ヤマダHD会長兼社長山田昇の人材育成論「伸びる人は、現場を大事に、努力し続ける人!」

創業して50年余、次の成長をどう図るか─。家電の量販で成長し、家具・インテリア、住まいに関して、”暮らしまるごと”戦略で、新しい成長を図ろうとするヤマダホールディングス。「今は一つの節目。この10数年来、取り組んできた改革の成果を出していかなければならないスタートの年かな」と感慨を述べるのは、創業者で会長兼社長CEO(最高経営責任者)の山田昇氏。祖業の家電量販店では国内ナンバーワンの地位を築き、住宅、金融(住宅ローンやクレジットカード)、環境(リユース=再利用、リデュース=減量、リサイクル=再生)を基軸に、”暮らしまるごと”戦略を掲げて、新事業領域を開拓。コロナ禍も重なり、途中、山田氏の社長復帰(2021年)など紆余曲折もあったが、「少なくとも将来への方向付けだけはできた」と山田氏。現在のデンキ、住建、金融、環境の主要4セグメントのシナジー効果を内外でどう発揮していくのか。そして、これからグループを担う人材育成とは─。

創業から50年余の今は『第3の創業期』

 ヤマダホールディングスの創業は1973年(昭和48年)。昨春、創業50周年を迎えた。

「創業50周年を迎えて、一つの節目かなと思っています。この10数年来、取り組んできた改革を実現させていかなければならない。また、成果を出していかなければならないスタートの年かなと思っています。いろいろやってきましたけれども、少しずつ芽が出てきたのかなと」

 同社創業者で会長兼社長CEO(最高経営責任者)の山田昇氏(1943年=昭和18年2月生まれ)は創業50余年を迎えた心境をこう語り、この間やってきた改革を「長期戦略の中で、確実に進めていきたい」と語る。

 そして、「わたしもいい歳になりましたけれども、少なくとも将来の方向付けはできたかなと。後は、人材をいかに育成していくか。これが大きなテーマと思っています」と、山田氏は人材育成が現在の大事な仕事の1つという認識を示す。

 山田氏は、現在を『第3の創業期』と位置付ける。

 宮崎県出身の同氏は高校卒業後、上京して日本ビクターに入社。群馬県内の工場で働いた後、30歳の時に独立した。

『ヤマダ電化サービス』として起業し、〝街の電気屋〟としてスタート。松下電器産業(現パナソニックホールディングス)の系列家電店として、夫婦2人で働き、当初8坪(26平方メートル強)だった小規模店舗は、5年後に5店舗、年商6億円にまで拡大。

 この時から、『お客様第一主義』を掲げ、家電製品の販売のみならず、修理、引き取り・廃棄など、今日の環境問題につながる事業にも取り組み、地域に融け込む経営に徹した。

 創業時の1973年は、第1次石油危機が起きた年。さらに、1978年には第2次石油危機が起き、日本経済は不況局面を迎えた。

 このような時代に同社は成長。日本経済全体が混沌・混乱にある中で、創意、工夫で店舗を増やしていたことは、起業家・山田氏にとって自信となった。

『第2の創業期』は1980年代から2000年代にかけて。家電量販店としてのポジションを確立し、売上高日本一を果たす時期となる。

 消費者に〝豊かな暮らし〟を提案するための店舗づくりということで、『テックランド』(郊外型総合家電店舗)や、都市型大規模店舗『LABI』を開発。これは家電量販店の世界に新風を吹き込んだ。

 5000坪(約1万6500平方メートル)近い大型店を家族がマイカーで訪れ、家電を購入するという生活スタイルがこの頃から定着。そうした購買スタイルを同社がつくり上げてきたと言っていい。

 1997年には売上高1000億円を達成。2005年には売上高1兆円を達成した(2010年には2兆円を記録)。

 1990年代初めにバブル経済が崩壊。経済不安が社会に広がり、日本は〝失われた30年〟に突入する。そうした社会の流れを先取りし、総合保守サービス(THE安心)や、リユース商品の整備や販売を行う『シー・アイ・シー』を設立。

『第1の創業期』には、2度に渡る石油危機、『第2の創業期』にはバブル経済の崩壊に直面。その中を、「『創造と挑戦』という経営理念で、自分たちの経営を見直し、新しい手を打ってきた」と山田氏。

