名古屋大学(名大)は2月8日、ホモ・サピエンス(現生人類)がユーラシアに拡散した約5~4万年前の文化進化について、「石器の刃部(じんぶ)獲得効率」という点から明らかにしたことを発表した。
同成果は、名大 博物館/同・大学大学院 環境学研究科の門脇誠二教授、同・束田和弘准教授、名大 博物館の渡邉綾美研究員、名大大学院 環境学研究科の須賀永帰大学院生、明治大学の若野友一郎専任教授らを中心に、産業技術総合研究所、木曽広域連合、ヨルダン考古局・観光局の国際共同研究チームによるもの。詳細は、英オンライン科学誌「Nature Communications」に掲載された。
現生人類と、旧人のネアンデルタール人やデニソワ人、原人のフローレス人などは、少なくとも20万年から4万年ほど前の時代までは共存しており、交雑していたことがわかっている。しかし5万~4万年前、現生人類がユーラシアに広く拡散して増加していったのと同じタイミングで、旧人や原人は絶滅してしまったため、「ホモ・サピエンスは旧人や原人よりも優れた能力と技術を有し、それによって各地のさまざまな環境に適応して増加した」と解釈されてきた。
その優れた能力と技術を有した理由として唱えられている仮説に、5万年ほど前の現生人類の脳神経に突然変異が起こり、高度な認知機能が生じたという「認知革命」説がある。その直接的な証拠は得られていないが、間接的な証拠として注目されるのが、中部旧石器文化から上部旧石器文化への変化だ。認知革命により文化を創出できる能力を持った現生人類が、アフリカからユーラシア各地に拡散していった後、それぞれの地ですでに中部旧石器文化を持っていた旧人が絶滅していったというシナリオである。実際、近年になって、アジア各地に拡散した現生人類が航海技術や海産資源の利用、森林資源の利用などを発達させたことも解明されつつある。
しかし、こうした「現生人類の多様な文化や技術イノベーションがいつどのように生じたのか」という点はほとんどわかっていない。そこで研究チームは今回、その問題の一端を検討するため、石器技術に着目することにしたという。
一定量の岩石からどれだけ長い刃部(刃渡り)を得られるかという点から、石器製作の効率性(あるいは石材消費の節約性)を定量化することが可能だ。刃部獲得効率の測定方法は単純で、石器縁辺の刃部の長さを石器の質量で割り算した値(石器の単位質量あたりの刃部長さ(たとえばmm/gなど))になる。しかし、多様な形態の石器の刃部長さを正確に計測することが容易ではないことから、今回はデジタル画像から画像編集ソフトを用いて鋭い刃部のみが抽出され、5000点以上について詳細な計測が行われた(折れ面や打面部分は測定から除外された)。
そして、石器の刃部獲得効率が中部旧石器文化から上部旧石器文化にかけてどのように変化したのかが調べられた。今回の石器資料は、現生人類がアフリカからユーラシアへ拡散した際の拠点だった西アジアのレヴァント地方(地中海東部地域)における約7万~1.5万年前のものだ(ヨルダンにおいて、2016~2022年の間に5回の発掘調査が実施され、5つの遺跡から8つの石器資料群が採取された)。
それらの石器の編年を確立するため、石器の形態や製作技術の分析を行うと同時に、石器包含層の年代測定が行われた(時期は、古い順に中部旧石器後期、上部旧石器初期、上部旧石器前期、続旧石器前期、続旧石器中期の5つ)。この中で、現生人類がユーラシアに拡散し始めたころ(約4.5万年前)に相当する上部旧石器初期の石器群は希少で、それを含むことが重要だという。
また、5つの遺跡はヨルダン南部のヒスマ盆地に集中しており、遺跡間で人類活動の内容や石器石材の環境が類似している点も重要だとする。その理由は、石器作りは石材環境や遺跡での活動内容によって変化するからだ。時代という要因以外はほぼ同じ条件下で製作された石器を、中部~上部~続旧石器にわたる長期的文化序列の間で比較できる資料を用意できたことが、今回の研究の強みとしている。
分析の結果、ユーラシアに拡散し始めた上部旧石器初期の現生人類が使っていた石器は重厚で、刃部獲得効率が低かったことが判明。このころの刃部獲得効率は、それ以前の中部旧石器後期の刃部獲得効率より低いか同程度だったとする。
また刃部獲得効率は、その後の上部旧石器前期(約4万~3万年前、旧人が絶滅した時期)において上昇したこともわかったほか、石器形態の長さや幅、厚さ、打面サイズなどの属性と、刃部獲得効率の相関が調べられた結果、刃部獲得効率の増加は石器の小型化によって達成されたことが明らかにされた。
以上から、現生人類による石器技術の「画期」(時代の区切り)は、刃部獲得効率という点では、ユーラシアに拡散し始めた上部旧石器初期ではなく、その後にユーラシア各地で現生人類が増加した上部旧石器前期だったということが突き止められたのである。
今回の研究では、刃部獲得効率を正確に見積もるため、ヨルダンの石器資料が選択的に用いられたが、現生人類がユーラシアに拡散した時期(上部旧石器初期と前期)には、類似した形態と製作技術の石器資料が西アジア地域のみならず、欧州や中央~北東アジアでも発見されている。そしていくつかの遺跡では、それらの石器に現生人類の骨や歯が伴っている。そのため、今回の研究成果は、ユーラシアに拡散した現生人類の石器技術の変遷をある程度捉えているだろうとする。
さらに今回の成果は、ユーラシアに広域拡散した現生人類の文化進化が「一度の革命的出来事」だったのではなく、複数の段階や試行錯誤を伴っていたことを示唆するという。つまり、現生人類が石器技術を一気に革新させ、刃部獲得効率が飛躍的に上昇した後でユーラシアへ拡散したのではなく、石器技術の大きな革新の前に拡散し始めていたということになる。
今回の研究によって、石器技術の変化過程が定量的に示されたことにより、このモデルに実際の考古記録を組み込む準備が進んだとし、人類進化の生物学的側面については古代ゲノム研究が欧米を中心として近年顕著に進展しているが、今回の研究は人類の文化史の側面において、大きな貢献を果たしたといえるとしている。