慶應義塾大学教授・土居丈朗「トランプ関税の影響は2026年頃から。日本は自国産業の強化を!」

「せめぎ合いが2026年には本格化し、今よりは物価が上がるという方向に行くのではないか」─こう指摘する土居氏。いわゆる「トランプ関税」が不況を招くのではないか、と言われながら現時点ではそうなってはいない。ただ、今後、その影響が本格化する可能性もある。米中対立もある中、経済安全保障も重要視されているが、土居氏は日本の産業強化に活用する方策を訴える。今後政府、企業が心すべきこととは─。

 2026年以降に不況の可能性も

 ─ 米トランプ政権の政策は相互関税を含め、インフレ的政策です。世界経済悪化の懸念もありますが、今後をどう見通していますか。

 土居 私は世界経済の先行きについて、そこまで悲観的には見ていません。米国経済にはしぶといところがあります。その代わり、日本の輸出企業が割を食うという面は確かにあります。

 ただ、米国の消費者は世界のマーケットの中でも〝強者〟です。米国の消費者に買ってもらわないと世界で通用しないというような状況ですから、米国以外の国が買ってもらおうと思うと、米国の消費者にとって適正な価格でなければなりません。

 ですから、関税が上がったからといって、そのまま転嫁して「トランプ大統領のせいで値上げをしました」というようなことをやると、米国の消費者からの反発を買い、買ってもらえなくなってしまいます。

 自動車なども多少は値上げをしても、関税をそのまま転嫁するという形にはなっていません。関税がかかっても価格を上げず、米国市場を狙ってきているわけです。

 ─ 今後さらにインフレが進むと見ますか。

 土居 当初、多くの経済学者が、相互関税によってあっという間にインフレになり、景気が悪化するのではないかと言っていましたが、現段階ではそうした状況にはなっておらず、おそらく2025年くらいまでは今のような調子が続くのではないかと見ています。

 ただ、米国に輸出するメーカーは利益が減る状態を続けていくわけにはいきませんから、26年以降は値上げできるところから値上げしていこうということになると思います。

 こうなると駆け引きだと思いますが、米国の消費者が値上げやむなし、値上げされても買わざるを得ないという形で降りるのか、それともメーカーが利益を減らしても仕方がないという形で米国に売り続けるのか、というせめぎ合いが26年には本格化し、今よりは物価が上がるという方向に行くのではないかと思っています。

 それでも、トランプ関税で不況になると言われたほどの不況にはなっていなそうだということです。

 ─ スタグフレーション(不況下の物価高)の可能性についてはどう見ますか。

 土居 今のところはなさそうですが、26年以降には可能性があると思います。価格を上げても米国の消費者が買ってくれるという製品は確かにあります。しかも、それは米国内ではなかなか作れないものが大半です。

 トランプ大統領は、関税がかからない米国内で生産しなさいと言っていますが、高度な技術を必要とする製品を、日本から米国に生産拠点を移して、急に作り始められるなどということはありません。

 そうすると、引き続き日本から輸出して、それが実は高い価格でも売れるということが徐々にわかってくると、そこから値上げが一気に出てくる可能性があります。そうした製品が全体の中でどの程度のシェアを占めているかという点では、様々な論者で意見が分かれています。

 もし、外国製品の方が優位で、米国市場が値上げを甘受するとしたら、多くの製品が値上げされることで、スタグフレーションという方向に行くという恐れが出てきます。

 経済安全保障を盾に日本の産業力強化を

 ─ 米国経済を牽引するのがGAFAMを中心としたテクノロジー企業ですが、これは今後も持続すると見ますか。

 土居 GAFAMはAI(人工知能)の開発でも成功していますので、引き続き影響力を持ち続けるのではないかと思います。特に今、米国は中国をデカップリング、切り離そうとしています。

  中国は米国抜きで、AIなどで優れた製品を出し続けようとする。米中は直接対決するのではなく、お互い分断された市場の中で、ある意味で切磋琢磨、別の言い方で言えば冷戦状態が2020年代後半は続く可能性があります。

 ─ 経済と政治との関連が強まる中、経済安全保障という概念が強く言われるようになりました。

 土居 日本も、国際経済の激変、荒波をくぐり抜けていくしたたかさが必要です。私はグローバリズムがいいと考えていて、自国産業を過度に保護するようなことは、積極的にすべきではないという立場です。

 ただ、経済安全保障では、サプライチェーンを自前で構築していかなければいけないという要請がある以上、むしろ逆手にとって日本の産業を強化、転換していくチャンスはあるのではないかと思います。

 経済安全保障を盾に、AIやロボットといった自国産業、技術を持った企業を育成するということです。

 今までは、国が関与して外国企業から保護し、日本メーカーを優遇すると「自由貿易に反する」と批判されましたが、今は経済安全保障上、そういう政策を取らなくては、重要なものを外国に依存することになってしまう。

 目先は、まだ弱い日本の産業だけども、経済安全保障を口実に鍛え上げて、世界に伍する水準に持っていくという意味でチャンスではないかと思います。

 ─ こうした状況下で「国」の役割はどう考えますか。

 土居 産業界が自ら弱い部分を示して、国に支援を求めるのがベストですが、なかなかそういう状況ではありません。ですから、ある程度官民が協調して、どの分野を重点的に支援するかを見定めて、支援を当てていく必要があります。

 ─ 産官学の協調のあり方を改めて見直し、協力に進めていく必要があると。

 土居 そうです。イノベーションの新たな展開においては、産官学が協調して、「日本発」を生み出していく。経済安全保障の状況を使って、モノづくり日本の再興を目指すことを期待しています。