 この『創造と挑戦』はいつの時代も変わらないとする。

住に関する『暮らしまるごと』戦略で

 そして、2010年代から今日までの『第3の創業期』。『第3の創業期』は、家電オンリーから脱却し、〝住まい〟を舞台とする新領域への挑戦である。

 大型テレビなど家電製品と、ソファーなどの家具・インテリアとの調和。さらに一歩進めて、トータルに新しい住環境を顧客に提案していこうと山田氏は考えた。

「衣・食・住のうち、衣・食はうちはやっていませんが、『住』領域において、全ての暮らしをまるごと、ということで取り組んでおります」

 2011年には注文住宅の『エス・バイ・エル』(社名は当時)を買収。翌2012年には『ハウステック』を子会社化、翌13年には『ヤマダウッドハウス』を設立した。

 さらに、この住宅建設事業を統合するために、2018年『ヤマダホームズ』を設立したという経緯。

 また、家具・インテリア類の充実を図るために、2019年大塚家具(当時)を傘下に入れ、翌20年には住宅メーカーのヒノキヤグループを子会社化するなど、〝暮らしまるごと〟戦略を着々と進めてきた。

 この間に手掛けてきた数々のM&A(合併・買収)で新たに仲間として加わった人たちも数多くいる。23年末現在、グループの店舗数は984を数え、グループ全体の社員数は約2万5600人にのぼる。

 山田氏は『第3の創業期』の成果をさらに掘り起こすために、主要事業をデンキ、住建、金融(住宅ローンやクレジットカード)、環境(リユース=再利用、リデュース=減量、リサイクル=再生)の4つのセグメントに分類。

 デンキには、ヤマダデンキ、ベスト電器などがあり、住建にはヤマダ住建ホールディングス、ヤマダホームズなどがある。この住建のセグメントには株式会社『家守り』もある。これは、住まいを〝住宅資産〟として見つめ直し、住まいがその価値を失うことなく、何世代にも渡って住み続けられるように、〝変化へのお手伝い〟をするという趣旨でスタート。要は、資産化ソリューションの提供である。このほか、マンション、店舗、工場、倉庫などの建設を手がける『ワイ・ジャスト』という会社もある。

 金融セグメントには、ヤマダファイナンスサービスがあり、住宅ローンや、リフォーム(修繕)、家電・家具購入の顧客に対するリビングローンを提供。

 環境セグメントでは、『ヤマダ環境資源開発ホールディングス』があり、家電製品を中心としたリユース促進、また廃棄物の再資源化を図るなど、環境資源開発の分野を担う。

 また近年では、建設工事現場から排出される建築系廃棄物のリサイクル・再資源化が社会の重要課題の1つとなっている。

 同社は、この事業をSDGs(持続可能な開発目標)の達成に向けた重要課題の1つとして捉え、循環型社会の構築に貢献したい─としている。

 そのほかにも、住宅建材、住宅設備機器の総合建材商社の『ヤマダトレーディング』、電機製品の配送設置や取付工事を行う『ヤマダテクニカルサービス』や、人材派遣業、旅行代理業も展開。さらには、福岡県、福岡市や地元企業との共同出資で、重度障害者を雇用する『ビー・ピー・シー』を設立。高品質な印刷・製本業務を行う会社で、働く意志や意欲がある重度障害者が自立した社会人として数多く働いている。

 創業から50年余─。今では多様な事業を展開する同社だが、順風満帆の時だけではなく、様々な時代の変化、さらには逆風を体験してきた。そうした時、どのような心構えで対応してきたのか?

人事は身内にも厳しく

 山田氏は、ヤマダ電化センターをヤマダ電機に法人化(1983)し、1989年3月に株式を上場。この年は昭和から平成に年号が変わった年(東証1部上場は1990年=平成2年のこと)。

 家電量販店1位の座を確定させた後、2008年、山田氏は会長兼代表執行役員になる。

 東日本大震災後の2013年3月期、上場以来初の2期連続の減収減益となり、取締役全員の役職を解いた。山田氏本人は会長から社長に就任。2016年4月には会長兼取締役会議長に就任し、後継社長に、一族外から桑野光正氏(1954年生まれ)を選任した。同氏は、その後2018年副会長、2020年特別顧問という足取り。

 桑野氏は、旧ダイクマ出身で、イトーヨーカ堂グループ会社だったダイクマが2004年にヤマダ電機に買収されたのを機に、同社に入社。山田氏が手がける人材育成塾の礎生塾の塾長などを務めてきた人物。

