『わたしの「対話人生」』国際社会経済研究所理事長・藤沢久美 社是という「見えない羅針盤」

先日、キッコーマンの中野祥三郎社長に『社長Talk』のゲストとしてご出演いただいた。話を伺いながら、企業が長く存続するための原点はどこにあるのかを改めて考えさせられた。

 キッコーマンは三百年近く前から醤油づくりを続けてきたが、現在の会社の形が生まれたのは約百年前のことだ。千葉県野田市にあった約八つの醤油関連事業者が合流し、一つの会社として歩み始めた。

 当時、全国各地には地場に根ざした醤油蔵が存在していたが、キッコーマンはそこから一歩踏み出し、日本全国へと販売を広げていく。そしてやがて、日本の醤油の代名詞とも言える存在となった。さらに米国をはじめ海外へも進出し、醤油という調味料を世界各地に広げていった。

 考えてみれば、醤油はフルーツや家電のように単体で消費される商品ではない。料理に使われて初めて価値が生まれる調味料である。それを世界に広げるということは、単なる商品を輸出ではなく、日本の食文化を伝えることでもあり、醤油を使った料理という新しい食のスタイルの提案活動でもあると言える。

 今日では世界各地で醤油が使われているが、その背景には、長い時間をかけて市場を育ててきた企業努力がある。

 では、その原動力はどこにあったのか。中野社長の話の中で印象的だったのは、百年前に約八家が一つになった時に交わされた約束の存在である。そこには、「醤油からかけ離れた事業はしてはならない」という趣旨の取り決めがあったという。

 会社が成長し、日本全国にブランドが浸透した後も、その約束を守り続けた。事業を広げようと思えばいくらでも機会はあったはずだが、醤油から遠い事業には手を出さない。その結果、企業は必然的に外の市場、つまり海外へと目を向けることになったと中野社長は語る。

 企業が成長するほど、事業の選択肢は増える。しかし、その自由度が高まるほど、何をやらないのかという判断も重要になる。創業時の約束事は、そうした判断の軸を与えてくれる。

 社是や創業の精神は、ともすれば古いもののようにも見える。時代が変われば価値観も変わる。しかし企業が苦境に直面したとき、立ち戻る場所があるかどうかは大きい。原点となる言葉や約束は、いわば歩みを支える杖のようなものなのだろう。

 企業の歴史が長くなるほど、環境は大きく変化する。その中で迷いが生じたとき、創業の精神という杖にしっかりと寄りかかり、自分たちが進むべき道を見定める。長く続く企業には、そうした原点の力が確かに存在しているのだと感じた。

経団連常務理事・岩崎一雄の【わたしの一冊】『イノベーションの科学 創造する人・破壊される人』