諦めないことが新しい時代を拓くことにつながる【私の雑記帳】

人と人をつなぐ仕事に…

 生きるための根本軸をしっかり持ち続ける─。ややもすると、時代の荒波に押し流され、自分の立ち位置を見失いがちになる昨今だが、自分の軸をどう保ち続けるかということである。

 最近、医療機器メーカーのトップを退いた某経営者が医療機器製造に携わってきたことについて、こんな感想を述べる。

「コロナ禍の期間中は一時期、製造にも支障をきたして困りました。間もなく生産を立ち上げましたが、自分たちが踏ん張らないと、世界中の患者さんたちがお困りになると。コロナ禍が一段落し、患者さんたちから『あなたたちの医療機器で命が救われました』という言葉をあちこちからいただきました。わたしたちも嬉しかったし、多くの社員もモチベーションが上がりました。この仕事をやっていて本当によかったなと」

 コロナ禍では、感染症にかかり急性心不全・肺不全で亡くなる人や重篤な症状を引き起こす人が続出。医療現場は大混乱に陥った。

 そうした中で、患者の治療のための医療機器が日本で開発され、世界100数十ヵ国で製造・販売されている。

 世界は今、分断・分裂が進む。ウクライナ戦争、イスラエルとイスラム過激派組織『ハマス』との戦闘は今も続き、内紛や争いごとが随所で起きている。

 なぜ、戦争や争いごとがこの世界から無くならないのか─という問いに、明確な答えが得られないまま不安定な状況は続く。しかし、この医療機器トップのように、「人のお役に立てて嬉しい」という人たちが存在するのも事実。

 人と人をつなぐ仕事が必ず報われる時が来る。要は、諦めずにやるべき仕事をやっていくということ。こうした仕事が新しい時代を切り拓いていくのだと思う。

大谷選手の〝事件〟に…

 まさに有為転変の時代─。米大リーグのドジャース・大谷翔平選手が違法賭博疑惑騒動に巻き込まれている。世界中がその一挙手一投足に注目し、また世界の子どもたちにとって憧れの的である大谷選手が一転して、〝弁明〟する立場に立たされている。

 本人は賭博への関与を否定、「元通訳が自分の口座から盗み、(胴元へ)送金した」という説明。

 これからFBI(連邦捜査局)の捜査が始まる。野球シーズンは始まったばかりで、世界の子どもたちに夢を与えるはずの大谷選手もモヤモヤとした状況で十分にその力を発揮できるかどうか。

 何とも不可解な話だが、〝6億円余〟もの大金の管理が杜撰だったということ。ある有力弁護士は、「全容が判らない段階で何とも言いようがないが、これは頼まれても引き受けにくい話だね」という感想をもらす。

 ここは、大谷選手に気を引き締めなおしてもらい、世界の子どもたちに今一度、夢を見させるような活躍を期待したいものだ。

命も要らず、金も要らず

『命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は、始末に困るものなり』─。明治維新を成し遂げた西郷隆盛の言葉を集めた『西郷南洲遺訓』の中に出てくる言葉。

 混沌、混乱の世にあって、新しい時代を切り拓こうとする時には、『命も要らず』、名も官位もそして『金も要らず』の者でないと大業は成し遂げられないという西郷の生き方。

 維新から10年後、西郷は同郷の大久保利通らと新政府の政策で意見を違え、鹿児島に帰る。私塾で若者たちを教えるが、維新に伴う社会制度改革で〝藩禄〟を失った不平士族らに担がれてしまう。

 いわゆる『西南の役』で、西郷は維新政府に立ち向かう薩軍の頭領に担がれ、最後は桜島をのぞむ城山で自刃。政府に反旗を翻す〝賊軍〟のトップだった西郷だが、地元・鹿児島にはもちろん、政府の中にも西郷びいきが多かった。

 西郷自身、維新の後は混乱が起き、不平が生まれ、争い事が起きる可能性を予見しつつ、身を処していた。『西南の役』も西郷の想定内の事であったと思われる。

 困難な時に、天下の大業を成し遂げるには、いろいろな矛盾や出来事に遭遇する。だからこそ、『命も要らず』の精神で西郷は自分の人生を生き切ったのであろう。

西郷と庄内のつながり

 西郷の死後、鹿児島から遠く離れた庄内の地(山形県酒田市)に南洲神社が建てられている。

 もともと庄内を治めた酒井藩は幕府に近く、薩摩、長州の官軍と対峙する形となり、官軍の攻撃を受けて敗れる。

 その時、江戸から官軍を指揮していた西郷は、「士道にのっとって行動せよ」と厳命。現地の指揮官は、庄内藩(酒井家)の降伏に当たって、酒井の殿様を上座に、自らは下座から対応し、相手の面子を立てたといわれる。

 敗れた庄内藩は、官軍が敗軍を見下さず、丁寧に対応したことに感激し、若い藩士を鹿児島城下に送り、西郷の生き方・考え方を学ばさせた。

『西南の役』の際、これらの若き庄内藩士たちは西郷軍に加わった。西郷は、「君たちは庄内に帰郷しなさい」と説いたが、庄内藩士たちは、「西郷先生と共に行動します」と参戦し、若い命を散らせた。

 これら藩士たちの墓も、西郷の墓がある墓地内にある。

 人と人のつながりや縁をいろいろ考えさせられる逸話である。

『善の巡環』のYKK

『多様人財』という考え方で、グローバル経営を展開するYKKグループ。コロナ禍期間中の第6次中期経営計画(2021年度―2024年度)は『Technology Oriented Value Creation』(技術に裏付けられた価値創造)という前中期経営ビジョンを継承しながら、新しい方針を付加。

『持続可能な社会の実現に向けた創造力』、『商品力と提案力』、『技術力と製造力』を付加し、国内事業会社の定年制度廃止も含めた年齢、性別、国籍などを超えた『多様人財』で成長を図ろうというもの。

 ファスナー事業のYKKは東南アジア、中国、欧州、北米、そして日本の5極で経営を展開。今や、日本の売上高は「全体の5パーセントしかない」と社長の大谷裕明さん。1982年、「世界で働きたい」というのが入社の動機。同社は、本拠地・黒部製造所(富山県黒部市)で開発した〝日本の生産ノウハウ〟を海外に展開していくという形でグローバル化を推進。

「コロナ禍の最初は生産停止もあったりして厳しく、ウェブ会議などでコミュニケーションをよく取り、苦境を切り抜けてきました。世界各地の経営陣が頑張ってくれました」

 YKKと、関係会社で建材会社のYKK APは、創業者・吉田忠雄氏の経営哲学『善の巡環』を実践し続けている。『他人の利益を図らずして自らの繁栄はない』という思想。「コロナ禍で困った時は必ず、この『善の巡環』に立ち戻って、手を打ってきました」と大谷さん。基本軸を持ち続ける会社は強い。