 ちなみに、桑野氏がヤマダ電機社長に就任した2016年には、山田氏の長男・傑氏が同社取締役を務めていた。

 それまで、長男の傑氏は同社のナンバー2の位置付けで、山田氏の後継者と目されていたが、山田氏は2016年、「後継者としての任にない」と記者会見で明言。傑氏は同社の取締役陣からも外れることとなった。

「会社は公のもの」という考えの強い山田氏は身内に対しても厳しい経営者として知られる。

競争激化の中で独自の業容拡大策を

 家電量販業界はこれまで厳しい競争を繰り広げており、独自に業容を拡大している。

 業界トップのヤマダホールディングス(2023年3月期売上高は1兆6005億円、営業利益約440億円)はベスト電器をグループに持ち、既述のとおり、住領域を開拓して、独自の業容拡大策を実行中。

 業界2位のビックカメラ(2023年8月期売上高は約8155億円、営業利益142億円)はソフマップを吸収合併。さらにコジマを子会社にして業容を拡大している。 

 3位以下では、ケーズデンキホールディングス(23年3月期売上高は約7373億円、営業利益は約301億円)は2019年にテクニカルアーツを買収し、パソコン教室事業に参入。

 エディオン(23年3月期売上高は約7205億円、営業利益約191億円)は家電以外の不動産や通信の領域を開拓し、M&Aを展開する。

 ヨドバシカメラ(非上場)は石井スポーツを買収(2019年)、アウトドア領域に参入といった具合にそれぞれ独自に業容を拡大している。

コロナ禍後の〝暮らしまるごと〟提案

 2022年から23年にかけての同社の株価は軟調。家電量販域では売上高トップで、株式時価総額は1位(24年4月下旬、約4260億円)を維持しているが、株価はそれ以前と比べて軟調に推移している。PER(株価収益率)は12.7倍、ROE(自己資本利益率)は6.8%で、PBR(株価純資産倍率)は0.49倍という水準。

 業界トップの順位なら、PERは10数倍、ROEも8%~10%、PBRは1以上を確保したいところ。

 家電製品は、コロナ禍当初は巣ごもり需要が支えとなったが、それが一巡。ロシアのウクライナ侵攻によって一時期、原材料コストが上昇するなどの要因はあった。それに加え、ヤマダグループの住関連領域への投資負担が続いたという側面もあろう。

 そうした様々な要因が絡み合う中で、ここ数年、山田氏のグループの体質改革が進行中。その成果が期待されるのはこれからである。

 山田氏は先述のように、「ある程度、芽が出つつある」と語り、デンキはもとより、住宅、金融、環境の各セグメント間でのシナジー(相乗)効果が出てきているとして、事業改革の手応えはあると強調。

 こうした一連の改革は、国内の人口減、少子化・高齢化という現象の中で打ってきたものであるが、そうした状況下で成長していくには、国民の消費行動を、「個人ではなく、家族や家庭単位で見る」という山田氏独自のモノの見方がある。

 山田氏が起業し、この50年間で、家電量販業界でトップになり、さらに住領域で〝暮らしまるごと〟戦略を展開し、次々と成長を図ることができたのも、国民生活に夢を与える家電販売にタッチできたからだ─という思いがある。

人口減の日本でも「成長できる」

「家電は経済成長と共にある商品です。中産階級が育っていくと、家電製品は一番必要とされる商品ですからね」と山田氏。

 戦後日本が経済力(当時の指標はGNP=国民総生産)で西ドイツ(当時、現ドイツ)を抜いて、自由世界で2位になったのは1968年のこと。

 その5年後の1973年に、当時30歳の山田氏は電機製品販売店を興した。夫人と2人で頑張り、徐々にチェーン店を増やし、10年後に法人化(ヤマダ電機設立、1983年)。

 日本経済は成長し、山田氏自身も経営者として伸び、家電量販店1位、そして、〝暮らしまるごと〟戦略でさらなる成長を追おうとしている。

 人口減の日本で、さらなる成長を追う〝暮らしまるごと〟戦略を支えるのは、豊かな生活を求める国民の夢である。その夢を実現する場は〝家庭〟であるという山田氏の考え。そのための暮らしの提案を「ヤマダは仕掛けていく」と同氏は語る。

