日本の高等教育は、急速な少子化とデジタル技術の進化という二重の変化に直面している。18歳人口は減少を続け、大学間競争は年々厳しさを増している。一方で、生成AIの登場は「学び」のあり方そのものを問い直している。こうした状況の中で、京都芸術大学はDXを経営戦略の中核に据え、大学の構造そのものを再設計しようとしている。その象徴が、“答えを教えないAI”という新たな学習支援の形だ。
通信教育のトップランナーが抱く危機感と次の一手
京都芸術大学は、通学課程約5,000名に対し、通信教育課程約18,000名を擁する国内最大級の芸術系通信教育機関だ。通信課程の学生の多くは社会人や既卒者で、高校卒業直後の入学者は1割未満にとどまる。
20年前、芸術を通信で教えるという発想は前例が少なかったが、同大学はいち早く通信課程を立ち上げ、現在のポジションを築いた。その背景には、「18歳人口を取り合うのではなく、社会人やシニア層を含めた 多様な人々に学びの機会を広げる」という戦略があったという。
京都芸術大学 広報課 課長 木原考晃氏は、他大学に先駆けて通信課程を設けた理由を次のように語る。
「私たちは地方の単科芸術大学です。歴史の長い総合大学と比べれば後発で、常に“攻め続けなければ生き残れない”という意識がありました。例えば、芸術を学びたいと思いながらも就職を優先して別の進路を選んだ人や、社会に出てから改めてクリエイティブの重要性に気づく人など、そうしたニーズは確実に存在します」
「キャンパス前提」から脱却、データ活用型の大学へ
従来の大学経営は 物理空間に大きく依存する構造だったと木原氏は指摘する。校地・校舎面積の規定があり、学生数に応じた物理的スペースが必要だった。しかし、オンライン教育の拡大は、こういった前提を覆している。
「大学経営はこれまで物理的な空間整備を前提としていました。しかし、オンラインが広がる中で、投資対象は建物などの物理的な資産からテクノロジーへ移るべきだと考えました」(木原氏)
そのため、同大学は中期計画「Vision 2026」の中で、DX・AI・ICTの活用による教育基盤強化を掲げている。2024年10月には、DX推進のために、デジタルキャンパス局を設置。そして、デジタルキャンパス局の運営は、業務委託の契約を結ぶ、電通やVCなど複数社が出資して生まれた大学発スタートアップ企業「クロステック・マネジメント(XTM)」に任されている。
XTMがDXや新しい事業展開を提案して、大学側がそれを自分たちの理念についてマッチした形で反映させていく形になっている。
大学のDXを外部組織に委託する理由について、木原氏は「全体最適を優先するため」と説明した。
「各部署が抱えている課題を解決しようとすると、全体の標準化ではなく、各部署の個別最適が進むと思っています。個別に案件を聞くと、独自性を持った個別最適が進みます。極論をいうと、個別の要望にそのまま応じるのではなく、全体の業務の中で、課題の優先順位をわれわれが決めて提案するという方針にしています」(木原氏)
XTMはAI活用プロダクトの開発、教育DXの社会実装、さらには東アジア圏1,000万人教育圏構想を掲げている。大学のアセットを活用しつつ、スタートアップ的なスピードでプロダクトを開発し、大学に還元する構造だ。
まず業務を“データ化”、次に“自動化”2段階で進むDX
京都芸術大学のDXは2段階で進められている。第1段階は、業務をデータ化すること。第2段階は、データ化された業務を自動化することだ。
「ペーパーレス化は目的ではありません。業務をデータとして残せる状態にすることが目的です」(木原氏)
業務をデータ化するため、同大学はコミュニケーションツールとして「Slack」を導入した。内線電話やメールをなくし、すべての連絡方法をSlackに変更した。
「内線による音声でのやり取りでは記録が残らないため、業務の依頼内容がわかりません。そこで、Slackに変更し、チャットでデータを残すことにしました」(木原氏)
また、Notion Labs Japanと戦略パートナーシップを締結し、Wordやテキストなどの紙の文書をなくし、全教職員約800名に「Notion」および「Notion AI」を導入してデータ化。Google Workspaceによるシームレスな連携を行った。
外線電話もIVRy(アイブリー)という、電話自動応答(IVR)SaaSサービスに変更。AIを活用し、電話の自動音声対応も行った。
