日本の伝統的な水産発酵食品の1つである「イカの塩辛」。本来の伝統的な製法で作られたものは高塩分で、常温で熟成されることで風味が豊かなことが特徴だが、現在市場で主に流通するものは健康志向の関係から低塩分となっており、製造から輸送まで低温管理されている。
北里大学と鈴廣かまぼこの両者は12月25日、両製造方法における同食品の製造過程中の代謝産物の組成と細菌叢の変化を、メタボローム解析とメタゲノム解析により包括的に調査した結果、伝統的な高塩分製法では低塩分製法と比べ、遊離アミノ酸やジペプチド、有機酸などの代謝産物が顕著に増加し、同食品特有の深い味わいを形成することが示唆されたことを共同で発表した。
また製造の初期段階では、両製法共に「Vibrio属」や「Psychrobacter属」の細菌が見られたが、高塩分製法では発酵が進むにつれて「Staphylococcus属」が優占化していくことが確認された一方で、低塩分製法では細菌叢の変化はほとんど起こらなかったことも併せて発表された。
同成果は、北里大 海洋生命科学部の水澤奈々美特任助教、同・渡部終五客員教授、鈴廣かまぼこ 魚肉たんぱく研究所の植木暢彦所長らの共同研究チームによるもの。詳細は、米国化学会が刊行する食品科学と技術に関する全般を扱う学術誌「ACS Food Science & Technology」に掲載された。
イカの塩辛は、伝統的な製造方法ではおよそ12~15%の高い塩分で作られる。この高塩分処理により腐敗菌の増殖が抑えられる一方で、Staphylococcus属などの発酵に関わる細菌が増殖することがこれまでの研究成果により明らかにされている。また、内在性のタンパク質分解酵素の作用(自己消化)も進み、遊離アミノ酸や有機酸が増加し、独特の風味が形成されるという。
しかし近年は健康志向が高まっていることもあり、塩分を控えた食品の需要が増加中だ。それを受け、現在の市場で主に流通しているイカの塩辛は5%ほどの低塩分となっている。この低塩分では、塩による腐敗菌の抑制が十分ではない可能性があるため、製造から流通まで冷蔵して管理することが必要とされている。ところがそこにも課題があるといい、低温環境では発酵や酵素の活性が抑制されてしまうことから、伝統的なイカの塩辛の製法で得られるような豊かな風味が損なわれることが懸念されている。
これまでイカの塩辛に関して、伝統的な高塩分のイカの塩辛と、現在主流の低塩分のイカの塩辛の製造過程における代謝産物の組成の変化や、細菌叢の動態について包括的に比較分析した研究はなかったとのこと。そこで研究チームは今回、その両者の代謝産物や細菌叢の変化を解明し、製造方法の違いが風味に及ぼす影響について、メタボローム解析とメタゲノム解析を用いて、科学的な解明を試みたという。
今回の研究では、高塩分(塩分12%、25℃保存)および低塩分(塩分5%、5℃冷蔵保存)の2種類の製造過程の比較が行われた。まず、代謝産物組成の変化に関しては、高塩分製法では、発酵および自己消化中に遊離アミノ酸、ジペプチド、有機酸などが顕著に増加し、伝統的なイカの塩辛独特の深い味わい(風味、味と香り)を形成することが確認されたとのこと。それに対して低塩分製法では、これらの代謝産物の変化は抑制されており、風味は製造過程中にほとんど変化していないことが考えられるとした。
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メタボローム解析によるイカの塩辛の製造過程中の代謝産物の変化の主成分分析。高塩分では、遊離アミノ酸、ジペプチドおよび有機酸が製造初日に比べ顕著に増加しているものが多かった。低塩分では、製造初日に比べ、変化が小さいことが確認された(出所:北里大プレスリリースPDF)
次に細菌叢の変化についてだが、製造初期は両製法共にVibrio属やPsychrobacter属の細菌が見られた。しかし高塩分製法では、発酵が進むにつれてStaphylococcus属の優占化が確認されたという。一方の低塩分製法では、細菌叢の変化はほとんど起こっておらず、Vibrio属が優占化したままだったとした。
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イカの塩辛の製造過程中における細菌叢の変化。(A)高塩分、低塩分共に製造初期にはVibrio属やPsychrobacter属などの細菌が確認されたが、発酵が進むにつれて高塩分ではStaphylococcus属が優占するようになった。(B)一方、低塩分では、製造過程中の細菌叢の変化はほとんどなく、Vibrio属が優占していることがわかった(出所:北里大プレスリリースPDF)
最後に、官能検査を用いて高塩分と低塩分のイカの塩辛の風味に関する比較が行われた。すると、高塩分は低塩分と比べ、甘味が弱い一方で、塩味、旨味、こく味が強いと評価されたという。
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官能検査による、イカの塩辛の低塩分および高塩分の比較。低塩分に対して高塩分では、どのように風味が違うのかの評価が行われた。高塩分では、甘味が弱く、塩味、うま味、こく味が強いと評価された(出所:北里大プレスリリースPDF)
今回の研究により、イカの塩辛の製造方法が風味形成に及ぼす影響の一端が解明された。研究チームは今後、伝統的な同食品の持つ独特の風味を特徴づける成分の解明を目指すとする。また、現在流通している低塩分製法の同食品では、風味の不足を補うためさまざまな工夫がなされているが、それがどのような風味の特徴を持つのかは明らかになっておらず、その特徴も突き止めるという。それと同時に、伝統的な同食品を特徴づける風味成分を特定することは、健康的で味わい深い新たな同食品の開発につながることから、この研究を通じて、日本の食文化の豊かさを示し、健康的な食生活に貢献することを目指すとしている。