京都大学(京大)は1月14日、マカクザルに報酬のみの課題とストレスの高い課題を実施させ、脳の「腹側線条体」(VS)と「腹側淡蒼球」(VP)を結ぶ神経経路「VS-VP経路」を化学遺伝学手法で選択的に抑制した上で、各試行を「始めようとするかどうか」で行動開始の意欲を検証した結果、なかなか始められなかったストレスの高い課題を、ためらわずに行えるようになることを見出したと発表した。
同成果は、京大 高等研究院 ヒト生物学高等研究拠点の雨森賢一主任研究者、同 オ・ジョンミン研究員、同 雨森智子研究員、京大 ヒト行動進化研究センターの高田昌彦教授(現 同名誉教授)、同 井上謙一助教(現・名古屋市立大准教授)、東北大学の木村慧助教らの共同研究チームによるもの。詳細は、ヒトを含めた生物全般を扱う学術誌「Current Biology」に掲載された。
脳回路で行動開始意欲を下げる経路を解明
したくない面倒な仕事に対し、頭では理解していても一歩目を踏み出せないという状態は誰にでもあることだ。この嫌な仕事に対する“やる気が出ない”状態が極端な場合、医学的には「自発意欲の低下」と呼ばれ、うつ病や統合失調症にも関わる。
近年の脳科学や心理学の研究では、脳は行動開始前に負担を予測し、その見積もり(エフォート)に応じて行動するかどうかを調整していると考えられている。しかし、脳がエフォートに基づきどのように「行動開始スイッチ」を制御するのか、その神経メカニズムは未解明な部分が多く残されていた。そこで研究チームは今回、高度な知性を有するマカクザルを用い、化学遺伝学手法で特定の神経経路を選択的に抑制することで、行動開始の制御回路が果たす役割を調べたという。
今回の研究ではまず、2種類の課題をサルに課して意欲の比較が行われた。1つ目は、ご褒美の水だけが変化する「報酬だけの課題」であり、2つ目は、ご褒美の水に加え、顔に風(エアパフ)という罰も同時に予告される「嫌な課題」だ。サルが、画面の合図を見て課題を開始するか否かを自己決定するこの手法を用いて、行動の第一歩を指標とした意欲の定量的評価が行われた。単なる課題の選択だけでなく、「そもそもやり始めるかどうか」という行動開始も分離して抽出できる点が、この手法の特徴だとする。
次に、神経経路を特異的に操作できる化学遺伝学的手法を用い、大脳半球深部で報酬や動機付け、学習などを司る領域のVSと、VSからの出力を受け取る領域で、同じく報酬や動機付けに関わり、さまざまな脳領域への中継と統合の役割を果たす領域であるVPを結ぶ「VS-VP経路」の神経活動が選択的に抑制された。
-

サルに報酬だけの課題と、罰を含む嫌な課題を行わせた上で、VS-VP経路が化学遺伝学で抑制された。(A)報酬だけの課題では、意欲は変化は見られなかった。(B)嫌な課題では、低下していた行動開始の意欲が回復することが確認されたとする。(C)VS-VP経路が、「嫌な仕事の第一歩」を止めるブレーキとして機能することが示された(出所:京大プレスリリースPDF)
その結果、「報酬だけの課題」では行動開始には変化が認められなかった一方で、「嫌な課題」では抑制前よりも迅速に課題を開始することが確認された。つまり、同経路はストレスの高い課題に挑む際、行動開始を抑える「やる気ブレーキ」として働いていることが示されたのである。加えて、同経路が働かなくなると、行動抑制が困難になることも示唆された。これにより、エフォートが行動決定に与えるメカニズムが、神経回路レベルで初めて捉えられたのである。
なお、報酬と罰の組み合わせに対する「好き嫌い」や「得か損か」といった価値判断や選択そのものは、ほとんど変化しなかったという。また、嫌な課題を実施中にVSでは神経活動が高まってエフォートを検出している一方、VPは行動開始の意欲低下時に活動が変化するなど」、両者で神経活動の役割が異なることも判明した。これにより、エフォートに応じて行動開始の調整におけるVS-VP経路の役割が、経路レベルで明確に示された形だ。
今回の研究により、VS-VP経路が、嫌な課題に対する行動開始のブレーキに関わることが実証された。さらに同経路は、うつ病や統合失調症の陰性症状で見られる、自発意欲の強い低下に関与する可能性も示された。同時に、同経路の働きが弱まりすぎると、本来は回避すべき高ストレスの仕事でもブレーキが利かず、バーンアウト(燃え尽き症候群)を招く恐れも指摘された。同回路は、意欲の過剰な意欲の低下と、過度の頑張りの双方に関わる神経回路と推測されたのである。
今回の研究により、脳内ブレーキの強さを適切に調整することが、やる気を適度に保つ上で肝要であることが示された。今後は、意欲を無理に高めるのではなく、ストレスと向き合いながらも自分らしく生きるための支援の在り方について、社会全体で議論を深めていくことが重要だと考えられるとしている。