最強型「H-IIA 204」
H-IIAの特徴のひとつは、H-IIにはない「ファミリー化」である。ブースターの装着本数やフェアリングの種類を変更することで、衛星ユーザーの要求に応じた柔軟な打ち上げ能力を提供できる(第1回参照)。
その中で「最強型」と呼ばれるのが、SRB-Aを標準型の2本から4本に増やした「204型」だ。
H-IIAの標準型は、静止トランスファー軌道に約4tの衛星を打ち上げる能力をもつ。しかし、2000年代に入り静止衛星が大型化する中、この能力では打ち上げられないケースが出てきた。204型では静止トランスファー軌道への打ち上げ能力は約6tにまで向上し、より大型の衛星の打ち上げ需要に対応できるようになった。
204型の開発は2001年度の後半から始まり、新たな推力パターンを持つSRB-Aを開発し、第1段コア機体には、4本のSRB-Aを装着するための補強や、増えたSRB-Aの熱に耐える耐熱対策が施された。また、発射台には音響を低減する散水設備が追加され、打ち上げ前に機体を支える支持装置も改修された。
現在、H3ロケットのプロジェクト・マネージャーを務める、JAXAの有田誠氏は、このとき204型の開発に関わった。
とくに力を入れたのは、LE-7Aエンジンを輻射や滞留加熱から守るエンジンカバーの開発だった。
H-IIA標準型にもカバーは装着されているが、204型ではSRB-Aが4本になり、LE-7Aの四方を囲む構造になる。そのため、SRB-Aの噴射ガスがLE-7A方向に回り込み、大きな熱負荷が生じる懸念があった。
「実は、米国の月ロケット『サターンV』の打ち上げで同じようなことが起きたんです。サターンVの第1段は、5基のエンジンが、サイコロの5の目のような配置で装着されています。このため、中央のエンジンに向かって、まわりの4つのエンジンからの燃焼ガスが巻き上がり、その結果、中央エンジンが止まってしまったと言われているんです」(有田氏)
H-IIA 204型も、ロケットエンジンやモーターが同じ、サイコロの5の目のような配置になっている。そこで、新たに標準型のものよりも大きく、形状も工夫したカバーが開発された。
204型は、2006年12月18日に打ち上げられた11号機で初めて使用され、計5機が打ち上げられた。
民間移管で「三菱重工のロケット」に
H-IIAはJAXAが主体となって開発し、その運用も当初はJAXAが担っていた。その一方で、コスト競争力や国際市場での需要増加に対応するため、民間企業へ移管が検討されるようになった。民間企業が主体的に製造と運用を担うことで、効率化や市場ニーズへの柔軟な対応が可能になると期待されたのだ。
2002年6月に民間移管の方針が決定され、条件や官民の役割分担を検討後、同年11月に三菱重工が移管先企業に選定された。
2003年2月に、NASDAと三菱重工は「H-IIA標準型打上げサービス基本協定」を締結し、9月にはH-IIAの技術移転が行われた。
だが、まさに民営化を始めようとしていた矢先、6号機の打ち上げ失敗が起きた。この事故は民間移管の計画にも影響を与え、当初よりも時間をかけ、段階を踏んで移管することとなった。
たとえば、H-IIAの運用開始当初は、ロケットの製造のとりまとめはNASDA/JAXAが――より正確には、NASDAの指導の下に宇宙関連企業が出資し、1990年に設立された民間ロケット会社「ロケットシステム」(RSC)が行っていた。
民間移管に向けた最初のステップでは、三菱重工が製造取りまとめの支援を担当し、次のステップでは三菱重工が製造を統括しつつ、JAXAとRSCが打ち上げを担当した。まるで冷たいプールに徐々に入って身体を慣らしていくように、民間移管に向けた体制や技術、ノウハウを整えていった。
このとき、三菱重工の中では、相当大きなマインドチェンジが必要になったという。つまり、それまではJAXAの下で造って、JAXAへ納入していたものを、これからは納入するのではなく、三菱重工がすべてをやる、という意識の改革だ。
具体的には、それまでJAXAが作成した仕様書に基づいて造っていたものを、すべて三菱重工からの仕様書に書き換え、パートナー企業に伝え、さらに全体を統括する必要があった。その過程では、前述の信頼性確認作業と同じように、メーカーの垣根を乗り越えて、製品の造り方や検査方法、品質などを確認する必要もあった。
そして最終的に、2007年9月14日に打ち上げた13号機で、民営化を果たすことになった。
なお、JAXAは打ち上げ安全監理業務、具体的には地上安全確保業務、飛行安全確保業務、カウントダウン時の総合指揮業務などを担当しており、引き続き重要な役割を果たしている。