ChatGPTの登場により、生成AIを活用する企業が増えている。ただし、企業で生成AIを活用するとなると、情報漏洩のリスク、社内のナレッジの活用など、乗り越えるべき課題がある。こうしたこともあり、生成AIの可能性はわかりつつも、利用に踏み切れない企業も多いと聞く。
こうした中、小野薬品工業は2023年6月からChatGPTをベースとした生成AIを全社員約3500名に展開し、現在はRAG(Retrieval-augmented generation:検索拡張生成)まで使いこなしている。生成AIと社内の情報を活用するうえで、RAGは欠かせないテクノロジーだが、RAGまで届いていない企業が多いのではないだろうか。
今回、業界でも先駆けて生成AIを導入した小野薬品工業のデジタルテクノロジー本部 I&O部 コモンサービス室 共通アプリケーション課 課長 森本裕之氏と同 宗綱葵氏に、生成AIの導入、活用の状況などについて聞いた。
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左から、小野薬品工業 デジタルテクノロジー本部 I&O部 コモンサービス室 共通アプリケーション課 課長 森本裕之氏、デジタルテクノロジー本部 I&O部 コモンサービス室 共通アプリケーション課 宗綱葵氏
グローバル推進において生成AIが必要と判断
森本氏と宗綱氏は同社の生成AIプロジェクトを担当している。宗綱氏は、同社で生成AIの導入が議論に上った経緯について、次のように語る。
「当社は2022年度から第2期の中期経営計画がスタートし、独創的かつ革新的な医薬品を世界のより多くの患者さんに届けることを掲げています。そうした中、ChatGPTが登場し、生成AIが注目を集めることになり、インパクトが大きいものという印象を持っていました。生成AIは、PCやスマートフォンのレベルで、私たちの生活を変えると見ています。グローバル展開を加速させている当社の変革期では、生成AIを最大限に活用して業務プロセスを改革し、新たなイノベーションを創出していく必要があると考えました」
企業における生成AI活用の転換点となったのは、MicrosoftとOpenAIの提携による「Azure OpenAI Service」の登場だった。多くの企業で導入検討が始まったものの、二次学習や情報漏洩といったセキュリティ上の課題から、慎重な姿勢を示す企業も少なくなかった。
しかし、Microsoft Azureという信頼性の高いプラットフォームでAIモデルが提供されることで、企業での活用への期待が高まっていった。そうした中、小野薬品工業は生成AIがもたらすビジネスインパクトを重視し、いち早く導入を決断した。
宗綱氏も「Azure OpenAIが出てきて、セキュリティが担保され、ベネフィットが大きいと考えました」と話す。
翻訳、海外論文の要約、アイデア出しに生成AIを活用
小野薬品工業がまず取り掛かったのは、ChatGPTの社内版といえる対話型AIの導入だ。当初、複数のベンダーに対し、情報収集を行っていたという。その中で、電通総研はレスポンスが早く、導入も短期間で実現できるなど、必要な情報が的確に得られたことから、同社のエンタープライズ生成AI活用ソリューション「KNOW NARRATOR(ノウナレーター)」シリーズを導入することに決定した
対話型AIだけでなく、サービスとして生成AIを使っていく中で、モデルの頻繁なバージョンアップにも迅速に対応してもらえるなど、電通総研のサポートの手厚さも魅力だという。
対話型AIは、2023年5月末に検証ステータスに入った後、1週間程度で全社グループに対し展開された。「翻訳機能や文章要約、コード生成など、今までにないようなソリューションで、多くの社員が期待していました」と宗綱氏。なお、当時の最新モデルはGPT-3.5だったため、その制約から精度が低く、「セキュリティは本当に大丈夫なの?」という声もあったとのことだ。
AIモデルはAzureで提供されているよいものを使う方針としており、社内でリリースできるよう、そのまま使うのではなく、電通総研に同社の環境下でスムーズに運用できるよう、確認や検証をしてもらっている。
7月にとったアンケートでは、翻訳、海外論文の要約、文章校正、アイデア出しに生成AIを活用している人が多いことが明らかになったそうだ。「生成AIはコードの作成にも使えますし、業務が変わりました」と、宗綱氏は話す。
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電通総研 製造ソリューション事業部 製造DXユニット 製造DX開発1部 先端DXグループ 中田祐基氏、製造ソリューション事業部 製造営業第1ユニット 製造関西営業1部 大江 和彰氏
対話型AIの導入と並行してRAGも構築
小野薬品工業の注目すべき点は、対話型AIと並行して、社内の文書を取り扱えるようにする仕組みの構築も進めていたことだ。普通であれば、まずは対話型AIを使ってから、次のステップとして、社内のデータ活用を検討するケースが多い。
社内文書を活用するシステムとして、2023年7月からRAGの構築・検証を実施。検証を経て、RAGは同年10月末から11月にかけてビジネス部門に展開された。業務に近い形での本番利用がすでに10件に達しているという。
いち早くRAGに取り組んだ理由について、宗綱氏は、次のように説明する。
「対話型AIは業務に遠いですが、RAGを使うと、業務の効率が上がります。RAGによって社内の文書を活用することで、規定類から回答を得たり、社内申請に必要な情報を得たりすることができるようになります」
生成AIを導入するうえでの苦労を聞いたところ、やはり、セキュリティを課題と見ていたそうだ。「導入当初はどこまで社内の情報を入れるべきかが懸念事項として上がりました。そこで、安全な閉じられた環境であること、使っていい情報と使っていけない情報があることを説明しました」と、宗綱氏は語っていた。
また、生成AIの活用方法がわからない人も多かったことから、全社でセミナーを開催したそうだ。宗綱氏は「ChatGPTは時間が経つとレベルが上がるので、業務に特化した形での利用について伝えるようにしました」と話す。理解が深まった人に別の人に紹介してもらうようにしたそうだ。あわせて、新しいモデルのリリースなどについて伝える生成AI関連の専門サイトも構築した。
さらに、宗綱氏は「どうやったらビジネス部門の業務の効率を上げられるかを伝えることも大事です。そのために、パワーユーザーの社員にアプローチして、パートナーのような立ち位置で情報を提供しています」と話す。
生成AIによって競争力をつけて、業界の最先端に立つ
森本氏は、「導入当初、現在と比較すると生成AIはあまり使われていませんでした。社内で使い方を発信することで、コードを書いたり、メールを作ったり、議事録を作ったりと、利用が広がりました」と振り返る。
また、口コミの力も大きいという。「社内説明会と口コミの広がりにより、月間2000人が使うまでに発展しました」と森本氏。
ただし、「ChatGPTの回答の正確性については解決すべきこと」と、森本氏は活用を拡大する中でも、生成AIの信頼性の確保に余念がない。
そして、「今後は創薬においても生成AIを活用できたら」と、森本氏は生成AIに対する期待を膨らませている。「競合他社に負けないよう、生成AIによって競争力をつけて、業界の最先端を走っていけたらと考えています」と同氏。
他の業界と比べて、製薬業界は生成AIやデータの活用が進んでいる。したがって、市場での競争を勝ち抜くには、他社よりも先駆けて、生成AIを活用してビジネスの発展につなげていくことが求められるだろう。同社の生成AI活用の発展を期待したい。