東京大学(東大)は10月16日、化学物質「シクロヘキサンジアミン」(chxn)を含む一次元モット絶縁体である「[Ni(chxn)2Br]Br2」(以下「今回のモット絶縁体」)による三次の非線形光学効果を利用することで、テラヘルツパルスを高効率に発生させることに成功し、なおかつその位相・周波数・振幅の制御が可能なことも実証したと発表した。

同成果は、東大大学院 新領域創成科学研究科の宮本辰也助教(研究当時)、同・尤仕佳大学院生、同・岡本博教授らの研究チームによるもの。詳細は、英オンライン科学誌「Nature Communications」に掲載された。

近年のフェムト秒レーザー技術の進展により、電場振幅が1MV/cm、磁場振幅が0.3Tを超えるテラヘルツパルスを発生させることが実現されている。このような高強度テラヘルツパルスは、固体の電気伝導性、誘電性、磁性、超伝導性、トポロジーなど、物性を高速に制御するための励起光源として利用されている。もし、テラヘルツパルスの位相、周波数、振幅を自由に変化させることができれば、高速の物性制御のためのさらなる有効活用が考えられるとする。

テラヘルツパルスは、通常、可視域のフェムト秒パルスを非線形光学結晶に照射し、二次の非線形光学効果の「光整流効果」によって発生させる。しかし同手法では、発生するテラヘルツパルスの位相や周波数の制御が困難だった。そこで研究チームが今回着目したのが、周波数がωと2ωの2色のフェムト秒パルスによる三次の非線形光学効果(以下「今回の手法」)の利用だという。その理由は、2つの励起パルス光を物質に照射する時刻の差を調整することで、テラヘルツパルスの位相を制御できる可能性があるからだ。ただし、これまでの研究では、通常の半導体において今回の手法でテラヘルツパルスが放射されることは報告されていたが、位相の自由な制御までは実現できていなかったとする。

  • 2色のフェムト秒パルス励起による位相可変なテラヘルツパルスの放射

    2色のフェムト秒パルス励起による位相可変なテラヘルツパルスの放射(出所:東大Webサイト)

電子同士に強いクーロン反発が働く時、電子が互いに避け合って局在化することにより絶縁体となるが、それはモット絶縁体と呼ばれる。今回の研究では、大きな三次の非線形感受率を持つ一次元モット絶縁体に今回の手法を適用し、位相可変なテラヘルツパルスの発生を試みることにしたという。

一次元モット絶縁体では、ほぼ縮退した奇の対称性の励起子と偶の対称性の励起子が存在しており、それらの波動関数の形状は位相を除いてほぼ同じであるため、両者間の遷移双極子モーメントが非常に大きくなることがわかっている。

今回のモット絶縁体に2色のフェムト秒パルスを照射すると、奇と偶の対称性を持つ励起子がそれぞれ一光子吸収過程と二光子吸収過程によって生成される。この時、2つの励起子が、それらの間の大きな遷移双極子モーメントによって量子干渉を起こし、両者のエネルギー差に対応する周波数(~2.5THz)を持つテラヘルツパルスが放射されるのである。

  • 周波数ωと2ωのFSパルス励起による励起子生成の概念図

    (a)周波数ωと2ωのFSパルス励起による励起子生成の概念図。(b)一次元モット絶縁体からのテラヘルツ放射の概念図。発表論文((c) 2023 CC BY 4.0 License)から改変して掲載されたもの(出所:東大プレスリリースPDF)

この手法を用いて、2つの励起子の生成時間の差を10アト秒の精度で調整すると、テラヘルツパルスの振幅や位相を制御できることが実証された。テラヘルツパルスの中心周波数も、同様に生成時間の差を変えると一定の範囲で制御することが可能であり、このテラヘルツ放射の効率は、通常の半導体と比較して極めて高いことも明らかにされた。これは、一次元モット絶縁体の強い電子相関に基づく大きな三次の非線形感受率によるものだという。

  • 放射されるテラヘルツ電場波形のΔt依存性

    放射されるテラヘルツ電場波形のΔt依存性。(a)Δt~0fsの場合。テラヘルツパルスの位相を±πに固定したまま、その振幅を連続的に制御可能。(b)Δt~60fsの場合。テラヘルツパルスの振幅を固定して、その位相を-πから+πまで連続的に制御可能。発表論文((c) 2023 CC BY 4.0 License)から改変して掲載されたもの(出所:東大プレスリリースPDF)

さらに、テラヘルツ放射強度の2つの励起子の生成時間の差への依存性を詳細に解析することにより、今回のモット絶縁体における偶対称性を持つ励起子の位相緩和時間が約40fsであることがわかったとする。これは、無機半導体の典型的な値10psよりもはるかに短い値(40fs=0.04ps)で、このような短い位相緩和時間は、一次元モット絶縁体の特徴であるといえるという。

今回の研究で得られた位相、周波数、振幅を制御可能なテラヘルツパルスは、今後、固体の電子状態や物性を高速に制御するための新しい励起光源として利用されることが期待されるとする。