常設展示【細胞たち研究開発中】

日本科学未来館5階にある常設展示【細胞たち研究開発中】は、細胞の構造や機能、細胞の研究がもたらす再生医療や科学の進歩について学ぶことができます。

その中に、ゲノムに関する展示もあります。『ゲノムは「DNA」という物質に記録され、必要なときに読みだされ、タンパク質などをつくります。』と書かれています。

ゲノムgenomeとは、遺伝子を意味する「gene」と、全部を意味する「-ome」を組み合わせた造語で、生物がもつ遺伝情報全体をさします。

2003年にはヒトゲノムプロジェクトによってヒトの全遺伝子配列の解読が完了しています。また、このゲノムの中には、私たちの体の主成分ータンパク質の設計図である「遺伝子」が、約2万個存在していることがわかりました。

さらに、日本では昨年「ゲノム医療推進法」(通称)が成立しました。現在、ゲノム医療が関係している領域は、がん治療、希少疾患、遺伝性疾患、薬剤応答性、創薬など多岐にわたります。このように、私たちの生活にも関わってきそうですよね。

そこで、今回はゲノム医療について書いてみたいと思います。お話をうかがったのは、ゲノム医療の専門家である臨床遺伝専門医の資格をもつ三宅秀彦先生です。

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ゲノム医療は、今までの医療となにが違うのですか?

三宅先生:

ゲノム医療とは、個人の遺伝情報を活用した医療のことです。

薬の開発で見てみると、従来の医療では薬の効果を動物実験などで確認し、さらに何段階かの検証を経て、病気のある人に効果があるかどうかを確認し、なるべく多くの人に効く薬が治療薬として選ばれてきました。

一方、ゲノム医療では、遺伝子が関係している病気に対し、その遺伝子の働きや、その遺伝子からつくられるタンパク質をもとに薬を開発したりすることが可能になりました。このような方法が、いわゆるゲノム創薬です。病気や患者さんの遺伝情報を活用して薬がつくられるため、副作用が少なく、高い効果が期待できます。また、薬の開発期間の短縮にも役立っています。

ゲノム医療のもう一つの側面は診断です。これまで異なる病気として区別されていたものが、ゲノム解析により類似していることが判明したり、逆に同じ病気とされていたものが、実際には異なる病気であることが明らかになったりします。また、治療面でも、個人のゲノム情報の違いにより、薬の効き方や副作用の現れ方が異なることもわかってきました(図1)。

このように、個人のゲノム情報にもとづく個別化医療(オーダーメイド医療)が、実現しつつあります。

図1 個別化医療(オーダーメイド医療)の一例(薬剤応答性)

個人のゲノム情報は一生変わらないものなので、生まれてすぐ全ゲノム情報を調べてICチップに入れ、病院にかかった時に必要に応じて情報にアクセスするというような未来もありそうですね。

しかしながら、先生によると「遺伝情報の解釈とその実用的な応用には多くの複雑な要素が関わるため、専門医などによる適切な情報提供や相談(遺伝カウンセリング)を受け、継続的なサポート体制のもとで遺伝子検査(ゲノム解析ができる検査)を行うことが必要で、慎重に考えていくべき」とのことです。

現在では、大学病院を中心にゲノム医療を専門とする「遺伝(または遺伝子)診療科」などという特別な外来が設置されており、三宅医師のような専門医による遺伝カウンセリングを受診できるようになっています。この遺伝カウンセリングという制度についても先生に解説していただきました。

遺伝カウンセリングとは?

三宅先生:

遺伝カウンセリングとは、遺伝が身体や健康にどう関係しているかを患者さんが理解し、その影響に適切に対処できるようサポートする重要なプロセスです。たとえば情報を知ることは、よりよい医療を受けるために役立つ一方で、自分の子どもの発症リスクや、保険に加入しづらくなる可能性など、さまざまな社会的影響について心配になるかもしれません。

また、発症を予測する検査では、いつ発症するのかとずっと不安が続き、精神的な負担が生じる可能性もあります。遺伝性の病気の中には、遺伝子の変化をもっていれば必ず発症するものもれば、発症するかわからないものもあります。その場合、不必要に心配し続けただけという状況も起こり得ます。そのため、正しい情報にもとづいて、自分にとって知ることが良いのかどうか、またそのタイミングは今なのかを判断していくことが重要です。

