東京海洋大学は5月25日、マスノスケ(キングサーモン)やベニザケのように、一度成熟して産卵すると力尽きて斃死(へいし)してしまうサケ類の卵や精子の幹細胞を、複数年にわたって産卵可能なニジマスに移植して代理親とすることで、1回の成熟で斃死してしまうサケ類の卵や精子を複数回生産できる技術を開発することに成功したと発表した。

同成果は、東京海洋大 学術研究院 海洋生物資源学部門の吉崎悟朗教授らの研究チームによるもの。詳細は、米国科学振興協会が刊行する「Science」系のオープンアクセスジャーナル「Science Advances」に掲載された。

マスノスケやベニザケなど、太平洋のサケ類の多くは海での回遊生活の後、自分が生まれた川に戻り、産卵を終えると、雌雄どちらも生命を使い果たして力尽き死んでしまう一方で、太平洋に分布する原始的なサケと考えられているニジマスやカットスロートは産卵後も生き残り、その後も毎年産卵を繰り返すことが知られている。そこで研究チームは今回、「一回産卵型」の代表としてマスノスケとヒメマス(ベニザケの淡水型)を、「多回産卵型」の代表としてニジマスを用い、これらの種の卵巣や精巣内に存在する生殖幹細胞の挙動を解析することにしたという。

  • 各種サケ類の成層の構造の顕微鏡画像および顕微鏡染色画像

    各種サケ類の成層の構造の顕微鏡画像および顕微鏡染色画像。多回産卵型のニジマスは翌年以降の生殖幹細胞があるが、一回産卵型のマスノスケやヒメマスでは、確認できないのがわかる(出所:東京海洋大プレスリリースPDF)

解析の結果、多回産卵型のニジマスでは、産卵期後も生殖幹細胞が卵巣、精巣内に残存するのに対し、一回産卵型種の生殖幹細胞は成熟卵巣や成熟精巣からは完全に消失する(一回産卵型種の卵巣や精巣では、一度しか卵生産や精子生産を行えない)ことが突き止められた。

次に、この生殖幹細胞の挙動は幹細胞自身が制御しているのか、あるいはそれを取り囲む細胞環境が制御しているのかを解明するため、自身の生殖細胞を除去したニジマス宿主へ、マスノスケの生殖幹細胞の移植が実施された。ニジマス宿主は通常では卵や精子を生産することはないが、生殖幹細胞移植が施されたニジマス宿主は成熟年齢に達するとマスノスケの卵、精子を生産することが確認されたという。

  • 今回開発された技術の概要

    今回開発された技術の概要。一回産卵型種の生殖幹細胞をニジマスに移植すれば、ニジマスは複数年にわたって産卵するので、養殖や品種改良などにおいて、大幅な効率化と期間の短縮(による費用の低減)が実現できる(出所:東京海洋大プレスリリースPDF)

さらに、ニジマス宿主は成熟後も斃死することなく、翌年以降も繰り返し成熟し、雌宿主は3年間、雄宿主は4年間にわたり、それぞれマスノスケの卵、精子を繰り返し生産することが確かめられた。なお、これらの卵や精子は正常な受精能を有しており、両者を受精させることで健常なマスノスケの次世代を生産することができたとする。また、マスノスケの幹細胞を移植したニジマス宿主の卵巣や精巣の構造を産卵期後に観察した結果、大量のマスノスケの生殖幹細胞を保持し続けていることも明らかにされた。つまり、生殖幹細胞が初回の産卵期後に消失するか維持され続けるかという細胞運命の決定は、生殖幹細胞を取り囲む細胞環境が制御していることが突き止められたのである。

なお、類似の実験はヒメマスの生殖幹細胞を用いても行われ、同様の結果が得られたという。研究チームはこれらの系に対し、生殖幹細胞の運命決定の機構を明らかにする上で、非常に有用なモデルになることが期待されるとしている。

マスノスケは極めて美味であり、キングサーモンという別名もあるように商品価値の高い種であるものの、成熟するまでに3~7年の長い時間を要し、大型化する上、一度の産卵で斃死してしまう。今回の研究により、ニジマスを宿主にしてマスノスケの卵や精子を繰り返し生産させることができるようになったことで、養殖場で大量の親魚を毎年生産する必要はなくなり、ニジマス宿主を繰り返し利用することで、マスノスケ種苗の安定生産が可能となる。さらに、ニジマス雄は満1歳で、雌は満2歳で成熟するため、卵や精子を得るまでに必要な期間の幅な短縮も実現できるようになった。

養殖生産の効率化のためには、対象種の品種改良は必要不可欠だが、マスノスケのような種では、時間も費用もかかってしまう。しかし今回の研究のニジマスのように、短期間で成熟する魚種を代理親に用いることで、品種改良に必要な時間を大幅に短縮することも可能だ。たとえば、ある品種を生産するために5世代の交配を繰り返す必要があると仮定すると、マスノスケでは通常なら15~20年以上を要する。しかし、代わりにニジマス代理親を用いれば、5~10年に短縮できることが見込まれるという。

一方で、マスノスケやベニザケはアメリカの西海岸の一部の水域では、地球温暖化などの影響により絶滅が危惧されており、これらの地域集団の保全が喫緊の課題にもなっている。研究チームを率いた吉崎教授らは、サケ科魚類の生殖幹細胞を液体窒素内で長期間凍結保存する技術を確立済みだ。それを、今回開発されたニジマスを代理親に用いる方法と組み合わせることで、これらの貴重な遺伝子資源を半永久的に保存することができるようになる。さらに、必要な際には養殖が容易なニジマスを代理親に用いて、凍結幹細胞から個体を復元する技術が開発されることも期待されるとしている。