医療業界をはじめ、産業界はソフトウェア定義型(Software-defined)へと急速に変化しつつあります。「アナログ」なハードウェア技術に依存するのではなく、ソフトウェアによってシステム全体を制御することで、より洗練された機能の追加が実現し、オペレーションやコスト面での効率の向上など、多くの利点が生まれます。

その市場規模について、ボストン コンサルティング グループ(BCG)は「ソフトウェア定義型自動車 (Software-Defined Vehicle、SDV) の出現により、2030 年までに自動車業界に 6500億ドル(約100兆円、1ドル155円換算)以上の価値がもたらされる」との調査結果を公表しています。

ソフトウェア定義型への転換は、自動車だけでなく、医療機器やロボット工学などの分野で既に起きています。本稿では、医療機器の中でも最先端の技術が求められる「外科手術用ロボット」による手術支援技術に焦点を当てながら、基盤ソフトウェアに求められることを考察していきます。

医療業界で外科用ロボットが注目されている理由

手術用ロボットが提供するメリットは、外科医、医療チーム、患者のそれぞれに対して、多岐にわたります。まず、外科医はロボットの支援を受けることで、より正確かつ管理された環境で手術を実施できます。それによって人為的なミスを最小限に抑え、患者の安全性を向上させる効果も生まれます。

また、患者にとっての利点は、上記のような外科医に対するメリットを通じて手術の際に得られるものにとどまりません。ロボットの支援によって最小侵襲手術が実現することで、入院期間の短縮をはじめ、長期的な改善が見込まれます。

こうした医療の質を広範囲で向上させる効果を背景に、Grand View Researchが公表した外科手術用ロボット市場の調査では、市場規模は2023年に39億2000万ドルに達し、2024年から2030年にかけて年平均成長率(CAGR)9.5%で成長すると予想されています。

実際、整形外科、婦人科、泌尿器科、一般外科などの医療専門分野において、外科手術用ロボットの導入が着実に進んでいます。

整形外科では、膝関節全置換術や股関節全置換術などの手術にロボット支援手術が採用されており、ロボットシステムの精密な制御が、インプラントの正確な配置と関節機能の向上を可能にします。

また、婦人科でも、子宮摘出術などの複雑な手術で利用されています。外科手術用ロボットの「器用さ」によって、外科医は切開する部位をより小さい範囲に抑えられる効果が見込まれます。それにより手術時の侵襲がこれまでよりも軽くなり、患者の回復が早まると期待されています。

外科手術用ロボットにおけるソフトウェアの重要な役割

こうしたロボット支援手術の成功を大きく左右するのが、外科医とロボット間における高精度の通信を可能にするソフトウェアです。外科手術用ロボットに組み込まれたソフトウェアは、手術を成功させるために必要な細かな調整と、リアルタイムのフィードバックを外科医にもたらします。

現在、外科手術用ロボットアプリケーションの開発には、先進的なリアルタイムオペレーティングシステム(RTOS)が広く活用されています。RTOSは高性能かつリアルタイムの動作を保証するため、遅延や中断することなく、操作要求に即座に応答することを可能にします。これは、一瞬の判断が患者の予後に大きな違いをもたらす繊細な処置において、特に重要です。

RTOSのアーキテクチャでは、すべてのアプリケーション、ドライバー、プロトコルスタック、ファイルシステムを分離することが重要です。これにより、障害が発生したコンポーネントやプロセスの影響で、他のコンポーネントやカーネルが停止することを防げます。障害がもたらすパフォーマンスへの影響を最小限に抑え、速やかにシステムを再起動できます。

こうした重要性を踏まえ、BlackBerry QNXではRTOSに「マイクロカーネルアーキテクチャ」を採用しています。マイクロカーネルアーキテクチャは、故障時や異常発生時に人命を優先して安全側に動作させる「フェイルセーフ」と、予備の系統に切り替えるなどして機能を保つ「フォールトトレラント」の考え方を実現するよう設計されています。また、サイバー攻撃者による攻撃対象領域が小さいため、本質的な安全性が高まります。