 

 消費税減税ではなく社会保険料負担軽減へ

 ─ 米国と対立関係にある中国ですが、日本にとっては隣国であり、長年にわたる交流関係もあります。中国への向き合い方をどう考えますか。

 土居 本来は2000年代にあったような「政経分離」で政治は経済に干渉しないという状況でやっていけるならば、それは1つのやり方だったと思いますが、現実はそういうわけにはいきません。

 特に今、中国は権威主義国家として、国家権力を表に出す傾向が強くなってきています。そこを、法の秩序と自由と民主主義を旨とする国際ルールに、中国にも協調してもらえるように働きかける外交が別途必要です。そこで態度を軟化してもらえれば、日中貿易もかつてのように活発化することも期待されます。

 今は、日本企業が中国に進出したとしても、営業の自由など、制約なく活動できる保証がありませんから、非常に残念なことです。日本企業が中国で活動する上での大きな足かせになっていると思います。

 ─ 日本国内は少子高齢化でマイナス傾向が続いています。特に地方の活性化については、どう考えますか。

 土居 1つ大きなブレイクスルーの可能性があると思っているのは、自動車の自動運転技術です。これをできるだけ早く社会実装できれば、人口が減り、高齢者が多くなったとしても、移動の自由が失われることはありません。

 さらに、ドライバー不足で公共交通機関が縮小する事態になってもやっていけます。課題は、その自動運転技術が社会実装できるまでの時間を、どう上手に耐えて、地方が消滅しないように維持できるかが、この先50年、問われているところだろうと思います。

 ─ 先の参院選でも消費税減税を訴える政党がありましたが、この消費税問題のあり方をどう考えていますか。

 土居 イメージ、先入観ではなく、実際のお金の出入りを見ていただきたいと思っています。例えば、わかりやすく細かい数字を概算すると、まずは税引き前の所得がありますが、そのうちの5%ほどは所得税と住民税、15%が社会保険料で天引きされます。

 そうすると、手取りの所得は、税引き前の所得に比べると8割ほどになります。仮に、その8割を一切貯金せずに、丸々消費したとしましょう。当然、その時には消費税込みでお金を支払うことになります。

 110円のうちの10円が消費税込み価格のうちの消費税支払い分ということになります。要は、8割分の手取り所得に、標準税率が約10%ですから、税引き前所得の8%しか消費税は払っていないのです。

 全て消費して、それだけですから、貯金をすれば、当然その分は消費税は払わないことになります。

 ─ どれだけ消費税を払っても、税引き前所得の8%程度なんだと。

 土居 ええ。この過程で、どこで最も多く天引きされているかというと、社会保険料です。冷静に考えていただくと、社会保険料負担が重いのであって、消費税負担が重くて家計が苦しいということではないということに気づくと思います。

 それを政治家の方々含めて考えていただけば、まずは社会保険料負担の適正化を進めなければいけないという話になると思います。一部の政党はそうした主張をしていますが、まずは消費税減税ではなく、低中所得者層を中心に、いかに社会保険料負担を軽減していくかをまず考えることが大事です。

 ─ 軽減策はどういったことが考えられますか。

 土居 一旦、社会保険料を納めてもらって給付で返すというやり方や、社会保険料そのものを抑制するというやり方など、方法は様々あると思います。

 価格転嫁と賃上げの 両立を図る時

 ─ 日本企業が抱える課題をどう認識していますか。

 土居 特に今、物価高で、その不満へのはけ口が消費税減税という話になっています。非常に残念なことですが、1つの打開策は賃上げです。その意味で産業界にはもう一段の労働分配、賃上げをお願いしないといけない局面だと思っています。

 「失われた30年」などと言われますが、その間の経済のことにあまり詳しくない人々の景況感は、ずっと不況だと思っているんです。ただ、内閣府の景気循環の統計で言うと、この期間の多くは景気拡大期だったということになっており、実感とのギャップがあります。

 では、そのギャップとは何かというと、やはり賃上げがないことだったと。本当に景気がいいかどうかは別として、多くの人が、毎年のように給与が上がっていくという実感が持てること。やはり、そこがカギになってくるところだと思います。

 ─ 企業側も株主への配当をしてきましたが、賃上げに回っていなかったと言えますね。

 土居 ええ。賃上げをしながら配当も増やせるだけの利益率の確保、ビジネスの展開を目指すことが、今後さらに必要です。

 特に、失われた30年と言われた時期は低金利でもありました。もちろん、自己資本比率はそれなりに高い企業が多いですが、例えばレバレッジを効かせて、負債で資金調達をして、どんどんビジネスを拡大していくという企業は、その借りたお金の金利はほとんどゼロに近い。

 期日通りに利払いができればいいわけですから、10%、20%という利益率を上げなくても十分に返済ができますし、ビジネスを回していけたのが、失われた30年だったという側面があります。

 極端に言えば、価格転嫁も、そこまで一生懸命にやらずともよかった。

 ─ それが今はインフレになってきていると。

 土居 今は正反対のインフレになってきて、それに勝るような営業成績を上げていかなければなりません。さらに人手不足も年を追うごとに深刻化していきますから、有為な人材は低賃金でも来てくれるという時代ではなくなっています。

 やはり価格転嫁も上手にしながら、賃上げも一生懸命、積極的に進めることで、人材をきちんと確保して育てて、さらに成長を進めるというダイナミズムを取り戻していただきたいと思います。