遺伝カウンセリングでは、医学的な情報提供や、患者会や福祉サービスなどの紹介を行い、患者さんが最良の選択をできるよう、十分な時間をかけて支援します。また、その方の生き方や考え方に寄り添いながら、自身の病気について知る権利だけでなく、知らないままでいる権利についても一緒に考えていきます。

図2 家系の例

さらに、遺伝情報は一生変わることがなく、親、兄弟姉妹、子どもといった血縁者は50%の確率で同じ遺伝子の変化をもっています(図2)。

その遺伝性の病気(遺伝性疾患)が顕性(優性)遺伝なのか、潜性(劣性)遺伝※1なのかによって、発症予測も異なります。この可能性について、子どもにどう伝えるのか、血縁者への情報提供をどのように行うのかといった問題についても、必要に応じて一緒に考えていきます。

病気の診断や治療で終わるのではなく、進学、就職、結婚、家族計画といったライフステージの節目など、その時々に応じてご相談いただいています。遺伝カウンセリングは、(遺伝性疾患における)長い人生の旅路において、必要なときに立ち寄れる給水所やサービスエリアのような存在としてとらえていただけると良いかもしれません。

※1 遺伝情報は父親と母親から受け継ぎます。顕性(優性)遺伝では、片親からある遺伝子を受け継ぐとその特徴が現れます。潜性(劣性)遺伝は、両親から同じ遺伝子を受け継いだときのみその特徴が現れ、片親からのみ受け継いだ場合には、その特徴は現れません。


病気とともに生きる方々に寄り添う医療が存在しているということは、非常に心強く、安心できるシステムですね。

遺伝カウンセリングを行う専門家には、医師(臨床遺伝専門医)だけでなく、「遺伝カウンセラー」と呼ばれる非医師の専門家もいます。実は私もそのうちの一人です。多くの方にとって馴染みの薄い「遺伝カウンセラー」という職業についても解説していただきました。

三宅先生は、日本で3番目に設立された遺伝カウンセラーを養成する大学院である、お茶の水女子大学大学院遺伝カウンセリングコースの教授です。

遺伝カウンセラーってどんな人?

三宅先生:

遺伝カウンセラーは、医療や心理の専門的知識とカウンセリング技術をもち、患者さんに適切な遺伝に関係した情報の提供や紹介を行います。そして、患者さん自身が自信をもって自らの意思で決断できるようにサポートします。臨床遺伝専門医と協力し、遺伝子が関係する病気に関する包括的なケアを患者さんに提供しています。

現在、認定者数は388名ですが、実働している方の人数はもっと少ないかもしれません。まだまだレアな資格といえるでしょう。(下記リンク参照)

遺伝カウンセラーを志す人のバックグラウンドはとても多様です。私の所属するお茶の水女子大学では、看護師や臨床検査技師などの医療職経験者に加えて、心理学、社会学、言語学、教育などを専攻していた卒業生や大学院生もいます。

いわゆる医学的な正しさだけではなく、患者さんのもっている生き方の方向性のようなものを理解できること、すなわち人間が生きていくってどういうことかを一緒に考えていける多様な視点が重要だと感じています。

お茶の水女子大学大学院遺伝カウンセリングコースのゼミ風景

関連リンク

  • お茶の水女子大学大学院 遺伝カウンセリングコース https://www.dc.ocha.ac.jp/m/life/gccourse/
  • 認定遺伝カウンセラー制度委員会 https://plaza.umin.ac.jp/~GC/
  • 日本認定遺伝カウンセラー協会 https://jacgc.jp/

ゲノム医療推進法(通称)とは?