外科手術用ロボットが、手術室内の他のデバイスとより密接に接続されるようになるにつれて、こうしたセキュリティ層の重要性はますます高まっています。

SoCとミックス・クリティカル システム

今、IT市場ではSoC(システム・オン・チップ )の採用が拡大しています。SoCとは1つの半導体チップ上にCPU、メモリ、I/Oポート、周辺機器などコンピュータシステムの主要な機能を集積させた回路です。高集積度の実現によるデバイスの小型化とコスト削減、機能間の通信距離が短くなることによる省電力、特定用途向けに最適化する設計による高性能性の実現などが、SoCのメリットです。

そして、SoCの利点を生かしたシステム実装方法として注目されているのが「ミックス・クリティカル システム」です。安全性の面で異なる重要度のタスクが共存するシステムを指します。SoCの多くは複数のプロセッサコアを含んでおり、重要度の異なるタスクを異なるコアに割り当てることで、干渉を最小限に抑えながら、リソースを効率的に利用できます。

前述したマイクロカーネルアーキテクチャを例にミックス・クリティカル システムの実現方法について説明すると、このアーキテクチャでは、安全性が重要な機能と、安全性が重要でない機能の分離を保証しています。

また、ゲストシステムまたはハイパーバイザー自体が安全性が重要な機能を維持しながら、ゲストシステムを仮想マシン内でさらに分離して隔離する実現方法もあります。これは、外科手術用システムの中でも、特に安全性が求められる機能を外部干渉から分離し、保護するための設計ができるという柔軟性をもたらします。

医療機器ソフトウェアの安全性の向上を目的とし、ソフトウェア開発と保守に関する要求項目を規定した国際規格として、「IEC 62304 クラス C」などの安全性認証規格があります。そうした規格に準拠することで、医療専門家と患者にロボットシステムが最高レベルの安全性と信頼性で動作することを保証することも、今後のソフトウェア定義型ロボティクスでは重要になります。

基盤ソフトウェアに求められる高い水準

これまで説明してきたように、ソフトウェア定義型ロボティクス、特に外科手術用ロボットの基盤ソフトウェアには、さまざまな要件を満たすことが求められます。そして複数の基盤ソフトウェアベンダーと医療機器メーカーが、外科手術用ロボットのシームレスかつ効率的な動作と、さまざまな医療専門分野におけるロボット支援手術の全体的な安全性と成功を実現させ、患者への治療成果を最適化するための取り組みを続けています。

ソフトウェア定義型ロボティクス市場を概観し、OMDIAの応用インテリジェンス チーフアナリストを務めるリアン・ジェイ氏は次のように述べています。

「ロボットによる自動化の需要が増加することで、伝統的なロボットOEMとスタートアップ企業が成長しました。スタートアップは特定の問題に対処するハードウェアの設計に優れているものの、ソフトウェアの課題を解決するためのリソースは限られています。ロボットは重要なアプリケーションで使用されており、ユーザーは高い精度と安定性を期待しています。ソフトウェアは、安全なハイパーバイザーとOS、正確なリソース割り当て、障害回復、リアルタイム性を通じてロボティクスの安全性に明確さと秩序をもたらすことが期待されています」

産業のソフトウェア定義型への転換は今後もさまざまな分野で拡大していくと考えられます。そうした中で基盤ソフトウェアに求められる水準は、精度、機能性、安全性などにおいて、ますます高まるでしょう。

著者プロフィール


BlackBerry Japan株式会社 カントリーセールスディレクター、日本 IoT アガルワル・サッチン

25 年以上にわたりテクノロジー分野で様々な経験を積む。日本での長年のキャリアを経て、現在はBlackBerry IoTジャパンビジネスをリードしている。金融と国際ビジネスの経営学修士(MBA)、電子・通信工学の学士(BE)を取得。