 要は、家庭への提案力である。家庭を構成する個人にその提案力が共感を与えられるかどうかである。

「最先端の科学技術と共に、家電領域は発展、成長し続けるし、まだまだ伸びる」と山田氏。

 ロボットや生成AI(人工知能)を含め、最先端の科学技術開拓を巻き込んでの提案力だ。

「『創造と挑戦』は、これからもわが社の経営理念であり、続けます」と山田氏は語る。

 そしてもう1つ、成長を実現できる場がASEAN(東南アジア諸国連合)。特に今、山田氏が注目するのはインドネシアだ。

日本の良さは『勤勉性』

「いまシンガポールとマレーシア、インドネシアというASEAN地区、特にインドネシアを重点的にやっています。今までは(傘下の)ベスト電器という名前でASEANを手がけてきました。今度は、それを本格的にヤマダが今の組織を支援する形でやります。完全に子会社ですから。ASEANでの事業の歴史は40年くらいあるんです」。

 ASEANの事業を拡大させるためにも、「人材育成が大事」と山田氏は強調。

 アジアの成長は著しい。特にインドネシアは、氏自身も何度か現地を訪問し、「わたしが創業した頃、50年前の日本と同じ状況です」という認識を示す。

「インドネシアはGDP(国内総生産)で2050年までに世界4位になるだろうということで国づくりを進めています。われわれにとってもチャンス」

 日本は2010年(平成22年)に中国にGDPで抜かれ、世界3位になり、2023年(令和5年)には、ドイツに抜かれて同4位にまでランキングを下げている。

「インドネシアは日本を追い越そうと。それ位の国内目標でやっている国ですからね。豊かになってくれば、家電製品は一番買っていただけるし、家電は経済成長と共にある商品。中産階級が育っていくと、家電は一番必要とされる商品だと」

 同国では、まだ富裕層をターゲットにした家電製品販売という位置付けだが、中産階級が伸びている時期だけに、「非常に楽しみ」と言う。

『第3の創業期』は、グローバル領域での新しい成長を追うことも重要となってくる。

 ともあれ、経営の基本は『人』。新しい成長を追い求めるためには、『人』をどう育てていくかが不可避な経営課題。

 創業して50年余。この間、事業を創出し、拡大させてきた中で、伸びる人材とはどのようなタイプと認識しているのか?

「意欲と使命感があり、もちろん努力する人。イノベーション(革新)に向かって、『創造と挑戦』で努力し続ける人ですね」

 経営理念の『創造と挑戦』を引き合いに、山田氏は伸びる人の要件は「どこの国も同じです」と語る。

 日本は1990年代初め、バブル経済がはじけて以降、〝失われた30年〟に入った。ヤマダホールディングスはこの間にも成長してきたわけだが、日本経済全体は〝失われた30年〟と総括される。

 安倍晋三政権の金融緩和策に代表される経済政策『アベノミクス』などを経て、ようやく日本経済全体が成長局面に転じようとしている。この約30年にわたるデフレはやむを得なかったのか。あるいは、日本人の怠慢だったのか─。

「怠慢でしょうね。われわれの業界(家電)だけを取ってみたって、韓国だとか中国にやられている。経営の怠慢だと思う」

 1人当たりGDPで見ても、いま日本は34位(2023年時点で3万3806ドル)。33位にバハマ諸島(3万4224ドル)、35位に韓国(3万3192ドル)、39位に台湾(3万2444ドル)という帯域である。

 G7(主要先進7か国)の中で見ると、日本は最下位。ちなみにGDP1位の米国は6位(8万1632ドル)、カナダは18位、ドイツ19位、英国23位、フランス25位、イタリア28位で、G7の中で日本は〝貧しい国〟になっている。このような現状に陥ったのはなぜか?

「政策にも依るでしょうが、特に半導体では、日本はしてやられてきましたね」

 1980年代、日本が半導体王国とされた頃、米国の圧力を受け、弱体国になっていった。

「国(日本政府)も反省しているし、台湾リスクも考慮して、最近は半導体振興策に政策資金を出している。その辺りが今後どう出るかですね」

 国(政府)は産業政策にどう関わるべきかについては諸議論がある。しかし少なくとも、産業の方向性についての国の役割はあるし、これは誰も否定できない。

 戦後79年が経つ。日本が復興を遂げ、日本経済が長い間、世界2位の座にあったのも事実。

「戦後日本の強さは勤勉さにあったと思うんです」

 山田氏は勤勉さを日本人の良さ・強さであると挙げ、世界2位になるだけの「経営者がいたということ」との認識を示す。

 人口減、少子化・高齢化という状況の中でも、勤勉さを素地に、「努力していく」ことの大事と内外の人材教育で浸透させていきたいと語る山田氏である。