ち上げ、6号機を除くすべてが成功し、成功率は約97.96%にのぼる。さらに、7号機以降は43機連続で成功するなど、世界的にも高い信頼性を有する。
また、天候不良などの不可抗力による延期を除き、機体や地上設備の技術的トラブルによる延期が少なく、ロケットをあらかじめ決めた日時にきっちり打ち上げる「オンタイム打ち上げ」率の高さも特徴だ。
こうした特徴を武器に、H-IIAは日本の基幹ロケット――安全保障を中心とする政府のミッションを達成するため、国内に保持し、輸送システムの自立性を確保する上で不可欠な輸送システム――として活躍してきた。また、惑星探査ミッションや海外衛星の商業打ち上げにも貢献している。
しかし、H-IIAの開発当時の技術や設計思想では、近年の民間宇宙企業の台頭や打ち上げ頻度の増加、多様な軌道への衛星投入ニーズに対応するには限界が生じている。また、H-IIAの開発から約20年、原型型であるH-IIからは約30年が経過し、エンジニアの育成も課題だった。
そこで2014年から、抜本的なコスト削減や打ち上げ能力の向上、多様な衛星に対応する柔軟性の確保、技術継承を目的として、後継機「H3」ロケットの開発が始まった。
H3は、H-IIAの高い信頼性やオンタイム打ち上げ率を受け継ぎつつ、さらなるコスト削減と柔軟性をめざしている。
H3に受け継がれたエキスパンダー・ブリード・サイクル
H3の特徴のひとつが、第1段メインエンジンの「LE-9」だ。LE-9は、信頼性の向上と低コスト化を目的とし、H-IIAの第2段エンジン「LE-5B」と同じ、エキスパンダー・ブリード・サイクルを採用し、大推力化することで開発された。
そのきっかけは2001年、つまりH-IIA試験機1号機の打ち上げ前にまで遡る。この年の4月、三菱重工の矢花純氏は宇宙開発事業団(NASDA)に出向し、「LE-7A」エンジンに続く、次期基幹ロケット用の液体エンジンの概念検討に参加した。そこで生まれたのが、第1段メインエンジンをエキスパンダー・ブリード・サイクルで開発するという構想だった。
その背景には、H-II 8号機の打ち上げ失敗時、姿勢や温度が異常な状態でもLE-5Bエンジンが始動した事実があった。この高いロバスト性(堅牢性、頑丈さ)を活かせば、信頼性と安全性に優れたロケットを開発できると考えられた。矢花氏は「エキスパンダー・ブリード・サイクルでメインエンジンを開発すれば、コストを半分に、リスクを10分の1にできる」という謳い文句を掲げ、この構想を提案し実現に取り組んだ。
ただこの当時、エキスパンダー・ブリードは、ロケットの第2段など小さい推力のエンジンには向いているものの、第1段向けの大推力エンジンには不向きだと考えられていた。実際、LE-5Bの推力は14tfだが、第1段メインエンジンとして使うには、100tf級の推力が必要になる。
LE-7Aが採用する二段燃焼サイクルは、プリバーナー(予備燃焼器)で高温・高圧のガスを生成し、それでターボ・ポンプを駆動することで大推力を生み出す。一方、エキスパンダー・ブリード・サイクルは、燃焼室やノズルの熱だけでターボ・ポンプの駆動ガスを生成するため、原理的に高温・高圧のガスを生成しにくく、したがって大推力エンジンの開発が難しい。
矢花氏は、「100tf級なんて無理だ、できるわけない、と言う人はたくさんいました」と振り返る。
しかし、「私たちには自信がありました」と続ける。その裏打ちとなったのは、日本の液体ロケットエンジン開発における、歴史と実績の積み重ねだった。
日本はH-Iの第2段エンジン「LE-5」で、液体酸素と液体水素を用いた初の国産エンジンを開発した。LE-5はガス・ジェネレーター・サイクルという、ある種普遍的な技術を採用していたが、エンジンの始動時には、燃料の液体水素の一部をノズル壁面で冷却・蒸発させ、そのガスを利用するという、他のエンジンにはない特徴があった。
この開発経験から、当時のエンジニアは、このガスを高圧化すればタービンを駆動し、エンジン自体を動かせると考え、世界初のエキスパンダー・ブリード・サイクルを採用した「LE-5A」を開発し、H-IIに搭載した。これをさらに改良したのが、H-II 8号機とH-IIAで使用された「LE-5B」である。
LE-5Bは、H-II 8号機の打ち上げ失敗時、落下して姿勢が乱れた状態でも始動した。また、2003年のH-IIA 6号機の打ち上げ失敗時にも正常に始動し、エキスパンダー・ブリード・サイクルの高いロバスト性が実証された。
さらに研究や開発を続ける中で、エキスパンダー・ブリードは、ロバスト性だけでなく、大推力を発生させることが可能であることが明らかになった。
1999年、三菱重工は、当時の米国プラット&ホイットニー・ロケットダインと共同で「MB-XX」エンジンの開発を開始した。MB-XXは、LE-5Bとほぼ同サイズながら約2倍の30tfの推力を発揮できるエンジンである。2005年の燃焼試験にも成功し、システムの成立性が実証された。
こうした経緯から、エンジニアたちはLE-7とLE-7Aの二段燃焼サイクルで培った高圧燃焼技術と、エキスパンダー・ブリード・サイクルの技術を組み合わせることで、100tf級のエンジンを開発できるとの確信を得た。
そして、JAXAと三菱重工などは共同で、技術実証エンジン「LE-X」の実証研究を行い、その成果を基にLE-9を開発した。LE-9は現在も完成に向けて開発が続いているが、暫定仕様で実用化され、5回のフライト実績を積んでいる。
H-II高度化での開発、H-II 8号機やH-IIA 6号機での怪我の功名、なによりたゆまぬ研究・開発と実績の積み重ねによって、世界から不可能と言われたエキスパンダー・ブリード・サイクルの大推力エンジンがついに実現したのである。