「AIと学生が話した内容がすべてSlackで通知がきます。その通知で学生の要望がテキスト化されるので、そのテキストをもとに学生にメールで返事する、あるいは必要部署が電話をするという流れになります」(木原氏)
これらの取り組みによって、主要業務のデータ化は2026年3月までに概ね完了する予定で、今後は、AIを活用して業務の最適化に取り組む。
「DXだからツールを入れるということではなく、そもそも不要な業務を見つけていくことが一番重要だと思っています。フローの中で、その業務がなくても問題がないということが分かるはずなので、業務プロセスの最適化を図りたいと思います。業務のプロセスを最適した後に、適切なツールを導入する、あるいは業務プロセスをAIに学習してもらって自動化することも可能だと思います」(木原氏)
DXへの現場の反発、アジャイルでどう乗り越えたか
ただ、こういったデジタル化の推進に対して、現場での反発もあったという。
「DXは経営戦略上の判断であり、現場は必ずしも業務の効率化を積極的にしたいわけではなく、ツールの入れ替えも望んでいません。標準化や効率化は大学の生存戦略としての経営側の意思決定なので、それには現場の反発があります」(木原氏)
そこで同大学では、DXを推進していくにあたり、アジャイル開発の手法を取り入れた。
一度決めたやり方を浸透させるのではなく、要件を決めて開発・テスト・リリースするサイクルを短くし、現場での要望を取り入れ、再度リースという改修を繰り返したという。これによって、現場の不満を解消していった。
“答えを教えないAI”で学びはどう変わるのか
同大学の生成AI活用の象徴が、対話型AI学習支援ツール「Neighbuddy(ネイバディ)」だ。木原氏によれば、これは「答えを教えないAI」だという。
「Neighbuddy」は、同大学が独自に開発したもので、2024年秋からパイロット導入を開始。今年の4月から利用学生を拡大させる。
このAIは、学生が書いた授業ノートや対話履歴をもとに、復習や探究、自己整理までを支援する。具体的には、「雑談を糸口に学びを深めたり広げたりするきっかけを得られる」「怠りがちな復習について、振り返りやクイズなどによる然な流れでモチベーションを保つ」「学習科学に基づく設計で調整学習を促す」「質問する、話しかけてみるといった初期行動の心理理的ハードルを下げ、学びへの取り組みを促す」といった効果があるという。
「Neighbuddyは、学生とともに考える、学びのパーソナルAIです。多くの大学が現在、生成AIの利用に苦戦しています。ChatGPTにレポートを書いてもらい、それをコピペする。そのコピペした内容には、世の中には存在しない人物名が書かれている、存在しない論文が引用されているといったことも多いです。一方でNeighbuddyは、正解を提示するAIではありません。学生の理解を深めるための『対話型AI』です。AIが問い返すことで、学生自身が考え、整理し、理解を深めていく。私たちはAIを『教える存在』ではなく『一緒に考える存在』として設計しています」(木原氏)
大学×エドテックの連携が次の成長モデルに
同大学では、今後、海外展開も視野にいれている。
「AIの進化によって言語の壁はなくなっていくはずなので、マーケットは日本だけではなくなると思っています」(木原氏)
また、これまで培った通信教育やDXのノウハウを他大学に展開することも考えている。
「通信制大学のトップランナーとして、通信教育を展開したいと思う大学に対して、われわれが支援できることがあると考えています。DXを進めていきたいが、何から始めていいのかわからないという大学は、私たちの歴史を伝えて、参考にしてもらえればと思っています」(木原氏)
一般的には少子化により大学経営は厳しくなると見られているが、最後に木原氏はそれを否定した上で、今後は、大学とエドテック企業の連携が重要になると語った。
「大学経営はこれから厳しいというイメージがありますが、通信教育課程を考えると決してそうではないと思います。国もリカレント教育を推進しており、大学を卒業してからも学び続けられるような状態を維持していくことが一般化されていくと思います。世の中にはさまざまな教育コンテンツが生まれています。しかし、学士を授与するには、大学という制度のもとで体系的な教育を提供する必要があります。大学はカリキュラム設計や学習環境、研究活動を含めた教育の枠組みを担う存在です。一方で、エドテック企業は新しい学習体験や技術を生み出しています。だからこそ、大学とエドテック企業がそれぞれの強みを生活かして連携することが、これからの高等教育にとって望ましい形だと考えています」(木原氏)