さらに、昨年ニュースとなった法律についても解説していただきました。

三宅先生:

正式名称は「良質かつ適切なゲノム医療を国民が安心して受けられるようにするための施策の総合的かつ計画的な推進に関する法律」といいますが、長いので通称「ゲノム医療推進法」とよばれています。
この法律の冒頭には、ゲノム医療の推進とともに、個人の権利利益を守ること、人の尊厳の保持に関する課題に対応する必要性が記されています。
ゲノム医療は、今後広く普及していくことが期待されていますが、遺伝子はある意味で究極の個人情報です。そのため、これらの情報が不当に扱われ、本人に不利益をもたらすことは避けなければなりません。
欧米ではすでに遺伝子差別を禁止する法律が存在していますが、日本では遅ればせながら今回法律策定にいたったという経緯があります。
この法律が、すぐに私たちの生活に関係してくるかというと、現在のゲノム医療の主な応用分野ががんや難病であることから、短期的にはあまり関係はしないのかもしれません。しかし、将来的には糖尿病や高血圧といった一般的な病気に関連する遺伝子が明らかになり、ゲノム医療がより身近なものになってくるかもしれません。それに先立って、こういう法律が存在することは、大変心強いことですね。

最後に読者の方々へのメッセージをお願いします。

三宅先生:

遺伝子の変化は誰にでもあるものなので、“遺伝病”を特殊な病気ととらえなくてもよいと思います。ただやはり病気があること自体は喜ばしくはないと思いますので、遺伝性であろうとなかろうと、病気や障害など、さまざまなつらさや困難を抱える当事者の気持ちを理解し、お互いを尊重し合えることが重要だと考えています。
我々医師は、困りごとをかかえた人を助けるために存在していますが、社会としても、困ったことがあったり、能力の違いがあったりしたとしてもそれを許容していくこと、それぞれの生き方や価値が尊重されることが、大事だと思っています。お互いを認め合う社会になってほしいですね。

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先生は、「この世界の片隅に」という映画化もされたマンガの「誰でも何かが足らんぐらいで、この世に居場所はそうそう無うなりゃせんよ。」というセリフを引用しながら、さまざまな遺伝性の病気をもつ患者さんの悩みと向き合ってこられた経験から感じたこととして、伝えてくださいました。

余談編

最後に、「医者の言うことがすべて正しいわけではないでしょ?」という疑念から、民間療法に傾倒したり医療を拒否したりするケースがあることについてもうかがってみました。

先生は、「それは、好みの問題ですね。」とおっしゃいました。

「医者は、医学的に正しいこと、いわゆる科学的に正しい、すなわち再現性があり理論的に正しいことを、事実として誤認させないように伝えることをプロとして努力しています。しかし、それを良いと感じるかどうかは、その人の価値判断に関わる部分なのです。例えば、薬やワクチンは多くの人に役立つことが検証されていますが、すべての人に効くわけではなく、副作用が生じる人がいるのも事実です。

医療者はそのような限界や課題も含めて十分に説明する必要があり、医療を受ける側のみなさんは、科学的に正しい事と好みの問題、それぞれについてよく考えた上で、納得して自己決定していただくことが大事ですね。」 とのことでした。

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三宅先生へのオンラインインタビューの様子


科学技術の発展は革新的であり、人と社会に大きな影響をもたらします。自分や家族の生まれもった遺伝情報を知ることは、医療的に意義がある一方で、社会的課題も多いと日々実感しています。

これらの問題について、皆さんとともに考え、対話する機会を未来館でもつくっていきたいと思っています。
次回は、常設展示【細胞たち研究開発中】インスパイア企画第2弾として、がんの話をまとめようと思っています。その中で、がんゲノム医療についてもお伝えしていく予定です。

どうぞお楽しみに。



Author
執筆: 平岡 さゆり(日本科学未来館 科学コミュニケーター)
【担当業務】
主にLife(生命科学)領域のアクティビティ全般の企画・ディレクションに携わり、情報発信なども行っています。

【プロフィル】
修士号(理学、遺伝カウンセリング学)、博士号(臨床心理学)を取得。教職を経て、医療職へ転身。認定遺伝カウンセラーとして医療に携わるなかで、医療と社会のつながりをつくっていくことが重要と感じ、未来館へ。
最新の医療にまつわる情報の普及と、それにともなう社会的課題を広く議論できる場の創出を目指しています。生命倫理に関する特別授業など、学校教育にも積極的に取り組んでいます。

【分野・キーワード】
生物学、教育、遺伝医学、臨床心理学