筑波大学は5月23日、人が仮想現実(VR)空間で筋肉質体型のアバターに没入しているとその間の痛み知覚が軽減することがわかったことを発表した。

また、ユーザーの性別とアバターの性別の組み合わせにより、その軽減効果に違いが出ることもわかり、性別と痛みに関するステレオタイプやアバター没入度との関わりが示唆されたことも併せて発表された。

同成果は、筑波大 システム情報系の田中文英教授らの研究チームによるもの。詳細は、英オンライン総合学術誌「Scientific Reports」に掲載された。

ヒトは、VR空間でアバターを使用すると、時としてそのアバターの容姿に影響を受けて自らの振る舞いや知覚などが変化することが知られている。この現象を「プロテウス効果」と命名した海外の研究者らによれば、魅力的なアバターを使用した際にユーザーは異性に対する自己開示量が増えたり、対人距離が短くなったりすることが報告されているという。

また今回の研究と関わりの深い知覚の変化についても、筋肉質アバターを使用したユーザーは物体の重さを実際よりも軽く感じることが報告されている。近年、麻酔や薬品などを用いない痛みコントロールの手段としてVR技術が注目されているが、こうしたプロテウス効果がヒトの痛みの軽減に与える影響の詳細は、明らかにされていない。そこで研究チームは今回、VR空間内のアバターと熱刺激装置を用いた痛み実験プロトコルにより、プロテウス効果がヒトの痛み軽減に与える影響を調べることにしたという。

実験では、筋肉質体型および通常体型のアバターが男女それぞれ、合計4種類が用意された。44人の実験参加者(大学生・大学院生)はヘッドマウントディスプレイを装着し、VR空間で条件ごとに指定されたアバターを使用しながら、特定のタスクを実行するという実験が行われた。その間、現実空間において実験参加者の腕部に痛みを模した熱刺激が与えられ、その痛み知覚度合を比較した。この痛み実験プロトコルは、痛みの研究分野で確立された「Pain60」測定のプロトコルに基づくものだ。なおPain60とは、無痛を0、想像し得る最悪の痛みを100とした時の60に相当する痛み(集中を妨げる程度の痛み)とされる。今回の研究では、Pain60に相当する刺激として、46℃もしくは45℃の熱刺激が用いられた。

  • 今回の研究で用いられた4種類のアバター

    今回の研究で用いられた4種類のアバター。(a・e)男性の筋肉質アバター、(b・f)男性の通常体型アバター、(c・g)女性の筋肉質アバター、(d・h)女性の通常体型アバター(出所:筑波大プレスリリースPDF)

実験の結果、筋肉質アバターの使用時には、通常体型アバターの使用時と比較して、「Pain Assessment Scale」(無痛を0、想像し得る最悪の痛みを100として、10刻みでリファレンスとなる説明文が提供されている痛み評価のスケール)上で、15.982%の低い痛み値が実験参加者から報告されたとする。さらに、実験参加者の性別と使用アバターの性別が同一である場合には、同一でなかった場合より有意に低い痛み値が報告された。

それらに加え、プロテウス効果における性差の存在も明らかにされた。たとえば、筋肉質アバターの使用による痛み知覚の軽減効果は男性参加者において特に顕著だったが、女性参加者ではアバター体型に関係なく痛み軽減効果が確認されたとする。

また今回の実験では、プロテウス効果について、さらに理解を深めるための追加調査も行われた。性別と痛みに関するステレオタイプを、「典型的な女性の痛みへの敏感度」「典型的な男性の痛みへの耐性」などの15項目で構成される質問に対する回答から、回答者の性別と痛みにまつわるステレオタイプを測定する「Gender Role Expectations of Pain questionnaire」が用いられた。

  • 実験の様子

    実験の様子。(a)実験参加者は、利き手と反対側の腕を熱刺激装置の上に置きながら、(b)ヘッドマウントディスプレイを着用してVR空間でアバターを操作した(出所:筑波大プレスリリースPDF)

調査結果からは、各人が持つステレオタイプがプロテウス効果に影響を及ぼしている可能性が示唆されたという。また、アバターへの没入度合を測定する調査も行った結果、アバターへの没入度の深さと痛み軽減効果の関連性も示唆されたとした。

今回の研究成果は、麻酔や薬品などを用いない痛みコントロールの手段の1つとしてのVR技術活用に、具体的な知見をもたらすものとする。ただし、今回の研究で扱った痛みは、熱(摂氏46度もしくは45度)による数十秒~1分程度の刺激によって知覚される、非常に限られたものであることは留意が必要だという。今後は、VRコンテンツの拡充や他の手法との組み合わせなどにより、慢性疼痛など、別の種類の痛みにも適用可能な手法の研究が進められていくものと思われるとしている。