いまや手元のスマートフォンで世界とつながることが当たり前の時代。電話も、メールも、動画再生も、文字通り「朝飯前」だ。
そうした何気ない行為の裏には150年以上にわたる通信の歴史があるのだが、それを普段意識する場面は多くない。
日本で電信が使われ始めたのは幕末から明治にかけてのこと。海を越えた世界の情報が届くまで何日も何週間もかかっていた時代から、ポケットの端末で世界と一瞬でつながる時代まで、通信は驚くほどの進化を遂げてきた。
海に囲まれた日本がどのようにして世界とつながってきたのか。明治政府がデンマークと締結した驚きの条約の内容とは。そんな歴史の足跡をたどるため、東京都 多摩市にある「KDDI MUSEUM」を訪れた。
平日だけでなく土曜日も見学可能に
KDDI MUSEUMは多摩センター駅から徒歩圏内の宿泊研修施設「LINK FOREST」2階にある。以前は平日のみ入館可能だったが、2026年5月からは毎月第2土曜日も開館している。事前に予約が必要だが、自由見学のほかにスタッフが案内してくれるツアー形式での見学も可能。
測位方式「TDoA(Time Difference of Arrival:到達時間差)」を採用した自動音声ガイドシステムの貸し出しにも対応しており、『進撃の巨人』エレン・イェーガー役などで知られる梶裕貴氏らの案内で館内を巡ることもできる。
世界をつないだ電信の技術
人類が「電気を使えば情報が高速で伝わる」と気付き研究を開始したのは、18世紀頃だったとされる。この原理を応用して電信を発展させたのが、かの有名なモールス信号を開発したサミュエル・モールスだ。
KDDI MUSEUMではこうした18~19世紀の歴史から、電信について学びを深めていく。
日本にモールス信号が持ち込まれたのは、なんとペリー提督による2回目の黒船来航のときだったという。驚くべきことに、その3年前の1851年にはイギリス - フランス間で世界初の海底電信ケーブルが開通している。
海底ケーブルを巡る外交戦、日本の通信主権を守った男
日本の国際通信は1871(明治4)年、長崎 - 上海、長崎 - ウラジオストクをそれぞれ結ぶ海底ケーブルが、大北電信会社(デンマーク)によって敷設されたことに始まる。
大陸からの海底ケーブルを陸上の電信線と接続するために、「国際海底電線小ヶ倉陸揚庫」が設けられた。当時、その中に置かれたという予備通信席が復元されている。
日本の国際通信を語る際に外せないのは、日本電気通信の父とも呼ばれる外務大輔(がいむだゆう)「寺島宗則」。寺島は「長崎・大阪・神戸・横浜・函館、さらに今後開港される港への海底ケーブルの陸揚げを免許されたい」とする要求に対し、国内通信の自主権を守るべく奔走する。
その結果「すべての港ではなく長崎と横浜に限定」「長崎 - 横浜の敷設ルートを瀬戸内海経由から外洋経由に変更」「日本政府が共同経営あるいは買収を提案する場合には協議に応じること」「日本への陸揚げをデンマークに限るという要望を認めない」など、要求に対して大きく譲歩させることとなる。
そして時を経て、やがて通信技術は電信から電波を利用した無線通信へと発展していく。
1905年5月、日露戦争末期の日本海海戦において、九州西方海域を航行中のバルチック艦隊を仮装巡洋艦の哨戒船「信濃丸」が発見。三六式無線機から打電した歴史的な無線信号が「敵艦見ユ」である。日本海海戦の勝利に貢献し、無線通信の有効性を示した。
通信市場自由化が生んだ新たな通信史の波
通信の歴史を学んだ後は、KDDIの前身会社である第二電電(DDI)および日本移動通信(IDO)による市場参入について学ぶエリアへと進む。
通信市場の自由化を契機に参入を表明したDDIだが、一筋縄ではいかなかった。自前の通信インフラを持たない同社は、東京 - 名古屋 - 大阪を結ぶ基幹通信インフラの構築に乗り出した。
「Episode Gallery」コーナーでは、こうした通信市場参入にまつわる6つのエピソードが展示されている。
「通信おもいでタイムライン」は1980年代から2000年代の社会の出来事を通信の進化と共に年表のように振り返るコーナー。
海底通信ケーブルの歴史とは打って変わって、このあたりから「ポケベル」「プレイステーション」「ドーハの悲劇」など見覚えのあるイベントも増えてくる。
通信の歴史を学んでいたら青春にたどり着いた
auブランドの携帯電話やスマートフォン約500台が壁一面に並ぶ「au Gallery」は必見だ。20以上の時を超えて今なお根強い人気が集まる「INFOBAR(インフォバー)」をはじめ、au Design project製品やコンセプトモデルを見学できる。
壁いっぱいの携帯電話を眺めていると、二つ折りのガラケーを無駄にパカパカさせていたこと、スライド式を使っている友人がちょっと羨ましかったこと、「Re:Re:Re:」が続いて嬉しかったこと、メールセンターに何度も問い合わせたこと、パケ死で親に怒られたことなど、平成を駆け抜けた数多くの記憶がよみがえった。
思い出は尽きないが、このままでは1人でインターネット老人会を始めてしまいそうなので、このあたりで筆を置くことにする。通信の歴史を学びに来たはずが、気付けば自分自身の歴史を振り返っていた。
モールス信号から始まった通信技術は、やがて海底、そして宇宙へと発展し、ガラケーやスマートフォンの進化へと続いている。KDDI MUSEUMは通信を学ぶ博物館であると同時に、私たち自身の記憶を振り返る場所でもあるのかもしれない。
本稿で紹介したのは、展示のほんの一部に過ぎない。じっくり見ようと思えば、2~3時間は必要となりそうなほどボリュームたっぷりだ。エモい思い出に浸りたい方は、ぜひ一度訪れてみてはいかがだろうか。










