“どの衛星が来ても宇宙に運べる”、特殊仕様のH-IIA最終号機
H3ロケットの開発が進んでいた2016年、三菱重工はH-IIAロケットを2023年度に運用終了させる方針を明らかにした。当時、H3は2020年度にも初飛行する計画で、H-IIAの退役までに並行してH3を10機程度打ち上げることで、運用の円滑な移行を意図していた。
しかしH3の開発は難航し、初飛行は2023年に延期された。さらに初飛行は失敗に終わり、初の成功、そして運用開始は2024年まで待たねばならなかった。
最終的にH-IIAは2025年度に、50号機で運用を終えることになった。
H-IIA 50号機のミッションは、JAXAの温室効果ガス・水循環観測技術衛星「GOSAT-GW」(愛称:いぶきGW)を、所定の太陽同期準回帰軌道に投入することだ。
50号機は、SRB-Aを2本装着するH-IIA 202型で、直径4mシングルローンチ用フェアリング(4S型)を搭載する、最も標準的な構成で打ち上げる。
製造にあたっては、最終号機ならではの難しさがあった。実は、コア機体はSRB-Aを4本装着する204型の仕様で造られている。H-IIAは50号機で運用を終えることが決まっていた一方で、どの衛星を搭載するかはあとで決まることになっていた。万が一、202型では打ち上げられない大きな衛星を搭載することになった場合、従来なら204型の機体を造って打ち上げ順を入れ替えるなどすれば対処できるものの、最終号機ではそうはいかない。
また、202型のコア機体を204型にして打ち上げることはできないものの、204型を202型として打ち上げることは可能だった。そこで、コア機体だけは204型の仕様(大型エンジン・カバーや補強された外板)で造ることになった。
50号機が打ち上げる「いぶきGW」は、本来はH-IIA 202型で十分打ち上げ可能な衛星だ。そのため50号機は、コア機体は204型の仕様でありながら、SRB-Aを2本のみ装着するという、特殊仕様になっている。なお、同じような形態は、2009年打ち上げの15号機で実績がある。
さらに、ロケットのような多数の部品を使用する工業製品の場合、どうしても故障や不具合を起こす部品がある。その際には、後続号機に使う予定だった部品と取り替えるなどして対応するが、最終号機では、後続号機が存在しない。
では丸々一機分の予備部品を用意しておけば良いかといえば、ムダにコストがかさむため、現実的ではない。
そのため、交換が発生する可能性のある部品と問題のない部品を見極め、前者については調達を工夫して準備を行い、無事に要求仕様どおりに完成したという。
50号機のコア機体は、2024年9月27日に三菱重工 飛島工場から出荷され、30日に種子島に到着し、その後種子島宇宙センターへ送られ、組み立てや点検を経て、打ち上げのときを待った。
「打上執行責任者」という仕事
三菱重工には、ロケットの「打上執行責任者」という役職がある。2024年までH-IIAの打上執行責任者を務めていた徳永氏は、その役割と責任の重さを次のように語る。
「ひと言で言えば、最後に打ち上げの可否を判断する仕事です。機体の製造段階から打ち上げにかけて、ひとつひとつの特徴や出来事についてすべて気にかけ、これは大丈夫と判断したり、疑問に思えば確認したりを繰り返し、自信を持って打ち上げを執行できるようにします」(徳永氏)
打上執行責任者は、打ち上げを“止められる”仕事だが、何かあるとすぐ止めてしまうようでは成り立たない。本当に大丈夫かを、正確に、的確に、そして迅速に見抜かないといけない仕事だ。
徳永氏は、この仕事について「とても孤独を感じる」と言う。
「打ち上げ直前、管制室の中で、自分で見てきたものや、いま起きていることが、打ち上げに影響しないかどうか、ひとつひとつ考えながら決めていくわけです。ただ、誰にも頼れないんです。各チームが上げてくる報告が大丈夫かを自分で判断しなければならず、非常にプレッシャーを感じる仕事でした」(同)
最終号機となる50号機では、2025年1月に打上執行責任者に就任した鈴木啓司氏が務める。
鈴木氏は、「徳永さんと一緒に仕事をする中で、ひとつひとつのトラブルに対して、しっかり自分で腑に落ちるまで聞いて、必要な指示を出して、最後は自分の目で見て、『よし、大丈夫だ』と判断できるまで詰めた上でGoを出す、そうでないときには、仮に打ち上げを遅らせることになったとしてもGoは出さない、という姿勢を学びました。私もしっかり受け継いでいきたいと思います」と、意気込みを語った。
わりと最後は神頼み
「人事を尽くして天命を待つ」――ロケット開発でも神頼みは重い意味を持つ。どれだけしっかりと設計し、ものを造り、試験や検査を完了しても、「わりと最後は神頼みなんですよ」(鈴木氏)。
それは、人間誰しもが持つ弱さであり、謙虚さでもある。また、きちんと造り込めたのか振り返るきっかになり、緊張の連続の中で一呼吸つく機会にもなる。
そのため、H-IIAの打ち上げ前には、打上執行責任者が京都府八幡市にある飛行神社にお参りするという伝統がある。この神社は航空・宇宙業界と縁が深く、関係者にとって心の拠り所だ。
その彼らが、いつもより強く、神頼みをした出来事がある。2023年3月7日、H-IIAの後継機となる新型ロケット「H3」試験機1号機が打ち上げに失敗した。その原因究明の中で、H-IIAと共通している部品が関係している可能性が浮上し、それを受けH-IIAにも対策を施すことになった。
さらに、その前年の2022年10月12日には、小型固体ロケット「イプシロン」の6号機も打ち上げに失敗していた。
H-IIAのプロジェクト・マネージャーを務める矢花氏は「そういう状況で、次に打ち上げるのがH-IIA 47号機でした。頭の中で、『これはただ事ではない。もし47号機も失敗したら、日本から基幹ロケットがなくなるぞ』という危機感が芽生えました」と振り返る。
そんな折、当時、三菱重工の宇宙事業部長を務めていた田村篤俊氏が、「お前らに想いを託すぞ」と、矢花氏や鈴木氏らに、お守りを手渡した。
そして、そのお守りと想いを胸に――文字どおり、お守りを作業着の胸ポケットにつねに入れ――47号機の打ち上げに挑み、そして成功した。
最終号機となる50号機でも、神頼みの伝統は変わらず続いている。打ち上げに向けた準備が進む、ある大安吉日の日のこと。鈴木氏と矢花氏はそろって、飛行神社へ成功祈願に訪れた。
お守りを手に、矢花氏は「最終号機の打ち上げが近づく中で、まわりから『必ず有終の美を飾ってくれよ』と言われ続けて、もう抱えきれなくなっちゃって。それで鈴木さんと一緒に飛行神社にお参りしたんです」と、少し笑いながら振り返った。
「飛行神社の方からは、『これまでどおり、平常心でやればいいですよ』と言っていただき、『神様も一緒に見守ってくれているんだな』と思うと、気が楽に、また冷静になれて、平常心で打ち上げるぞと意識を変えることができました」。
H-IIA 50号機は2025年6月29日、午前1時33分03秒に予定通り打ち上げられ、地球観測衛星「いぶきGW」を正常に分離、所定の軌道への投入に成功した。
H-IIAは、種子島の夜空に終局への光跡を描いた。ロケットエンジンの燃焼ガスと、エンジニアたちの情熱と、支え続けた人々の想いの熱が織りなすその輝きは、宇宙の夢を未来へつなぎ、新たな時代への航路を照らすだろう。